ユリカモメといえば、「名にし負はばいざ言問はん都鳥わが思ふ人はありやなしやと」
の都鳥。
この鳥が「白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ」とされていることから、チドリ目ミヤコドリ科のミヤコドリではなくチドリ目カモメ科のユリカモメだとされている。
ところで、この歌は「伊勢物語」に出てくるのだが、物語の主人公とされている在原業平、
ほかにも野鳥に関係し、興味深い人物である。
在原業平の父は、平城天皇の第一皇子阿保親王の第五子、母は桓武天皇の第八皇女伊都内親王。だから、平城天皇と桓武天皇の孫というまさに高貴な平安後期(825年~880年)の人物。
しかし、父親の阿保親王は、その父の平城上皇(平城天皇)が「薬子の変」で失脚したため、上皇に連座して大宰権帥に左遷されたりしている。行平、業平など子どもは、臣籍降下して在原氏を名乗るようになった。
業平は文武両道、眉目秀麗、しかもプレイボーイの代名詞のように言われているが、桓武天皇譲りの鷹狩りの名手でもあった。
業平については、北河内古代人物誌 在原業平が詳しい。
の都鳥。
この鳥が「白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ」とされていることから、チドリ目ミヤコドリ科のミヤコドリではなくチドリ目カモメ科のユリカモメだとされている。
ところで、この歌は「伊勢物語」に出てくるのだが、物語の主人公とされている在原業平、
ほかにも野鳥に関係し、興味深い人物である。
在原業平の父は、平城天皇の第一皇子阿保親王の第五子、母は桓武天皇の第八皇女伊都内親王。だから、平城天皇と桓武天皇の孫というまさに高貴な平安後期(825年~880年)の人物。
しかし、父親の阿保親王は、その父の平城上皇(平城天皇)が「薬子の変」で失脚したため、上皇に連座して大宰権帥に左遷されたりしている。行平、業平など子どもは、臣籍降下して在原氏を名乗るようになった。
業平は文武両道、眉目秀麗、しかもプレイボーイの代名詞のように言われているが、桓武天皇譲りの鷹狩りの名手でもあった。
業平については、北河内古代人物誌 在原業平が詳しい。