夏のフルーツと「岬めぐり」(山本コータロー)の思い出*桃、葡萄+ヨーグルト
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/38/cb8841f5d476f87f7d7480c16e82bd2d.jpg?1662104276)
( 画像は 桃のカットと
葡萄入りヨーグルト 8/17 )
ラジオ番組から流れてくる
「岬めぐり」を聴きながら
( NHK 音楽遊覧飛行8/17 )
今日は遅めの朝食を食べる
いつもの食パンと
いつもと違う
M.社の十勝ヨーグルトを
ゆっくりいただく
ヨーグルトには
ドライフルーツを何個かと
2種のブドウの実を入れ
今朝は
妻が剥いてくれた桃も添えて
ネットラジオからは
昔懐かしのミュージックが‥
中でも「岬めぐり」は
とても懐かしい!
つい先頃73歳で亡くなった
山本コータローさん(7/4)
私より3歳上の歌手兼教授
穏やかで 私の親友Kさんに
よく似た顔立ちの競馬好きで
環境問題にも詳しい多彩な方だった
( 山本コータローさんのご逝去に際し
心より哀悼の意を表します)
この1974年リリースの歌は
50年ほど前の一人旅を
誘発した(当時の私は23歳。
退職後に大学進学した私は
まだ学生であった)
あれは 春か夏の長期休みに
岬めぐりの旅を思い立って
四国の西半分を巡ることにした
自由気ままな一人旅で 宿は
ユースホステルを予約した
(日本ユースホステル教会JYH は
私が生まれた1951年に発足)
毎日 どんな人と出会うか
全然わからないから
ワクワクドキドキして楽しかった
高卒後 就職した頃から
何故か私は 一人旅が好きになり
東京在住時も 時間があれば
よく荒川や奥多摩、高尾山などに
一人で出かけたものだ
(もちろん 八王子や立川、
銀座や原宿?などにも出かけた)
その後 大学進学後は
阿蘇は波野高原や福岡八女、
ローカル線などを使って
のんびりと旅をした
「岬めぐり」は
山本コータローとウィークエンドが
1974 デビューシングルとして
リリースした明るく軽快な曲である
ps 2022.8.17 草稿 9.2 追記
NHKAMラジオ*午後カフェ
柘植恵水(つげえみ)アナの声
今日のテーマは 夏の想い出など
午前のらじるラボでは
ある歌手の歌を紹介していた
その歌詞に
夏になれば 冬を
冬になれば 夏を思う
などという趣旨のフレーズが。
確かに この私も
酷暑の中では 冬の冷たさに憧れ
寒さ厳しい朝には 真夏の太陽を
希う 図々しい 調子の良いことを
考え願う
※以下、山本コータロー氏の記事です
(1)東京都出身。一橋大在学中に結成し、ボーカルを務めたフォークグループ・ソルティー・シュガーの「走れコウタロー」が、コミカルな歌詞とキャッチーなメロディーで話題を呼び、1970年にヒットし、同年、日本レコード大賞新人賞を受賞した。競馬の歌として親しまれ、(中略)競馬関連の番組や作品における定番曲となった。74年には山本コウタローとウィークエンド名義の「岬めぐり」がヒットした。
(2)音楽プロデューサーとして世界的な音楽家を招いた「広島平和コンサート」を企画するなど、平和や環境問題にも取り組み、栃木・白鷗大で社会学の教授を務めた。テレビでも司会などで活躍した。
(1)(2)は朝日新聞電子版より引用
※途中一部省略 2022.7.15
(3)山本コウタローさん=2011年11月、東京都千代田区
「岬めぐり」「走れコウタロー」などのヒット曲で知られる歌手の山本コウタロー(やまもと・こうたろー、本名山本厚太郎=こうたろう=)さんが4日未明、脳内出血のため死去した。73歳だった。東京都出身。葬儀は親族で執り行った。親族が15日、公式ホームページで明らかにした。
一橋大在学中からフォークグループ「ソルティー・シュガー」で活動。1970年に「走れコウタロー」で日本レコード大賞新人賞を受賞し、74年には「山本コウタローとウイークエンド」として出した「岬めぐり」がヒットした。
テレビやラジオの司会でも活躍したほか、99年には白鴎大教授に就任し、環境問題や社会学を教えた。最近は体調不良のため、自宅で静養していたという。(2022/07/15-11:12)
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