老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

     網棚

2019-06-20 05:00:59 | 俳句

     

 

ライ麦も刈られた。 ざざ広い唯の畑になった。 風が見えないのは退屈で詩心も失せてしまう。

風は見るもの。聞くもの。触れるもの。    麦畑に佇むとそれらの全てを感じることがかなう気がする。

 背の高いライ麦は最後まで残った麦畑だった。普通の麦に比べて収獲は1ケ月は遅かった。刈られてしまい、少しだけつまらぬ散歩になった。

 

 

       ☆     網棚に帽子の箱や麦の秋     櫂

 

網棚の句はどなたが詠んでも、何かが置かれている句が多い。 上記の句もその域は越えていないと思った。中七の言葉は目新しくはない。麦秋の帽子の箱にはどんな型の帽子が、きたる暑い夏を迎えるの。そんなところだ。

 

       ☆     網棚にきのふの夏を忘れけり     櫂

 

この句になると背景、想像の想が広がってくる。そう詠みましたか、、と

海岸沿いの電車。サファー達で賑わった電車の中。走っても走っても草原の景色の北の大地。遠ざかる夏が思われる。

 

 

遠い遠い昔。日本海に沿って、おおよそ一日の、列車の一人旅をした。網棚に夏の帽子を忘れた。気が付いたのは旅から帰ってから。 忘れ物係に電話をすると、大阪の忘れ物係に保管をされていた。出張で大阪に行った夫が、それを貰ってきてくれた。

今、帽子一個でそんな事をするかな?私。

色あせた藍染めのサンバイザーを、想い出として捨てかねている。

 

 

 

 

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