Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

惜春~又いつか・・・

2005-03-31 23:21:00 | インポート
一昨日の続きです。
ほぼ1世紀に亘り岐阜の街、そしてその近郊を走り続けた路面電車、岐阜市内線とその関連路線揖斐線、美濃町線、田神線の終焉がいよいよ目前となりました。
この日記を綴っている時間には、各線の最終電車が各々の終点へ向け、出発している頃でしょう。終電後各車両は折り返し、明日未明にかけて岐阜中心部の東にある業務基地に終結し、このまま引退するものもあれば他の鉄道線へ引っ越すべく準備に入るものもある事と思います。
思えば愛好者達から名鉄600V線と呼ばれたこれら路線の最初の記憶は私がまだ幼少の頃、当時の国鉄、今のJR飯田線と並んで太古の電車の宝庫だったのを薄っすらと覚えています。
写真を撮る様になったのは10年程前からで、当時もまだ古参車両が多く残っていましたが、この頃から新造電車も多く現れ、車両の若返りが進んだ様でした。
前世紀末から今世紀初めにかけ、郊外の揖斐線や美濃町線の終端部と谷汲線が主に過疎化により廃止、写真の中心も主に先に姿を消したそうした区間でした。この頃から運営していた名古屋鉄道の撤退が噂される様になりました。
今度はこれら路線の残り全部、総延長36余kmの線路が一気に失われる訳で、特に市内線と揖斐線は終日15分毎の運転で利用者もかなりあり、明日からの廃止後の影響は甚大と思われます。
その一方で僅かな希望の動きも見受けられます。
現状では廃止予定の路線を引き継ぎ、運行を再開させるべく地元有志が新会社の設立へと動き出しています。上手くすれば年内にも再開が実現できるかもとの事。
私はこの動きに一縷の望みを託すと共に、心よりの声援を送りたく思います。
それと同時に、今度の廃止劇に接し学び得た事は、最早街の公共の足も、鉄道などの交通企業まかせでは無理があるのではないかと言う事です。
前述の地元の動きからも解かる様に「自分たちの交通手段は自分達で守る」と言う時代が来ているのかも知れません。
この路面電車再生への動きは、今後とも引続き見守って参りたく思います。
良き展望が開ける事を願いつつ、ラタ、マイ月・・・。*(桜)*



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課題~岐路に立つ

2005-03-29 23:15:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

「地球環境」がテーマの「愛・地球博」。
この所ようやく客足も伸びて来た様です。
春本番となる来月からは本格的な混雑となるかも知れませんね。
とまあ一応はめでたい催事なのですが、その一方で事実上の北隣岐阜市では遺憾な出来事が起きています。昨年からお越し下さっている方々には今夜のタイトルでもうお解りでしょうか。そうです。岐阜の路面電車「岐阜市内線」とその関連線区である揖斐線、美濃町線、田神線がいよいよ後2日でその営業を終えます。
終焉が決定的となったのは昨年夏。これら線区の運営に当っている名古屋鉄道が収支悪化を理由にこの3月一杯にての事業撤退を表明、一時は行政主導による存続も模索されましたが施設譲渡などを巡って条件が折り合わず、結局沿線自治体が諦めてしまい、このままですと来月以降廃止もしくは長期休止のいずれかを余儀なくされそうな情勢です。
私はこの問題を、当日記と当HP写真帖にて取り上げて参りました。なぜこうもこだわるかと申しますと、今回のこの問題は「消え行くものへの郷愁」レベルでは済まされないものを感じているからであります。
岐阜の街・・・昨年よりもう何回参ったか解らない程往来しています。その中心部の交通混雑は名古屋同様、極めて深刻なレベルであり、自家用車で直接乗り入れる事の限界を感じさせる場面に多く接しました。
今は故人となった作家、中野孝次さんもコメントなされていましたが、今後の大都市の中心部は極力自動車の乗り入れをさせない所謂トランジット・モールを拡充すべきとのご意見でした。この街造りは既にヨーロッパでかなり広まっている様です。
日本でもこの考え方は可能な限り取り入れられるべきであり、岐阜がその先駆となる可能性を秘めていただけに余計無念さが募る次第です。
現在は良くても、加齢と共に我々はいずれ自家用車に乗れなくなる日が来る事でしょう。それは既に老境に達した我が両親の現状を見れば理解できる事であり、高齢者に代表される交通弱者の移動手段確保の為にもこうした公共交通は保全されるべきであると考えます。今月は最後までに後1回、この問題に触れたいですが後半はこの路面電車を巡る新たな動きを中心に追ってみたく思います。*(コメント)*




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「愛・地球博」開幕!

2005-03-26 23:26:00 | インポート
皆様ご存知の、今世紀初の国際博覧会「愛・地球博」が昨日より開幕致しました。
興行的成功を収められるか、一時危惧もされましたが前売券約800万枚は事前完売、初日こそ低温など天候不順もあって約43000人と当初予想を大きく下回りましたが、このままでは終わらないでしょう。今日土曜日の入場者は確実に昨日を上回った様で、特に予約や入場整理券が必要な人気館は観覧できない方も多数出る人気の様です。
さて予想通り、飲食物持込不可の通達が徹底していなかった様ですね。入場門にて大量の飲料ペットボトルや弁当類が押収処分された由。保安&食中毒対策との趣旨は解かりますが、それならば来場者全員が直ちに理解できる様、もっと周知を徹底する余地があったのではないでしょうか。
会場までの交通混雑は現状まだ起きていないと言われていますが、混雑が本格化するG.Wを控えた4月後半からが正念場でしょう。
場内の交通アクセスは必ずしも十分でなく、別料金であるのも問題との指摘もなされています。又、場内販売される飲料も温かいものが選べないのも問題の1つでしょう。駐車場を含め、諸施設の案内のあり方も改善の余地がありそう。博覧会国際事務局は、期間中の入場者目標1500万人の達成は十分可能との見解を明らかにしていますが、今後早急にこうした初期の問題を分析し改善して行かないと、大阪万博の様なリピーター確保に繋がらない恐れもあり、真剣な取組みが求められる事と思います。*(日本)*



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「愛・地球博」直前展望

2005-03-24 01:00:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

多くのメディアにて報道の通り、21世紀初の国際博覧会「愛・地球博」が目前に迫って参りました。そこで今夜は、同博の成功を祈り、直前の状況を少し検証してみたく思います。
実は先週末、開催に先立って地元住民や出展関連団体向けの内覧会が催され、この時だけで実に数万人の入場を見ています。
この時に浮かび上がった問題点を以下に記して参ります。
①人気展示館の入場方法
②会場までの交通混雑 
③会場内の供食態勢
④案内板等の整備
等が問題とされています。
特に②は以前から大いに問題視されている所です。
入場客の多くは名古屋都心より地下鉄東山線とリニア・モーター列車「リニモ」を乗り継いで同市東郊の会場を目指す事となりますが、両者の輸送力に差がある為乗換駅の藤ヶ丘(同市名東区)にて乗客多数が滞留する問題が指摘され、内覧会でも最大1時間半を超える待ち時間が発生、又もう1つのルート、JR名古屋駅より会場近くを結ぶJR東海の連絡列車「エキスポ・シャトル」の方も同時に最大1時間を超える待ち時間を生じています。
主催者側は、週末などの最混雑時には藤ヶ丘~会場間に臨時バスを増発、特に混雑するであろうリニモ列車のアシストを図る意向の様ですが、十分とは言えない感もありますね。
③の問題も深刻な様です。
特に夏場の食中毒対策の為、会場内の弁当類持込が禁止され、場内の飲食施設を利用する事となりますが、内覧会の段階でピーク時、1時間以上待ちの状態が頻発した模様。週末には更に拡充を図る必要がありそうです。
①と④は互いに関連する項目ですので、まとめて簡単に記しますが、特に人気展示の場合、インターネット予約などで待ち時間の短縮を図る方策も執られる様ですが、内覧会の段階では各館の入場整理の方法が統一されていなかった為混乱が起きた様ですし、待ち時間を表す案内板にしても、関係者もその位置等を把握していないケースが見られた様です。
日付が変わり、遂に後1日となりました。
後1日しかないなどと言わず、1人でも多くの入場客が少しでも快適に見物できる様、又安全に会場まで往来できる様、最後まで周到な準備を願いたい所です。*(日本)*
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爪跡・・・

2005-03-21 16:42:00 | インポート
一昨日、昨日と、まだ昨秋の中越地震の傷跡の癒えない新潟へ行って参りました。
つい昨日も、北九州が烈震に見舞われました。やはり我々の国土は世界に冠たる地震大国の様です。余り考えたくはありませんが、やはり自分の地元も何時見舞われるか判らない、位の危機感を持っていた方が良さそうです。まずはこの両地域の各位に改めてお見舞い申し上げます。
さて恐れながら、その中越地震の震源地を通る事となりました。今回の行程はJRの特割切符「青春18」による普通列車乗り継ぎの旅。夜行列車に乗る場面もありました。早朝の東京、そして群馬での乗換、朝の上越国境は正に、川端康成さんの小説「雪国」の通りの天候でした。
積雪は軽く2m超、彼岸と言うのになおも降り続く雪は直ぐに線路を覆い尽くし、一時は列車の運転が続けられるのか、不安が過ぎったものでした。
地震の震源地近くでは線路の路盤の半分が失われ、本来は複線であった線路の片側だけが復旧しての交互通行、速度制限も厳しく行われ、発生から半年近くを経た今もなお、二次災害の危険が去っていない事を思い知らされたものでした。
越後平野へと抜け、新潟市街はほぼ雪解けしていましたが、山に近い長岡辺りはまだ雪深く、地震と大雪が重なったこの地方の苦悩が直に伝わってくる感じでした。
これとは裏腹に、山間のスキー場はどこも大変賑わい、私の乗った列車にも多くのスキー客が同乗していました。自家用車やバスでの来場も増えたとは言え、上越線は多くの有名スキー場のすぐそばを通り、今も首都圏からの大切な足として機能している様です。
雪の多い今冬は、これまで不振と言われた冬のリゾート地が息を吹き返している様で、同じ地域でも悲喜こもごも、見ていてどうも複雑な想いに駆られました。
沿線にはまだ電柱が傾いたままの箇所も多く見られ、せめて本格復旧に向け、春の雪解けが近い事を祈りたい所です。*(結晶)*



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