俳誌が届く。
いつも後ろから見る。自分の名前があった時の嬉しさ。
最近は五十音順になっているから、自分の名前と選をされた句の数が同時に分る。勿論、全没だと名前も無い。
こんな、はらはらどきどきが、月に一度はあるのだ。
今更、新しい結社に入会をして一から出直すつもりもないし、時間も残っていない。
「干潟」の句を詠んで投句をしていたらしい。 投句をした句を残しているページがあるが、今は、そこさえ見ない。なるようになって、全没だって、そう、反省もやらぬ。師はどうして全没になったか、良く考えろ!、、、とおっしゃるが、そこまで勉強をする熱意が失せてしまっている。
「干潟」たまたま上載の「干潟」の写真があったが、こんな「干潟」の規模ではない。一面オード色の潟が広がっている。橋の上に立っていると、両岸は蘆と乾いた浜辺が拡がっている。(早春の砂州)
相引き川と新川が合流をして、瀬戸内海に流れ込む砂州だ。まことに荒涼とした景色。しかし蘆原からは春の足音が聞こえそうで、いつも車で通りすぎるが、たまに散歩の足を伸ばしてここまで行く。
🐢 大干潟目測ながら鳥五百
🐢 大干潟十五の吾のゐるような
🐢 大干潟一つの影もなかりけり
今月も最後のページから読んだ。上記の干潟の句が選に入っていた。
遠くへ旅や吟行をやらずとも、我が家周辺は。季語の宝庫だと今更に思う。