Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

痕跡~酔いどれ電停

2006-08-09 22:48:00 | インポート
みさSAN今晩は。今夜の豊橋は熱いです。
真夏の熱帯夜もさる事ながら、同市中心部の東、岩田運動公園にて、我らが中日ドラゴンズ球団が、これも我々のサークルの盟主、らむSANやもう1つのお世話になっているサークルの主、すうじさんの地元代表たる広島東洋カープと激突、大変内容の濃い試合を見せてくれています。あ、今試合が終わりました。恐れながら中日の勝ちです。らむSANにすうじさん、ご免遊ばせ!
同所では年に1度のプロ試合とあって、大変に盛り上がった様です。JR豊橋駅や中心部への帰りの電車も増便は必至でしょう。観客各位の帰路のつつがなきを祈ります。
さて本日8/9も、かつての戦争の話題に触れない訳には参りません。
1945=昭和20年のこの日日中11am頃、九州長崎に史上2発目の原子爆弾が投下され、当初だけで7万数千もの犠牲者を生じました。
後遺症たる原爆症に苦しんだ揚句、落命された方々も少なくなく、改めてこの不幸な出来事の大きさを感じる所です。
更に貴女のいらす北の方でもこの日、大きな事件がありましたね。
同年の同月日、当時我国の実効支配下にあった満州に旧ソビエト連邦軍が侵攻、この地方の他本来は我国の固有領土だった南千島の四島まで占領、以後今日までこの状態は解消していません。
勢いに乗る旧ソビエトは当初、北海道の占拠をも要求していたと言われ、これがもし実現しておれば、あるいは貴女と私はこの様に、気軽に交信できない間柄になってしまっていたかも知れません。
又、悪くすれば地続きで、同じ線路や道路で土地が繋がっているのに、朝鮮半島やかつてのドイツ国などの様に、軍事境界線によって往来叶わぬ状況下に置かれてしまったかも知れないのです。
当時の強大国の思惑に動かされた面も多くあるものの、同じ統一国家に生きてある事を、今は感謝しなければならないのかも知れませんね。
今夜の豊橋の路面電車、先に終点の1つをご紹介してしまいましたが、まだこの小旅行、半分来た位の所です。この続きは又次回にでも。又この時期、豊橋市内線には夜ともなると予約制のビアホール列車が出現します。流れる夜景を眺めながらの一杯には憧れますね。いずれその内にと思っています。この事が「酔いどれ電停」の副題の由来なんですね。*(ビール)*

コメント
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