「人生返して」 子の障害で手術、提訴 熊本地裁
旧優生保護法(1948~96年)下で第1子の障害を理由に第2子の中絶と不妊手術を強制されたとして、熊本県内の72歳の女性が29日、国に3300万円の損害賠償を求めて熊本地裁に提訴した。女性に障害はなかったが、弁護団は「『親族に遺伝性の障害者がいれば医師の認定で優生手術できる』とした旧優生保護法に基づく手術だったのは明らか」と主張。
「人生返して」 子の障害で手術、提訴 熊本地裁
旧優生保護法(1948~96年)下で第1子の障害を理由に第2子の中絶と不妊手術を強制されたとして、熊本県内の72歳の女性が29日、国に3300万円の損害賠償を求めて熊本地裁に提訴した。女性に障害はなかったが、弁護団は「『親族に遺伝性の障害者がいれば医師の認定で優生手術できる』とした旧優生保護法に基づく手術だったのは明らか」と主張。
2017年度に障害がある人への虐待と判断されたのは県内で88件あり、13年度の調査開始以降、最も多かった。県や市町への相談・通報件数も192件と過去最多で、県は「まずは通報するという考えが現場に浸透しているためでは」と分析している。
厚生労働省が調査した昨年度の障害者への虐待状況について、県が県内分を公表した。
虐待件数は16年度比で14件、15年度比で22件増加した。虐待を受けたのは男性36人、女性52人。父母や夫、息子らの養護者から受けた虐待(18歳以上)が72件、障害者支援施設やデイサービスなどでの福祉施設従事者等からの虐待(18歳未満も含む)が16件だった。
養護者からの虐待の種類(複数回答可)では、身体的虐待が37件と最多で、心理的虐待36件、経済的虐待15件、放棄・放置13件と続いた。虐待した養護者の内訳は、父親が23人と最多。次いで母親21人、夫14人、兄弟姉妹11人だった。
福祉施設従事者等による虐待の種類(同)では、心理的虐待が12件と最も多く、身体的虐待が8件。虐待者の内訳は、生活支援員が7人と最も多く、その他従事者4人、管理者3人、看護職員2人と続いた。
一方、県や市町への虐待の相談・通報件数は全国7位で、人口規模が同程度の他県に比べて多かった。養護者による虐待の通報は146件あったが、このうち相談支援専門員、福祉施設や事業所の職員からの相談・通報が62件(42・5%)を占め、市町職員からも28件(19・2%)に上った。
県は13年度以降、市町職員を対象に、通報や相談に関する研修を毎年開いてきた。障害がある人が利用する福祉施設の職員らにも、虐待の未然防止や再発防止を促す研修をしている。
県障害福祉課は「『虐待ではないか』という疑いも含め、まずは通報するという考えが浸透している。引き続き、研修や啓発で施設職員や県民の意識向上に努める」としている。
2019年1月30日 朝日新聞
「私たちって『不良な子孫』なの?」--。旧優生保護法(1948~96年)がある時代に生まれ、親が聴覚障害を持つ人たちが、複雑な思いを胸に同法に向き合おうとしている。「不良な子孫を残さない」という優生思想に基づき親が不妊手術を受けていれば、自分たちは生まれなかった。同時に、障害者が子を持つことのきれい事でない大変さも知っている。同法や時代背景について学ぼうと、2月16日に東京都内で勉強会を開く。
呼び掛けているのは「聞こえない親をもつ聞こえる子どもの会」(J-CODA)。CODA(コーダ)
優生思想に基づくナチス政権の障害者「安楽死」政策に関するパネル展が2月1、2の両日、東京都中野区で開かれる。「T4作戦」と呼ばれた障害者の大虐殺は、600万人以上が犠牲になったユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)へとつながった。主催するのは、障害者の事業所でつくる全国組織「きょうされん」。「優生思想がはびこった過去に学びたい」と思いを込める。
T4作戦の命令書は、第二次世界大戦開戦日の一九三九年九月一日、ヒトラーの署名入りで出された。作戦名は、作戦本部が置かれた「動物園通り四番地」に由来する。精神障害者や知的障害者が「価値のない者」として標的になった。
作戦は翌年から実行され、障害者をガス室に送り込んで命を奪った。作戦には医師ら医療関係者も加担した。キリスト教会から抗議を受け、作戦は一年半余で表向き中止されたものの殺害は続けられ、大戦中の犠牲者は少なくとも二十万人とされている。
ドイツ国内でも長年、この事実に光が当たることはなかった。二〇一〇年、ドイツ精神医学精神療法神経学会が、作戦への医師の関与を認めて公式に謝罪し、知られるようになった。
今回のパネル展では、神奈川県立精神医療センターの岩井一正所長が、同学会の展示セットを翻訳して紹介する。障害者を殺害施設に移送するバスや犠牲者の写真、医師が殺害実行の判断を記入した登録カードなど約四十点。これまで関係学会などで専門家向けに展示されたことはあるが、市民向けの企画は今回が初めてという。
日本では、旧優生保護法(一九四八~九六年)下の障害者の強制不妊手術の実態が次々と表面化し、救済に向けた動きが続いている。ドイツでT4作戦の遺族や関係者に話を聞き、著書にまとめた藤井克徳・きょうされん専務理事は「ユダヤ人大虐殺の前に障害者でリハーサルをしていた事実を知り、今の課題と重ねて見てほしい」と話す。
会場は中野区中央五の都生協連会館。入場無料。一日は午後一時~八時、二日は午前十時~午後四時。問い合わせは、きょうされん=電03(5385)2223=へ。
障害者を殺害施設に移送するバス=ドイツ精神医学精神療法神経学会提供
2019年1月29日 東京新聞
2011年の東日本大震災時、被災3県での障害者手帳保持者の死亡率は全住民の約2倍で、死者数の約6割を占めていたのは65歳以上の高齢者だ。
災害時に支援が必要な人をどう避難させるかが大きな課題となっている中、その手段の一つとして注目を集める「JINRIKI®」開発者の中村正善さんに話を聞いた。
「JINRIKI」とは、けん引レバーを車椅子に装着して使う補助装置の名前。車椅子を後ろから「押す」のではなく、人力車のように前から「引く」というアイディアから生まれた道具で、災害避難用として自治体を中心に導入が広がっている。
前輪がとられやすい砂浜や雪道でも、JINRIKIが活躍
開発したのは、長野県にある株式会社JINRIKIの代表取締役・中村正善さんだ。金融系システム開発の会社で働いていた中村さんは、ある時、標高1500mにある上高地(長野県)での観光客誘致のコンサルティングを担当することになった。そこで、そこまで来られなかった高齢者や車椅子ユーザーを観光客として呼ぼうと考え、河川敷や山道にも対応できる車椅子を探したという。
弟が車椅子に乗っていたこともあって、段差や砂利道での不自由さはよく知っていました。でも、どこを探してもいい車椅子は見つかりませんでした。
どうしたら凹凸道でも楽に進めるのかと車椅子を眺めているうちに閃いたのが、前輪を持ち上げるというJINRIKIの仕組みだった。
車椅子の小さい前輪は、段差や凹凸にひっかかりやすい。そのため、介助者が押す場合は力をかけて前輪を持ち上げ、段差を越えなければならない。けん引レバーをつけて引けば、テコの原理で前輪が浮き、大きな後輪だけになるので、凹凸道だけでなく砂浜や雪道もスムーズに進めるのだ。しかし、商品開発の経験がなかった中村さんは、アイディアを思いついたものの、一旦はあきらめてしまう。
再び思い出したのは、2011年3月11日に東日本大震災が起きた時だ。
高齢者や足の不自由な人が逃げ遅れたと知り、がれきや坂道でも移動できるJINRIKIがあれば、助けられたかもしれないと思ったんです。
思い立った中村さんは会社を退職。試行錯誤しながらJINRIKIの試作機を一人で完成させる。「大変な作業でしたが、試作機を作っていた時にかけられたひと言が私を支えてくれました」
それは、避難訓練の時だった。三重県では、2011年秋の避難訓練に初めて車椅子ユーザーも参加したが、急な坂の上にある避難場所まで逃げることができなかった。しかし、その翌年、できたばかりのJINRIKIの試作機を訓練で使ったところ、全員が車椅子ではない人と同じタイムで介助者と避難場所までたどり着くことができたのだ。
その時、参加した車椅子の男性が「あなたは私たち家族の命の恩人です」と中村さんに声をかけてきた。「津波が来たら、家族はおそらく私を置いては逃げられない。だから、その時に、私たちの人生はおしまいだと思っていました」
このひと言に、中村さんは「なんとしても商品化させよう」と決意する。
災害時に一人で迅速な避難ができないのは、障害のある車椅子ユーザーだけではない。高齢者、視覚障害者や知的障害者、妊婦や怪我、病気の人なども想定される。
「東日本大震災では、助けようとした支援者も逃げ遅れました。必要な人はたくさんいるはず」
会社員時代の貯金をつぎ込み、専門家の協力も得て3年かけて商品化。国内外での特許も取得した。
今では、災害避難用だけでなく、観光地でもJINRIKIを取り入れるところが少しずつ増えている。今年4月に障害者差別解消法が施行されたが、観光地のバリアフリー化はなかなか進んでいない。そんな中、兼六園や和歌山城、札幌の雪祭りなどでもJINRIKIが取り入れられるようになったのだ。マウントレースやビーチなどレジャーにも利用され始めている。
前輪がとられやすい砂浜や雪道でも、JINRIKIが活躍
「これで登山にもチャレンジしたんですよ。ワンタッチで着脱できるので、観光や旅行時に携帯して段差や坂道に慣れておけば、災害時にあわてないですみます」
車椅子に乗っている人の体重のおよそ10%程度の力で持ち上がると言い、子どもでも大人の車椅子を引くことが可能だ。試しに75㎏の男性が乗った車椅子にJINRIKIをつけて引かせてもらうと、後ろから押した時には越えられなかった段差を軽々と越えることができた。坂や山道、階段などでは前後に一人ずつ介助者をつける。
「100回聞くより、一回引いたほうがわかるでしょう?」と中村さん。
開発にあたって、こだわったことが二つある。一つは、できるだけどんな車椅子にも取り付けられること。電動式、自走式、オーダー製など、約9割の車椅子に取り付け可能なため、乗り慣れた車椅子を変えなくてすむ。もう一つは、部品を国内で分散して製造することだ。
「今は長野県内の10社に外注しています。コストで考えれば、海外でまとめて作ったほうが安い。でも、東日本大震災がきっかけで生まれた商品なので、販売台数が増えたら宮城や福島県の復興事業にしたいのです」
昨年からは、一部の自治体で、障害者総合支援法の「特例補装具」「日常生活用具」として補助の対象にもなった。
「災害時にいかに安全に速やかに避難するかは重要な課題。JINRIKIがあれば、車椅子だからとあきらめていた場所も移動できるようになります。車椅子を『引く』姿はまだちょっと見慣れないかもしれませんが、これが当たり前になるくらい、早く普及させたいですね」
(中村未絵) 株式会社JINRIKI
〒399―4601
長野県上伊那郡箕輪町中箕輪9514―1
TEL:050―5835―1000
販売している主な商品は、ワンタッチで取り外し可能な「JINRIKI QUICKⅡ」(バッグ付。6万4800円。税別)と、常時装着タイプの「JINRIKI」(4万9800円。税別)など。器具の重さは約3㎏。累計販売台数、約5千台。
http://www.jinriki.asia/