主な閣僚などの政治家各位が、海外に出かけられる意味の言葉「外遊(がいゆう)」に、少なからぬ引っ掛かりを覚える者だ。辞書などで 一応はその意味が言葉を尽くして説明されているのは分かるが、特に昨今はどうも「国会活動を蔑ろにして、その議論から逃避する目的で 出かけられている」風の印象操作がされている様な気がしてならない。以下、某ネット記事を参照して 見て参りたい。
「外遊とは、留学や研究、視察などを目的として外国を旅行するねことを指す。特に政治家など『公人』の外国訪問に対して使われることが多い」
日本の内閣総理大臣として初の外遊を行ったのは、大東亜戦争こと太平洋戦争中の 1943=昭和18年に、アジア各地を歴訪した 東條英機元総理である。戦後は1951=同26年の 吉田 茂元総理を皮切りに、外遊が総理大臣の職務の一つとして一般化して行った。総理大臣の初外遊は、米合衆国になることが多い。日米同盟重視の立場から 総理大臣就任後 真っ先に渡米して米大使館に顔見せをすることが慣例視されていたこともある。
日本の国会議員の場合は、政治日程上 国会閉会中や自然休会中に行われることが多く、例年 政治休戦の時期になる ゴールデン・ウィーク中、8月、年末年始には 与野党ともに多くの国会議員が外遊に出かける。閣僚のの外遊については、大臣規範で閣議了解とされている。また国会期間中の国会議員や閣僚の外遊には 衆参両院の議院運営委員会で了承を得る慣例がある。
「外遊」は遊びか?
新聞などでは、(国会)議員らの海外出張をよく「外遊」と表記するが、先日 ある大物政治家から「遊びに行っているような書き方だ」と指摘された。広辞苑で調べると、外遊の項目には「外国に旅行すること」とある。なるほど、仕事での海外訪問を、遊びの旅行と一緒にされては気を悪くするだろう。
ただ、漢字の「遊」は、軍隊の遊軍や遊兵、野球の遊撃手などにも使われる。いずれも「遊ぶ」という意味ではない。
そこで再び広辞苑」で「遊」を調べてみると「他国に出ること」や「一定の位置や所属がなく、自由に動くこと」という意味もある。軍隊などの機動的なことを指す言葉の様だ。外遊中、本当に遊んでいる政治家もいるが、機動的に働く方々もおられ、日夜機動的に活躍をされる事だろう。所で 新聞社にも友遊軍記者がいる。勿論 遊んでいる記者の事ではない。(引用ここまで)
この「外遊」なる言葉の印象づけは、実は相当に深甚なのではないだろうか。報道社局も、概ね「言葉の影響」を気に留める事なく使っている様だが、何気に言ったその一言が、相手や対象を深く傷つける、或いは読み手たる国民市民をミス・リードする可能性はゼロではない。遊=遊びでは必ずしもない所を、小中学生らが多く使い、その結果 相手側が不当に追い詰められるケースも、皆無とは言えないだろうし。
とに角「外遊」の意味は、複数の記事から分かったが、どうか今後は 後悔のない様向き合いを求めたい。 今回の 国会停滞という「火災」などとの向き合いが「鎮火技術」の向上に繋がると共に「野党や報道にも利用されかねない」曖昧な印象強い「外遊」の意味をどう理解するか、未来へ向け このままで良いのか、我々は全国民レベルで この言葉の今後を考えた方が良い。昨今、国会審議が滞っているのも、元を糾せば 与党の優柔不断と、野党の攻撃オンリーしかない不良姿勢だ。
「外遊」の見方が、これまでの狭いあり方から脱却できれば、国会期間中と言えど、閣僚の 必要な国際重要会合に 臨機応変に出かけられるはずだ。国益と国民の福利が第一とするならば、こうした見方は、早めに糾されるべき。今回画像は、熱田神宮近くの名鉄・名古屋本線を東上する 装いを変えた同線特急「パノラマ・スーパー」の図。これからは、この姿でお目にかかれるという事でしょう。