お隣の三木町の獅子の祭り。
日本一大きい獅子を作り、町おこしに町民が心血を注ぎ込んで、楽しんでいる。
祭りは好きだ。元気だった頃は一人でリュックを背負い青森まで、ねぶた祭りを見物に行ったこともあった。
俳句仲間と合流はした。
寝台車に乗るのは、初めての経験で、のんびり楽しい旅も若かったからできたのかな。
一頭にあらぬ嘶き神渡し 葉
何頭かの馬が鳴き交わしています。神渡しは、出雲大社に参集する八百万の神々を、送る西風とか、その風の中で、何か察したように馬たちが嘶く光景は、どこか神々しい感じがします。神渡しという、季語のあっせんが上手です。
昨年、金毘羅さんの、秋の祭りに行った時の句である。
現代俳句協会のインターネット投句で、互選には入らなかったが、選者が選評を書いて下さった。
互選で高得点でも、私が読んでも月並みの句がある。投稿仲間達が、選び合いをしているとしか思えない。しかし、しかし互選も経験を重ねるうちに、良い句が向うから、飛び込んでくるようになる。
「選も実力の内」だと、どの先生もおしゃる。最初の先生からも教えられた。自分の句が選ばれるのも嬉しかったが、先生が選んだ句と、私が選んだ句が同じ句だった時も嬉しかった。
我が主宰もいつも、「誰が選ぶかが問題である」「誰に選ばれたかが大事である」と言う。
私は今の主宰には、いつも 全没、だからまだまだ勉強が足りないと思っている。であるが、あちこちに、ストレス解消で投句をしている。。。。が互選には期待をしていない。
選者の目に止まり、選評を書いてくれることに、期待をかけている。
月に1、2句はどなたかが、取り上げて下さる。
大いに、ストレスが解消される。
主宰は大切な人だが、最近、絶対者では無いと、考えるようになった。
山本健吉が、丸谷才一が評論家だったけれど、俳句が飛びぬけてお上手ず、第一人者ではなかった。それなりに句も、お上手で味もあるが、全てにおいて絶対者ではなかった。それと同じように、主宰以外の方の、好意ある選が大変に喜ばしいことだと思えるようになった。
ななかまど口にころがすバター飴 ななかまど
新蕎麦や湯のたぎりゐる自在鉤 自在
金毘羅のなお奧院へ水引草 奧
読みきかす絵本銀木犀の垣 銀
伊勢音頭流れて秋の祭り果つ 音
十七文字を繋いだ句