コナサン、ミンバンワ!今年2006=平成18年も今日限りと相成った。
事件事故や政治社会の不祥事多く、最後まで暗めのイメージが先行した年であったが、最後に1つ、希望の出来事が聞えて来た。難病に見舞われ入院治療中だった喜劇俳優 加藤 茶さんが極めて困難な手術治療を乗り越え、先日無事ご退院になった模様。
同氏は1943=昭和18年東京都のご出身。1962=昭和37年頃、当初は音楽バンドとして発足したザ・ドリフターズに第2期メンバーとして故・いかりや長介さんに続き加入。後に高木ブー、荒井 注、中本工事、更に志村けんの各氏を加えて我国喜劇界の大御所へと駆け上がったのは有名な所だろう。
加藤さんは常に同グループの中心メンバーとして、数多くのギャグやコント、人気フレーズと共に一時代を築いたが、今秋以降体調が優れず診断の結果、死亡率が極めて高い心臓系疾患、スタンフォードA型大動脈解離に陥った事が判明。以後、死を賭けた治療に取組む事となる。
最大の山場、手術治療は約10時間にも及び、3時間近い心臓停止と23℃まで低下のやむなきとなった低い体温状況を克服、この度奇跡的とも言える生還を果した次第。
この慶事を当然奉祝する俺だが、このご快癒の裏には当然、加藤さんの生還に向けた強い信念と執着があった事は想像に難くない。かつて阪神・淡路大震災の折に辛くも救出された高齢女性の記事に接したジャズ音楽家 MALTAさんは「この記事から、生への執着の大切さを知った」旨のコメントを残していらすが、この事は今回の加藤さんのケースにもズバリ当てはまると思う。
「仲間の為、そして家族の為にも、私の代わりは誰もいない。故にここで、絶対に倒れる事はできない」との生への強い意志と執着が同氏を支え、ひいてはご快癒へと導いたのではないか。芸能人にありがちな、相当の飲酒と不養生があった事を考慮しても、今回のご退院は慶事と言える。
勿論当面は要静養だろうが、加藤さんが又来春、笑いの一線に戻っていらす事を心よりお祈りして、今年の当プログの締めくくりとしたい。ラタ、マイ年!