コナサン、ミンバンワ!歴史的猛暑と言われる今夏、当地名古屋の猛暑日が、遂に10連続日を超えた。こんな気候は過去に記憶がなく、先日も触れたかもだが、最早年齢、性別に関係なく熱中症など夏の疾病に警戒しなければならないレベルの様だ。例年なら長時間の使用を躊躇う冷房も、少しでも必要を感じたら是非作動させるべきだし、頻繁な水分補給も、気にせずにすべきだろう。もう「いつもの夏とは違う」位の意識を持たないと、とのレベルまで来ていると強く思う。その一方で、盆前よりは雲が出易くなり、徐々にだが季節の変わり目へと移ろっている感じがするのも事実である。
さて、暑さで気でもふれたかと思わせる出来事が又一つ。先の大戦下、特に広島原爆をメインに取り上げた劇画「はだしのゲン」の図書館公開を巡って、西日本のある地域で、閲覧制限を行ったとの報を聞いた。この作品は、俺も全部とは行かぬものの、多くを拝読した事があり、又、後年公開の実写版映画をTVにて拝見した事がある。戦中の旧軍による、アジア圏の各位への蛮行シーンが残虐性ありとして規制された様だが、一部の歴史修正派と呼ばれる勢力より規制圧力があったとかの説もあり、詳細は明かされていない。ただ、教育関係者らによる解説を適正に行うなど条件付きでの公開の方途はあるはずで、これが実行されない所に、現代の我国の知力が低下したとの印象が拭えないのも事実。以下、ネット上で拝見した某誌記事を引用して、この問題を見て参る事としたい。
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『はだしのゲン』にみる人の醜さと不条理な衝動 呉 智英(くれ・ともふさ)が語る
『はだしのゲン』がなければ、被爆の悲惨な実態がここまで伝わってこなかったのではなかろうか。今年は週刊少年ジャンプでの連載が始まってから40年。作者の中沢啓治さんが昨年12月に亡くなってから、初めての夏となる。中沢さんにもマンガへの造詣の深さを認められた評論家の呉 智英さんに「ゲン」への思いを語ってもらった。
『はだしのゲン』は、少年ジャンプの連載時から読んでいました。当時から「平和や反核へのメッセージ」というような政治的文脈で読まれることが多く、違和感を覚えていました。確かに原爆の悲惨さを告発していることは間違いない。とはいえ、そんな反戦、反核のアジビラみたいな単純な作品じゃない、と。
たとえばこんなシーン。画家を志していた青年、政二が被爆してヤケドを負い、優しかった家族からは「ピカ(原爆)の毒がうつる」と疎まれ、近所からも「おばけ」と不気味がられます。ゲンは1日3円の報酬で政二の身の回りの世話を引き受ける。ゲンがリヤカーに乗せて連れ出すと、政二は突然、自分の包帯を取り、「このみにくい姿をみんなの目の奥にたたきこんで一生きえないようにしてやる。それがわしのしかえしじゃ」と、その姿を町民の前にさらすのです。政二にとって憎むべきは、原爆を落としたアメリカでも、泥沼の戦争を長引かせた日本政府でもなかった。程度の差こそあれ、同じ被爆者である近所の人たちだったのです。
また、ゲンの妹で赤ん坊の友子が誘拐され、家族も家も失った被爆者たちが集まるバラック屋で「お姫さま」と崇められている奇妙な場面があります。大きな惨禍の後には、人々が助け合うつかの間の共同体「災害ユートピア」が生まれることは最近よく言われますし、「天罰が下った」「新しい世が来る」といった宗教的な情熱が、人々の心を支配したりすることも実は往々にして起きるのです。
このように「ゲン」には人間の汚さや醜さ、不条理な衝動や現象、心の影といったことに至るまで、被爆という悲しい現実が描かれています。大江健三郎氏は「被爆者である原爆体験の民話である」と評しました。表面的な報道、政治家や識者が語るきれいごとの平和論では触れられることのない民衆の現実。それが、作品の魅力となって読む人の心を引き付けるのです。
そんな持論を以前から語ってきたものの、中沢さんが作品に込めたメッセージとはズレているかもしれない、と懸念していました。ところが、中沢さん直々のご指名で『ゲン』の文庫本などの解説を書かせてもらったんです。「あの人はマンガっていうものをわかっている」と言ってくれたと編集者を介して聞いたときは、素直にうれしかった。
中沢さんには一度もお会いできませんでした。非常に残念です。もしお話しする機会があったら、ファンとして、マンガマニアとして、看板屋で働きながらマンガ修行をしていたときのこと、上京して「タイガーマスク」の漫画家・辻なおき氏のアシスタントをしていた若き日の思い出なんかを聞いてみたかったなあ。
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呉さんは、当地愛知の誇る俊英のお一人。所謂左傾勢力とは距離を置きながら、優れた思考バランスを武器に、努めて公正な見方を心がける姿勢はこの記事にも生かされており、俺は敬愛の念を新たにしている所。「ゲン」の閲覧禁止もしくは制限を主張した勢力は、一説には首都圏にて、他のアジア圏の各位を差別する「ヘイト・スピーチ」を行った向きに近いとの話も聞いた。そう言う主張は、一度この記事を通読してからにした方が良い。確かに、中国大陸や九州北方の某半島に住まう各位は、その多くが感心しない所あるのは事実なるも、彼らの尊厳に関わる様な言動には組しかねるし、同じ思考が底流にあるなら、やはり距離を置かざるを得まい。それ以外にも、旧軍の蛮行に絡む残虐性が問題なら、そこは保護者や教育者が子供達に適切な説明と、公正な理解ができる様指導力を磨く事が先決であり、慎重さを欠く禁止規制は筋違いだろう。又、そうした事を余り問題視しない報道や言論界の、腰の退けた姿勢も糾されるべきではないか。今のままでは、全教などの左派勢力に餌を投げ与えている様な不良な印象も拭えず、又、歴史修正寄り勢力も、当時の米合衆国やソ連邦の犯罪的蛮行を追認するだけだと言う所に留意すべきだと思うがどうだろう。
とに角、日本及び日本人の印象にとりどうかと思われる取り上げ様も、可能な限り受容し表させる事が、我々の力量の内でもある様に思う。「ゲン」は確かに当時から今に至る我国のあり様とは乖離した所あるのは事実だし、大江見解にしても、その全てが適切なものではない。安倍政権の目指す、日本国憲法の必要な改正だって早めにすべきだろう。しかし、そう言う作品の閲覧規制などより、昨夜の報道番組にあった様に、我国の経済財政を揺るがしかねない富裕層の海外移住を食い止める策を考えるとか、環太平洋経済連携協定TPPが我国にとり不利益とならぬ様監視活動を強めるとか、他にすべき事は多々あると思う。
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