2月は「逃げる」と言うらしいが、この2015=平成27年2月は、随分長く感じさせられた気がしている所だ。気候面にて、雨の頻度が増えるなど、厳冬より早春への移ろいの気配が感じられるのが救いではあるのだが。
引き続き負傷入院中の母の見舞いもあって、週に一度位は病院を訪ねるのだが、入院患者各位のあり様には、改めて驚かされ、かつ嘆かざるを得ない所もありかと心得る。
母のいる総合病院は、三階分のフロアに百数十の病床があり、現状各フロア45人前後の患者さん方が居られる様だ。この中の相当数、ほぼ四割近くが、夜間は勿論、日中も自由に起き上がる事のできない、所謂「寝たきり状態」の方々。松葉杖や車椅子の使用を余儀なくされている方々も多いが、母を含め、建物内の移動ができるだけまだマシな方。中には毎回訪れても床に伏したきりで、日毎の食事や下の用、それに週何度かは必要であろう入浴などはどうされているのか、疑問符のつく方々が複数いらすのである。
俺はこの光景を見て、我国の医療福祉はこのままで良いのか、と首をかしげざるを得なくなってしまった。これまでも「社会的入院」などと称して、(風聞で恐縮だが)同一病院への入院は、原則三か月が上限で、この為名古屋市内やその周辺各所の病院を転々とし、数年を過ごした挙句にご逝去となった方が複数ある話も聞いた事がある。又、入院以来、ご家族など見舞いの方々が全くないと言う、嘆かわしいケースもあるらしい。病院内の昇降機EVには、不幸にも院内で最期を遂げた方々向けのものもあると聞いた。こうした話は勿論、母のいる病院のみならず、当地各所にて生じている様だ。余り余裕のない状況下、連日の激務に晒される医療関係の方々への配慮も、それは必要であろう。
父もたまに出かける高齢者向けの福祉施設が徐々に整備されて来ているのは認めるが、まだまだ増大する高齢化に追いついていない印象を受ける。先手を打つ事に成功した「福祉の先進」と言われる北欧諸国に対し、我国のそれは、残念ながら後手に回ってしまったのだろう。長らく、「世間の長老」高齢層は、周りの若い家族親族が老後のフォローをするのが当然とする伝統が、少子化の進展もあって維持困難となり、我国行政がその事に過剰な期待を持ち続けていた事のツケの面もあろう。国家全体レベルの財政再建と共に、高齢化に見合った福祉の近代化の為には、その有力財源たる消費税の将来へ向けての上方改定が不可避とされるが、国政選挙もさる事ながら、一度国民投票で消費増税の是非を問う事をしても良いと俺は思うのだが。
もう一つ、「三権」あるとされる国家権力の一つ、司法への国民参加に道を開かんとして2009=平成21年に発足した裁判員制度が、間もなく六年を迎えようとしている。地方裁判所にての第一審とは言え、裁判員に指名された一般庶民の見解が判決に反映される仕組みの影響は小さくなく、参加された多くの方々の意識を相当に変えたとの話も聞いた。ただ、残忍な凶悪事件などの画像など、精神的衝撃の大きい物的証拠などに接さざるを得ない場合の援護など、課題が多くあるのも事実だ。この制度を今後も続けるのか、或いは廃止を含めて見直すのか、こちらも国民投票を行って民意を問う事をしても良いのではないか。勿論、国民投票の主題は、既に使命を終えたとされる、戦後レジーム最大の拠り所だった日本国憲法の見直しにある事は認めるし、それ以外の対象向けにも、別途法整備が必要な事だろうが。
明ければ三月、2014=平成26年度も末を迎える。俺自身や両親、親族を含め、この年度末と続く春が、つつがないものである事を心より祈念したい所である。私事で恐縮だが、拙サイトも、長らく親しんだOCNのHPフォームが今日限りで終了の為、「HAKASEの隠し部屋の別室」を閉鎖致しました。長らくのご閲覧への感謝と共に、当面は規模縮小となるも、引き続き構って下されば幸いであります。
今回画像は、昨年の春先、やはり良く出かける浜名湖競艇場付近にての、東海道・山陽新幹線の様子を。
引き続き負傷入院中の母の見舞いもあって、週に一度位は病院を訪ねるのだが、入院患者各位のあり様には、改めて驚かされ、かつ嘆かざるを得ない所もありかと心得る。
母のいる総合病院は、三階分のフロアに百数十の病床があり、現状各フロア45人前後の患者さん方が居られる様だ。この中の相当数、ほぼ四割近くが、夜間は勿論、日中も自由に起き上がる事のできない、所謂「寝たきり状態」の方々。松葉杖や車椅子の使用を余儀なくされている方々も多いが、母を含め、建物内の移動ができるだけまだマシな方。中には毎回訪れても床に伏したきりで、日毎の食事や下の用、それに週何度かは必要であろう入浴などはどうされているのか、疑問符のつく方々が複数いらすのである。
俺はこの光景を見て、我国の医療福祉はこのままで良いのか、と首をかしげざるを得なくなってしまった。これまでも「社会的入院」などと称して、(風聞で恐縮だが)同一病院への入院は、原則三か月が上限で、この為名古屋市内やその周辺各所の病院を転々とし、数年を過ごした挙句にご逝去となった方が複数ある話も聞いた事がある。又、入院以来、ご家族など見舞いの方々が全くないと言う、嘆かわしいケースもあるらしい。病院内の昇降機EVには、不幸にも院内で最期を遂げた方々向けのものもあると聞いた。こうした話は勿論、母のいる病院のみならず、当地各所にて生じている様だ。余り余裕のない状況下、連日の激務に晒される医療関係の方々への配慮も、それは必要であろう。
父もたまに出かける高齢者向けの福祉施設が徐々に整備されて来ているのは認めるが、まだまだ増大する高齢化に追いついていない印象を受ける。先手を打つ事に成功した「福祉の先進」と言われる北欧諸国に対し、我国のそれは、残念ながら後手に回ってしまったのだろう。長らく、「世間の長老」高齢層は、周りの若い家族親族が老後のフォローをするのが当然とする伝統が、少子化の進展もあって維持困難となり、我国行政がその事に過剰な期待を持ち続けていた事のツケの面もあろう。国家全体レベルの財政再建と共に、高齢化に見合った福祉の近代化の為には、その有力財源たる消費税の将来へ向けての上方改定が不可避とされるが、国政選挙もさる事ながら、一度国民投票で消費増税の是非を問う事をしても良いと俺は思うのだが。
もう一つ、「三権」あるとされる国家権力の一つ、司法への国民参加に道を開かんとして2009=平成21年に発足した裁判員制度が、間もなく六年を迎えようとしている。地方裁判所にての第一審とは言え、裁判員に指名された一般庶民の見解が判決に反映される仕組みの影響は小さくなく、参加された多くの方々の意識を相当に変えたとの話も聞いた。ただ、残忍な凶悪事件などの画像など、精神的衝撃の大きい物的証拠などに接さざるを得ない場合の援護など、課題が多くあるのも事実だ。この制度を今後も続けるのか、或いは廃止を含めて見直すのか、こちらも国民投票を行って民意を問う事をしても良いのではないか。勿論、国民投票の主題は、既に使命を終えたとされる、戦後レジーム最大の拠り所だった日本国憲法の見直しにある事は認めるし、それ以外の対象向けにも、別途法整備が必要な事だろうが。
明ければ三月、2014=平成26年度も末を迎える。俺自身や両親、親族を含め、この年度末と続く春が、つつがないものである事を心より祈念したい所である。私事で恐縮だが、拙サイトも、長らく親しんだOCNのHPフォームが今日限りで終了の為、「HAKASEの隠し部屋の別室」を閉鎖致しました。長らくのご閲覧への感謝と共に、当面は規模縮小となるも、引き続き構って下されば幸いであります。
今回画像は、昨年の春先、やはり良く出かける浜名湖競艇場付近にての、東海道・山陽新幹線の様子を。