☆ 八月の真ん中で泣く赤ん坊 櫂
☆ 鴨川の河童も曳くか月の鉾 櫂
「 KOSI 」9月号の 俳句自在から。
一句目はどうして赤ちゃんが泣くのかとなると、読み手一人一人に鑑賞をまかせればよい、抽象句と捉えたら良い。暑いから赤ちゃんが泣いているのは普通の事。大人だって泣きたい今年の極暑であった。
河童が曳く、祇園会の鉾。
月鉾の先頭で河童が鉾を曳いている。誰の目にも見えないけれど、祭りの賑わいにいつもは川の中に隠れている河童も、いても立ってもいれず祭りに参加をした。
「 KOSI 」 での櫂氏の選句は、何句でも投句ができるように変更になった。
多く投句する人は、はてさて何句くらい投句をしているのやら。
選をされているのを見ると、十句も載っている人もいれば、五句、三句、一句、、そして私のようにお言葉に甘えて、七~八句も投句をしたが全没も。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。。と云うわけにはゆかぬ。
自分の全てをさらけては駄目、どんな句でも投句をやってはとブレーキをかける。
自省をやっての投句となる。
師の曰く、死ぬまで推敲をやれ、、、これにかなった句でなければ、選をされない。
今月は七句の人、次が六句、そして五句と続く。
選の多さに限らず全投句の中から、一席、二席、三席が、次にまあ特選句と呼ぶべき句が並ぶ。
一席 思うよな老後きたらず心太 馬淵可奈
二席 夏蝶に無軌道といふ道のあり 西川東久
三席 衣更へて灰汁のぬけざる漢かな 石川桃瑪
このように選をされた句を目標に、(頑張る?)詠みたいといつも思うのだが、、、。
久しぶりに近所を散歩。お隣に、薔薇の実が。もう秋だ。
🐢 青葉木菟昼も小暗き楝の木
私は栗林公園で見た、青葉木菟を詠んだのが通っていた。
他にも。田舎ってか、公園で見た青葉木菟。季語が溢れている自然環境にいる自分は、もっと作句が出来るはずだのに。
一席の句に比べ、薄っぺらい私の句。氷山に例えれば、見えている海面しか詠んでいない。
ああアア、、、、