2012=平成24年1月も、早下旬となった。昨年暮れ以来の近隣よりの深夜暖房騒音問題への対応に振り回されている内に、新年の1か月が過ぎてしまった感じ。拙居所の賃貸管理部門や、騒音発生元の住民への意図が中々伝わらず、一時は転居も視野に入れたものだが、ここ数日は幸か不幸か騒音が抑えられて来ているのも事実。ここはもう数日様子を見、それでも収束しなければ、再度管理部門と相談の上、発生元に直接申し入れをする必要もありかと考え中。勿論、事を穏便に済ませる心がけも必要かとは心得る。
それはさておき、先の震災、東日本大震災の政府級対策会議にて、国家危機に関わる重大会合であったにも関わらず、議事録や議事概要の全部又は一部が作成されていない不祥事が露見したのはご存知かと思う。世間はプロ野球、ダルビッシュ有 日本ハムファイターズ投手の合衆国プロ野球大リーグ進出や、若手芸能集団AKB48の日本ゴールド・ディスク大賞受賞などの報に沸いている様だが、それすら俺の側からすれば大したネタではない。喜びたければ喜んで結構だが、その陰のこうしたトンデモ事態にも、せいぜい目を向けて頂きたい。
以下、Gooニュースにて紹介された、読売オンラインの記事を引用し、この問題を見て参る事としたい。
『「政治主導」、官僚と溝・・・議事録作らず』
『政府の東日本大震災関連の10組織で、議事録や議事概要の全部又は一部が作成されていない事が、27日明らかになった。
「政治主導」を重視する民主党政権が、頻繁に設ける関係閣僚会議などでも、議事録の有無は不明だ。国家運営に対する感覚や歴史観が足りないとの批判が多い、民主党の体質が改めて問われそうだ。
「この様な問題が生じた元となる原因を分析し、必要な改善策が作成され講じられるべきだ。」27日夜の記者会見で、岡田副首相(公文書管理担当)は、早急に改善策を取りまとめる考えを強調した。
今回調べた15組織中、議事録・議事概要のいずれも不備の原子力災害・緊急災害の両対策本部、被災者生活支援チームの3組織は、震災とT電力原子力発電所事故対応を担う中核だ。
日本の国家的危機への対応はなぜ記録されなかったのか。会合の大半に、官僚が同席していたにも関わらずだ。政府関係者は、昨春の東日本大震災の直後、災害対応に忙殺された事を理由に挙げる。「電力供給に関する検討会合」事務局の内閣官房職員は「昨春の被災直後は業務が多忙で、正直議事録作成まで頭が回らなかった」と釈明する。
しかし、物理的な多忙さだけでなく、「政治主導」を標榜(ひょうぼう)する民主党政権の体質が影を落としたのでは、との指摘も出ている。政府内では(公文書管理法規に定めがある以上)震災直後から公文書作成が必要、との認識は共有されていたはずだった。
「震災から1か月経過した事を踏まえ、関連資料保存に留意願いたい」
滝野欣弥官房副長官(当時)は、昨年4/12の被災者生活支援各府省連絡会議で、居並ぶ各府省の担当者に文書作成と保存の徹底を指示した(はずだった)。
ところが、その後も議事録問題は事実上たな晒しになっていた。当時の内閣官房幹部は「政務三役から言われない限り、敢えて過去の会議の議事録を事後作成しようと言い出す発想は、官僚にはない」と語り、政権内での政治家と官僚の"溝"を指摘する。
鳩山(失政)政権下で迷走し、同政権の(自爆的)命取りとなった、米合衆国軍普天間飛行場移転問題に関する関係閣僚の協議などは、官僚は最初から排除され、政治家との距離は広がった。その揚句「非公式扱いで、議事録に残されていないものも多い(政務三役経験者談)」とされる。』
この「真性」トンデモ事実を、皆様はどうお思いになりますか?本当に、一国の存亡の危機とも言える、先の震災関連対策の重要会議の議事録も議事概要も残さない不良姿勢には、呆れてものも申せない。一体「公文書管理法規」を読んで把握し、実践していたのか?と糾したい。原子力災害など、重要3会合の議事録は作成やり直しも企図されている様だが、過去に文面すら残っていない議事の記録を今から作るのには、相当な不安が伴うとの指摘も、多くの専門家から出されているのだ。最早「忙しかったから」などの言い訳で済まされるはずはなく、「政治主導」を履き違え、官僚群を上手く使って難局と向合うのが真の政治主導たる事をろくに理解もしない、民主党の体質より生じた問題が事実なら、正に言語道断と申すべきだろう。これで、民主党政権は、社会保障と税の一体改革の面での不備と並び、更に衆院解散総選挙の時期を近づけてしまったと申しても良いだろう。
もう一つ、これは民主党政権に留まらない我々日本人の抱える病理かも知れないが、歴史教育を軽視し続けて来たツケの印象も付き纏う。戦後一貫して、我々は、特に祖国日本の近現代史についての教育を、丁寧には施される事のないまま成人して来た。その事は、きちんと教えたはずの古代中世史の軽視をも招き、日本人より「歴史に学ぶ」謙虚な姿勢を奪い去り、大切な事共を記録する姿勢をも失わせてしまった様に思えてならないのである。こうした教育面にも真摯にメスを入れない限り、この様な不祥事は、繰り返されるのではないだろうか。