Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

2015=平成27年8月回顧

2015-08-30 12:27:02 | 国際・政治

2015=平成27年8月も後僅か。先日より、どうも早めの秋雨に突入したらしい。週間気象情報によると、来月初の9/3(木)辺りまでは降雨がちの様だ。まあ「降られる」事は毎度だし、ある程度の雨量は仕方がない所だが、くれぐれも大雨による大規模な水害がこれ以上生じない事を祈ると共に、願わくば生鮮野菜を初めとする農産物が、極度に値上がりしない様望みたいものである。

さて今夏も、残念ながら各地の水の事故や、未成年者の不審死など夏休み特有の事件事故が多く発生してしまった。大阪府下の、二中学生が犠牲となった不審死事件がその代表格。拘束中の男性容疑者は、当初の容疑事実否認より黙秘に転じ(二被害者を自身の自家用車に乗せた事のみ認知)、或いはこれからの裁判を見越し、日本国憲法37条で認められた弁護人が付されるのを待っているものと思われる。又、この人物は過去にも深刻な傷害事件のかどで、昨秋まで服役していたとかで、事件直前には首都圏にて不審物所持を理由に職務質問を受けていたそうだ。「疑わしきは罰せず」の刑事法の建前より、この時は容疑者を拘束できなかった由だが、これはあくまで原則論。果たして警察当局は、深刻な前科を持つこの人物の履歴を的確に把握していたのだろうか。実業家 堀江貴文さんもご指摘だった「日本の警察はネットの事共にどうしようもなく弱い」所が相変わらずになっていやしないか。欧米諸国ではもう一般化したと言われ、犯歴深刻な前科者の履歴をデータ・ペース化して常に監視追跡し、不審な行動を見つけ次第拘束に踏み切る態勢を確立しておれば、此度の悲劇を防げた可能性があるのだ。凶悪犯は年毎に漸減はするも、再犯率は未成年を含めむしろ大いに増加しているのだ。

折しも、来年よりは納税者番号制マイナンバーが発足する。このシステムに警察も連携し、凶悪な犯歴を複数持つ者の監視追跡する態勢を速やかに確立して欲しい。深夜にみだりに出歩いた二被害者と、それを許したご家族にも油断があったのは事実だが、少しずつでも合理的な例外措置に踏み出せる様にする事も場合により必要だろう。例えば防犯カメラなどによる、必要な監視活動は躊躇うべからざる事であり、最近多発する、首都圏のJR線電気施設の不審火問題についても、なすべき事は同じだろう。左派野党やエセ人権勢力は、近年の凶悪犯減少そのものを良い事に、犠牲被害の各位を援護する活動を軽視、「感情的になるなかれ」などと冷やかに見ている様だが、凶悪再犯激増の事実を突きつけたらどう言い訳するつもりなのか。一度その見苦しい様を見てみたい気がするのも事実。又、個人秘密プライバシー保持を理由に露骨に反対する向きは、主に自身がいかがわしい行動をしているから不都合なのであり、正面より取合う必要はない。「性善説」が死んだ以上、前述の態勢を強めなければ、社会の平和を守る事はできないだろう。

これと通底する所あるのが、安倍政権が今秋成立を目指す安全保障関連法案の扱いだろう。ここへ来ても、政府与党の誠意ある説明が不十分の所はあるも、我々国民市民も、冷静な思考で正しく理解する必要があるとも思うのだが。折々野党勢力、特に社会民主、共産両党と前出の左派及びエセ人権勢力辺りが、今度は一転感情的に喚く様な「安保法案は戦争に道を開く」みたく短絡的な捉え方では大きく適切を欠く。報道も悪い。野党やそれに近い市民勢力の反対運動を、それこそ煽る様に取り上げる一方で、賛同や支持する動きは伝えないまま。これで、どの面下げて「公正な社会の公器」とか「第四の権力」とかを標榜するつもりなのか。ここは、我々日本人ももう国境を越えて世界で活動する事と、国家として世界の中でどう処すべきかを視野に入れて考える必要があり、そこから自ずと答えは導き出せるとも思うのだが。遠く海外にいらす同胞に危機が迫った時、自衛隊が速やかに救助できる様にする事など、祖国の安全を守る事共に、ゼロリスクでない事は既に申した。

1990年代の平成初期、イラク国の政情不安に際しては、我国は資金提供のみで国際社会から余り評価されず、続いて20世紀末より約10年間続いた、インド洋にての海自を中心とした各国艦船への洋上補給などで、我国の安保姿勢はようやく前向きに評価され始める。この時の活動は、2009=平成21年の政権交代でひとまずの終了となったが(因みに終了時の首相は、あの屁垂れの鳩山某だった)、終始この活動が平和裏に行われた事を、俺は良く覚えておかないととも思ったものだ。限定的な集団的自衛権行使とは、こうした事の地道で安全な積み重ねであり、我が本土での専守防衛に比べれば、それはある程度のリスクを伴いはするが、良い実績を重ねれば、それは国際社会よりの更なる評価にも繋がるし、現行憲法の平和志向を大きく損ねる事もない。現に、現行憲法は集団的自衛権行使を是とする国際連合憲章に沿って制定されている事実を忘れてはならないだろう。

国内の事共でもう一つ、新しい疾病が流行る可能性の事も考えるべきだろう。毎年、多くの方々を苦しめるノロ・ウィルスによる症状。今年は、従来より変異した新種が流行り出しているとかで、今一度注意を要するだろう。それと、溶連菌による感染症も大敵になり得る。どちらも、昔からある病原菌が変異して危険度を強めたもので、ノロは深刻な消化器症状、溶連の方は、怪我の傷口などから感染すると短時間に深刻な組織の壊死症状へと進み、最悪命に係わる「人食いバクテリア」に大化けするケースもあるらしい。当然ながら抵抗力の弱る高齢世代は、今から厳重な警戒を始めた方が良いかも知れない。予防策は月並みで恐縮だが、空気感染があり得るので外出時のマスク着用や、帰宅後の嗽(うがい)、手洗いを励行する位の様だ。それと少しでも体調がおかしいと思ったら、速やかに医師の方に相談する事も大切だろう。

この盆明け、当地でもちょっと気候面の異変があった。何と、名古屋市内に住む様になってほぼ半世紀。ただの一度も聴いた事のないミンミンゼミの鳴き声が初めて耳に入ったのだ。豊田市や瀬戸市の山間では良く聴くが、名古屋都心では初めての事。これはこれから、天気が大きく変動する前触れかも知れず、これから暫くは、注意して見て参ろうと思う。画像の方は、今夏最大の思い出となった、新潟県・鯨波海岸よりの日本海の様子。沿岸を行く、JR信越線の列車撮影と海水浴の名所であると共に、1970年代の昭和後期に「北」による日本人拉致事件の舞台となった史実も、是非覚えておかないとと言う所です。

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ちょっと南紀へ行って来た

2015-08-24 13:27:55 | 旅行記

今回も、更新が一日遅れとなってしまった。謝 なるべく毎週日曜に更新をと思ってはいるのだが、これからは、諸事情により月曜辺りに行わざるを得ない事ともなりそうです。

大阪府下にては、大変遺憾な二中学生の不審死・死体遺棄事件が生じ、福島県下へ原発事故処理に赴いていた40代の男性容疑者が逮捕されている。盆休みの未明、自身の乗用車に被害者達を乗せた事は認めるも、殺害と死体遺棄は否定している模様。ただこの人物は、今世紀初め辺りより、未成年者を相手に悪質な傷害並びに金品奪取を繰り返しており、大阪府警には、厳正な捜査と取り調べを敢行願い、完全に罪責を明らかにして欲しい。容疑者は、自身に有利な弁護人が付けられるのを待っている節があり、今後の裁判にても、不明朗がなき様万全を期して頂きたいものだ。複数が斃された以上、死刑が想定される事も留意したいが、とに角重罪に見合った厳しい処分が下されなければならない。それが、斃された二名の犠牲者への弔意だろう。それを踏まえながら、再三に亘り、犯行を繰り返した容疑者への監視と警戒が十分だったか?未成年にも関わらず、夜間安易に外出した所見られる被害者とその保護者各位にも油断がなかったか?改めて丁寧な検証と、再発防止への強い取組みが求められるだろう。何よりも、一番悪いのは、我々国民市民の無関心だ。それが長らく漫然と続けられたツケが、今回最悪の形で回ったのだろう。落命した中学生達は、その犠牲となった一面も大きい事を、我々は肝に銘じなければならないだろう。

海外にては、又かとも思わせる、朝鮮半島の緊張が挙げられよう。相変わらず何を考えているのか分らない「北」の金 正恩(きむ・じょんうん)政権。触雷と思われる原因で、大韓民国兵二名が深手を負った事故をきっかけに、今回の緊張は深まった様だ。韓国側の対抗措置にすぐ激昂し、軍事対応をちらつかせる手口も毎度のものだろう。基本は韓国の内政問題につき、冷静に見守るのが最善だが、不穏な動きを見落とさない様にする最低限の心がけはやはり必要だろう。

もう一つ、今日の日中、国会参院委員会にて、新党改革代表 荒井弘幸さんが安倍大臣向け質問の席上指摘されていた事だが、先の大戦終結に際し、旧ソ連邦 スターリン執行部は、我国降伏のきっかけとなった、ポツダム宣言文中の「全ての我国軍関係者は武装解除の上、平和安全裏に各自の家庭に帰れる事とする」の規定を無視して数万に及ぶ我国同胞を不当に拘束、酷寒のシベリアに抑留した事がはっきりした(同宣言受諾後の1945=昭和20年8/23付で拘束)。こんな事で、現ロシア政権が事ある毎に発する「先の大戦結果を認めるべき」などと言う低能な主張など受け入れられるはずがない。現在もロシア要人が滞在する北方領土問題共々、この史実への国民的憤りを新たにしたい所でもある。

さて恐れながら、俺は先週末、実家の状況の合間を見て、南紀辺りへちょっと足を延ばして来た。全国のJR社が学休期に発売する「青春18きっぷ」を利用し、主に各停列車を乗継ぎながらの行程。花火で有名な、熊野辺りまでは到達叶わなかったが、その手前の尾鷲市内をメインに、久々にちょっとの息抜きができたかな?と言う所です。

熊野と言えば、先日行われた毎夏の「熊野大花火」と風光明媚な海岸 七里御浜、それに世界遺産にも登録された熊野古道が知られるが、これらの見聞は残念だが又次回と言う事になりそうだ。特に七里御浜は、今朝のTV報道で初めて知ったが、地元では「天国に通じる砂浜」と信じられ、それを実践すべく、不帰の旅に就いた修行僧も少なくなかったと言う話も聞いた。又、熊野大花火も祭祀の一方、亡き地元の方々を弔う儀式の面もある様だ。毎回、大変な人出の様なので、存命中に見られるかと言う所もあるが、まあ機会あれば是非とも思っている所です。

今回画像は、尾鷲市の大曾根浦公園付近から臨む尾鷲湾の様子。この南方が、七里御浜へと繋がると言う事ですね。拙20代の頃までは、海水浴や海釣りなどで親しんだものだが、もう今は眺めるだけの海です。

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終戦記念日~二人の元首相の愚行

2015-08-16 12:42:12 | 国際・政治

昨8/15(土)は、大東亜戦争こと太平洋戦争の終結70周年の大いなる節目。近隣含め、全ての大戦犠牲の各位に対し、謹んで哀悼の意を表します。

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「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、わが国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

ここの過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民とともに、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる哀悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります。

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冒頭より引用恐縮だが、昨日、全国戦没者追悼式の席上表された、天皇陛下のご声明である。これに先立ち、式典前日の8/14(金)夕刻には、政府公式の戦後70周年談話が安倍内閣総理大臣により発表された。陛下のご声明も「先の大戦についての深い反省」に踏み込まれたのが話題になった様だが、政府の談話にても「反省」「侵略」「植民地支配」「お詫び」の必須ともされた四文言は明記され、かねて指摘されていた、「村山元首相談話」の大筋は継承されたと言って良い。俺自身も、この事についての若干の疑問がない訳ではなく、一例を挙げれば「侵略」「植民地支配」の項目は「近隣に対する」を追記した方が良かった様にも思えるが、できれば今国会、悪くしても来年には成立を図りたい安全保障法制の事を考えれば、ほぼ最善の内容で公にできたと申して良かろう。

少し補足すれば「侵略」「植民地支配」の両項目は限定的なものであろう。中曽根元首相は「先の大戦は、近隣に対しては侵略の面もあったが、欧米に対しては『普通の戦闘行為』だったと理解すべき」と仰っていた。植民地問題も同様で、先の大戦の全てを「野蛮な侵略」だったと一括りにするのは間違っている。又「植民地支配」は朝鮮半島と旧満州、現台湾向けの事を指すのであろうが、これは他にも議論があり、そちらの見解もできるだけ拝聴したい所。作家 保坂正康さんも仰っていたが、史実を曲げずに直視して、公正に振り返る事が大切であり、それらを踏まえた上で、謝罪をするかしないかは、受け取り手の判断に委ねると言うのが正道なのだろう。政府談話中に「先の大戦に、直に関わらなかった我々の子孫、そして将来の子供達に、謝罪の宿命を残してはならない」意の一文が載ったのも大きな意味がある。史実を正しく理解し反省する事と、必要以上に謝罪する事は違う。過度に囚われていては、希望の未来を切り開く事は叶わなくなってしまうからだ。

困るのは、こうした先の大戦への必要な反省と回顧、少なくとも必須とされる謝罪がなされているのも関わらず、些細な所を突いては文句をつける向きがある事。大きな一が、かの村山談話の発信元、村山元首相だろう。政府談話に際し、安倍政権が最大限の尽力をしたにも関わらず「自身の談話の焦点がぼかされている」などとクレームをつけたとか。今世紀に入っては政界を退き、齢90にもなって、未だに現政権の施策に適切とは言い難いやり方で難癖をつける。本当に、見ていて「老害」としか申し様のない有様だった。同じ終戦談話を表しておきながら、一切の言及を控えた小泉元首相の「後は安倍に任せた」と言う大人の姿勢を、少しは見習ったらどうなのだろうか。

村山元首相以上に罵倒すべきが、政府談話の発表直前に訪韓し、「やっぱり」の大失態を繰り返した鳩山(由)元首相。何と、我国の終戦記念日、大韓民国の光復節にぶつけたかの様なタイミングで、同国内の政治犯収容施設だった西大門刑務所史跡へ赴き、献花の後、慰霊の一礼だけなら問題なしだったものの、あろう事か土下座して謝罪を表明したと言うのだ。これには呆れてものが申せなかった。我国の「国家の尊厳」を大きく損ねる事ともなりかねないではないか。

大韓民国をメインに、半島向けの反省メッセージとしては、政府見解で十分であり、1965=昭和40年の日韓国交回復時に、応分の謝罪と賠償がなされているはずだ。後年起きた、所謂慰安婦問題などは、朝日新聞の大誤報によるものであり(因みに平成初期に生じて大問題となった、河野元官房長官談話も、この誤報に依拠している。)、今回の政府談話でもほぼ十分に語られている。つまり、解決の為の努力が重ねられて来たと言う事だ。鳩山元首相の過剰な行状は、それらの努力を全て灰燼に帰させる恐れがあり、今後我国政府関係、そして国会議員の方々に、同様の行動を強いる懸念さえある。同某は、その危険を知りながら、最悪の先例を作ってしまった。最早「スタンド・プレイ」とか「余計な事」では済まされないレベルではないか。ネットにての諸見解を拝見していると「外患罪に匹敵する悪業」との厳しい見方もあった。他国の軍事侵攻を招く外患罪は、一度確定すれば死刑である。この男は最早、一度外遊すれば必ず我国に不利益をもたらす事がはっきりした。下手をすれば「北」の平壌(ぴょんやん)でも同じ事をするだろう。外務省は、あらゆる機会を捉えてこいつの旅券効力を停止させ、行状によっては終身の国外追放措置をも視野に入れた断固たる姿勢で臨むべき。又、警察庁や財務当局は、実害が生じた場合に備え、逮捕を視野に入れた注視監視に本気で取り組むべきだ。必要により、数百億円以上とも言われる高額資産の凍結、並びに必要な課税もできる様手を打つべきだろう。幸か不幸か、ロシア国辺りより、移住を勧める話もあるらしい。相手がロシア故、余り推せないかもだが、不良分子 鳩山由紀夫を終生日本から放逐する良い機会かも知れない。

本当に、この様な思考のおかしな元要人を、2人も抱え込む現状は国民的不幸と言える。何よりも「植民地支配」が必要な事を前提とする、18世紀的自由主義を元にしてしまった戦後レジームのあり様にも問題があったと愚考するのだが。

今夏は、実家事情などもあって中々に遠出ができず、先月末、日本海側へ参る事ができた位ですが、現地の知人と訪ねた、新潟・福島県境の山間を越える蒸機の健闘の様子を載せます。動力は昔ながらの石炭焚き蒸気ながら、安全・通信の両システムは、新幹線と同じ思想の最新版を採用して現在まで走り続けております。「変わらずにいる為には、変わって行かなければならない」事を教えられた気がするのも事実です。

果たして、村山・鳩山の両元首相は、この事を正しく理解しているのでしょうか?

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欲しがりません「核」だけは

2015-08-09 11:39:35 | 国際・政治

今日8/9は、先の大戦における長崎の原爆忌、そして旧満州国などへ、旧ソビエト連邦軍が国際条約違反の軍事進攻を行って、我々日本人の同胞多数が犠牲となった日であります。どちらも歴史の上では同様に重く、戦乱を経験せずに今日まで参った我々が、永く記憶すべき日であるのは事実でしょう。ただ、後者は終戦の日たる8/15を過ぎてから我らが固有領たる北方四島に侵攻、未だ不法占拠を続けている事実も、併せて認識されるべきてしょう。犠牲となった方々に、今年も改めて哀悼の意を表したく思います。

さて前者の事共につき、地元紙C新聞のコラム欄に関連記事があったのでご紹介しておきたい。

「長崎のカステラ店、松翁軒が長年発行している冊子『よむカステラ』の中で、作家の高田 郁さんがカステラの底のザラメについて書いている。もともと、あのザラメは意図して敷いたのではないそうだ。生地に混ぜ込んだザラメが溶け切らず、沈んで底に残ったものという。その『たまたま』がオツな食感を長崎カステラに加えたか。

70回目の長崎の原爆忌である。同じ原爆でも広島と異なったのは、広島のウラニウム型に対し、破壊力の大きいプルトニウム型使用されたこともあるが、長崎への投下には『たまたま』がつきまとったことかもしれぬ。

広島への投下後、米国は次の目標を福岡県小倉市(現・北九州市小倉区)に定めていた。当日、同市上空は前日の空襲で煙が立ち込め視界不良。この結果、第2目標だった長崎に投下目標を切り替えた。苦すぎる『たまたま』である。

どこに投下されようと許せぬ。されど長崎ではなかったかもしれぬと空想したとき、そこで失われた生命の無念さ、口惜しさが胸に迫る。まして広島への投下後、国がただちに終戦を決定したら、長崎への投下はあったか。

現在、世界には16000発以上の核兵器が存在する。生物兵器、化学兵器などは既に禁じられたが、核兵器を禁止する国際法はない。

長崎後の核兵器の戦時使用はない。だが、それにも『たまたま』と付け加えなくてよい理由を小欄は知らぬ。」

まあ、「平和の誓い」を新たにすべき時であるのは事実なるも、いかにも現代日本の大メディアにありがちな理想論の所も目立ち、勿論全てを手放しで称えられる文面では到底ない。例えば「国がただちに終戦を決定したら・・・」の下りにしても、我国政府や陸軍大本営、それに海軍々令部などへは広島原爆投下の報が速やかに伝えられていたはずだし、当時の鈴木(貫)内閣は、終戦へ向けたポツダム宣言受諾などに向けて、御前会議を初めその調整へと全力で動いていたはずだ。緊急時とは言え、当然相応の時間は必要で「ただちに終戦」は不可能に決まっている。又、当時既に我国周辺において、続く東西冷戦の覇権をめぐって米ソ両国が対峙し始めていた所にも留意すべきだろう。その事が、長崎への原爆使用に微妙な影を落とした所もある。核使用禁止の国際法不在を報じたは良いが、それなら、その背景が、先の大戦の戦勝国の軍事的都合による所だって伝えなければならない。今も続く、国際連合安全保障理事会の常任理事国が、当時の戦勝国で独占されているのが好例だろう。核兵器禁止の事共にしても、戦勝国にとって不都合があるから禁止も規制もされない。「貧者の兵器」と言われた生物・化学兵器が早々に禁止されたのとは好対照ではないか。ここの所も、正しい教育と報道がされるべきだと愚考するのだが。

核武装願望は、実は我国にも一部の国会議員や大企業トップ、それに所謂「原子力ムラ」の有力者など、少数ではあるが存在すると言われる。この連中は、一見もっともらしい核抑止力論を持ち出して、核武装の効用を主張している様だが、そうであれば、①我国が使用を許される核実験場が地球上のどこにあるのか?②原発でも問題視される、核廃棄物の具体的な処理計画をどうするのか?③ ②の事から、万一核関連施設にて重大事故を生じた場合、その環境面の救済等と責任のあり方を真剣に追求しているのか?位はたちどころに我々国民市民に向け、淀みのない言葉で明確に語って頂きたいものだ。その説明ができなければ、核云々に言及する資格はない。他国民はもとより、自国民の生活に脅威を及ぼしてまで画策する事でないのは、何よりも福島原発の大事故が雄弁に物語っているだろう。

俺は集団的自衛権を限定行使できる様法整備を目指す、今の安保法制論議に正面から反対する者ではない。この事に際し、安倍政権にはそれこそ政治生命を賭して、国民市民の多くがが得心できるやり方で、急がずとも必ず法案を成立させて欲しい。ただ、この政権の周囲に、法案の法的安定性を蔑んだり、反対勢力に向け、自己都合での反対見解などの不穏当な言動を展開する一部勢力があるのは遺憾。放置しては、内外に危険に繋がる懸念材料をばらまき、法案成立にマイナスとなる事もあり得よう。安倍大臣と関係閣僚は、こうした所にも目を光らし、こうした言動を繰り返す様なら、閣僚は次の内閣改造で降板させ、議員なら次の選挙で落選させるなどの努力をすべきだろう。問題発言をした当該議員は衆議院。民意と違う言動なら、有権者はその氏名を良く把握し、次の選挙で厳しい審判を下すべきだ。現に、前世紀末に行政改革運動を繰り広げたあるメディアの標語には「行革を妨害する議員を落選させよう」と言うのがあった。形こそ違え、歴史同様、過去の事例から学ぶ事もやはり大切だろう。

今回の最後に、原爆忌を初め戦争と平和を考える事についての拙見解を記してひとまずの区切りとしたい。長らく語られて来た様に、先の大戦の様な「泥沼戦争」は、確かに二度と繰り返されるべき事共ではない。ただ「初めに反戦ありき」の如き、日教組的左翼的姿勢も決して好ましくはない。この事について、亡き文学者 福田恆存(ふくだ・つねあり)さんらが、著書にて早い時期よりその不適当さを指摘、問題にされていたのだが、左派万能の高度成長期にあっては中々注目されて来なかった様だ。ただ一方的に「残虐さ」「凄惨さ」が強調されるだけでは、学ぶ方は本当の得心ができず、時が経つと反発する向きだってあるのではないか。必要なのは、先の大戦が残した凄惨な史実や政府や軍部の大きく適切を欠いた軌跡などをありのままに次の世代に紹介して見せ、彼らの頭で善悪を考えさせ、主体的思考や感情に、伝える方の主観を抑えて伝えて行く事だろう。その意味で一番良いのは「先の大戦や、原爆投下はどうだったのか?」に関連する質問をし易い環境を整えてやるのが良いのではないか、と最近になって思っている所です。

今回画像は、少し前の初夏、滋賀県下にて捉えた、雨天下を行く長距離列車「トワイライトEXP」の様子。有名だった「対北海道連絡」の使命を終えた今は、西日本中心に、観光団体列車として動いているとか。当然の事だが「戦争と平和」を考えるのは難しい。幾多の秀逸な政治家や官僚、学者専門家を動員しても、先の大戦の総括や、これからの安保法制のあり方の見通しは叶わないでいる。画像の様に不透明な状況だが、その一方で「人間のやった事」であるのも事実。良い方向を模索する努力と姿勢は、やはり必要な所でしょう。

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今、農村で何が・・・

2015-08-03 15:14:34 | 社会・経済

2015=平成27年8月も、拙ブログを宜しくお願い致します。これまで、毎週日曜日の更新を心がけて来たのだが、昨日は遠出先の新潟県より戻った事もあって果たせなかった。謝 日曜日更新は「原則」とし、例外的に月曜など他の曜日も有り得る事を、一言記す事とします。

東京都下にて先週発生した、小型航空機の墜落事故は、犠牲3名他を伴う大惨事に発展してしまった。当該飛行機は、以前にも事故の履歴があった様で、又、事故当日は満席の乗客乗員と、手荷物などで重量は限界に近かった様だ。更に、伊豆諸島への往復に備えて航空燃料も一杯に積んでいた事が、被害を大きくした様だ。今も原因調査中につき、詳しい言及は控えるが、行程や飛行機の条件に無理はなかったか、整備態勢などは万全だったかの解明が望まれる所だろう。そうした事故全容の解明が、犠牲の方々への供養と、負傷の方々へのお見舞いともなるはずだ。更に、盆休みに向けて、航空を初め、あらゆる交通機関の事故への不安を払拭する一歩ともなるだろう。折しも、大型フェリーや長距離バスなども、事故や火災に関わっている。できるだけの備えをして、来週以降を迎えたいものである。

政治社会の所では、これも先月末以来の、内閣総理大臣補佐官の安保法制を巡る、法的安定性を軽視する様な不適切発言。先程、当該補佐官より謝罪と発言撤回の表明がされたが、野党各党は辞任を求めている様だ。まあ急迫事態に備える安保法制と言えど、一定の法的安定性が求められるのは当然で、それを等閑にする様な印象を与えてしまったのは確かに拙い。速やかな辞任は適当でないかもだが、過去、閣僚クラスで同様な失態を繰り返した人物が居たのは残念ながら事実。当該補佐官が同様な言動を繰り返す様なら、今秋予定の内閣改造で交代させるなどの措置も必要かも知れない。その折、東京新国立競技場の建設費用に掛る責任問題も俎上に乗せるべきであり、当該閣僚を交代させる必要も、場合によってはあろうかと心得る。

もう一つ、民間人の発言で許せないものがあったので触れておく。ある大物女性芸能人が、以前生じた朝鮮民主主義人民共和国による日本人拉致事件につき、未帰還の日本人各位の生還につき「もう諦めるべき」との言動を、強い物言いで表明した様だ。これには各方面より、厳しい非難批判が多く寄せられ、「連れ去られた方のご家族の想いが分っていない」事をメインに糾弾する発言投稿が相次いだ様だ。当然の反応と心得る。当該人物は、「北」当局とも懇意の様で、「戦中日本の無理な半島政策の報い」の様な主張根拠を表していた様だが、これは明白な間違いだ。戦前戦中の旧帝国による半島政策の問題と、この拉致事件はあくまでも別個の事柄として捉えられ、理解されなければならない。恐らくは、「北」当局に丸めこまれ、買収されたとしか思えない。拉致被害ご家族の心痛と共に、この事件は祖国日本の尊厳を根底から揺るがし、日本人の生活基盤を危うくする憤激の売国的一面を持つのだが、その事が一顧だにされていないではないか。「お前、それでも日本人か?」と鈍感な俺も強く思ったものだ。残念ながらこの報道は短時間で削除され、これ以上の詳細は存じないが、事実とすれば確信犯的な所大であり、終身国外追放にする位の厳しい処分が下されても良いとも思うのだが。

さて前置きが長くなってしまったが本題です。恐れながら俺は、先月末より昨日まで、日時を得て日本海側へ遠出に参っていた。天気は良いが大変暑い日々。それでも一定の画像記録を得られたのは良かったと思います。その道すがら、新潟県北方の農村部へ参ったのだが、そちらの田畑には、画像の様に作物を防護ネットで覆っている所が多く見られた。山間近くなど、地主さん宅より離れている所は勿論、住宅地に隣接する人里の畑でさえそうである。種類的には、稲以外の全作物に及び、人力をもってしても、作物の持ち出しは困難に思われた。これは或いは、動物の食害でもあるのか・・とふと思い。

最寄のJR駅にて、地元の方と会話の機会があったのでお伺いした所、やはり動物の食害に備えたものである事が分った。その土地、新潟県北部では、最近特にニホンザルによる作物の食害や盗難が目立ち、住人のいらす住居そばの畑にも、夜間堂々と侵入し、果物などは言うに及ばず、地下の芋類さえも手を出す始末。掘り出して持ち去ってしまう由。それ以外にも、シカなどが出没して作物を失敬する事もある様で、結局殆どの農家が対策を余儀なくされていると言う。こうした問題は全国各地で起きており、想像以上に被害が深刻である事が窺えた。

農業の動物対策と言えば、一定の電流を送って近づく動物に電気ショックを与え、農作物への手出しを諦めさせる電気柵が有名。当地愛知や岐阜近郊辺りでも設置を良く見かけるが、報道によると、万一切断して漏電した場合を想定した遮断機設置や、一定以上に電圧を上げない規制などが徹底していないのが遺憾だ。先月下旬、東日本だったと思うが、人が触れても電気柵の電流が遮断されず、又、違法な高電圧が通っていた為、複数の犠牲を生じた事故は記憶に新しい所だ。確かにこうした不適切な設備は取り締まられるべきだが、動物食害が全国で続出している現状よりは、情状の余地もあろうかと心得る。

我国農業の今後に暗雲ともなりかねない動物食害問題。原因は、動物保護運動のバランスの悪さから来る過保護が一つにはあろう。例えばシカは、天敵たるオオカミなどの、人にとっても危険な動物が先に駆除されてしまい、自然界のバランスを取った施策が等閑にされた。あるいは、イノシシなどの様に目立った天敵が初めからおらず、最近の餌事情などで過度に繁殖してしまった不幸な例もある。それと関連するのが山間の乱開発。自然と上手く折り合いをつける、伝統的な開発手法が蔑まれ、20世紀途中までの米国的な、何でも人の都合に合わせる大規模過ぎる開発が、山間や森林を荒廃させ、そのあおりが動物達を田畑へと向かわせているのではないか。つまりそうした失策のツケ回しが形になって来ていると言う事だ。後、必要な狩猟活動への国民的理解が、浅い短絡的な残酷さを理由に中々進まない事も一因と言えるだろう。

とまれこのままでは、我国の農業は根底から危なくなってしまう。食糧自給率向上へ向けた、農業政策を見直す前に、まずこうした事共への対応を急ぐべきだ。健全な狩猟を国家的にサポートし、山間の開発にも必要な規制を加えて、動物の異常発生を時間をかけて抑え込むしか方法はなさそうだ。今日明日などの、短期的な対策としては、防護ネットや電気柵もそれは必要だろうが、長い目では、やはり以前の様に、人と動物の健全な住み分けと共存が図られるべき。そうする事で、余計な対策から農業関係の方々を解放してこそ、本来目標の、良質な食糧増産へも道が開けると言う事だろう。

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