2014=平成26年の夏も終わりました。この8月は、特に盆の頃よりの、後半の天候不順が際立ちました。あの遺憾な広島水害を初め、各地で大雨による悪影響が多発、同時に、出水と日照不足による農産物高騰も、庶民の暮らしを苦しめる所となっています。この異常気象は国境を超えた世界的な傾向の様で、これが、衛生面の低下による疫病の大規模発生や、世界的な食糧危機に繋がらない事を祈るばかりであります。
我国にあっては、この様になった一因が、戦後の我国の、都市化を進め過ぎた政策の誤りと、戦後処理の決して適切とは言えない根拠とされる、戦勝国による一方的な戦後日本への政治的主導圧力、YPことヤルタ・ポツダム体制への被占領的屈従を続けた結果であるとの指摘も聞きました。それらをどう見直し、今後、そして将来へと繋げて参るかが、今の国民的課題である気もします。
必ずしも一致する見解ではないかも知れませんが、今日付の地元紙 C新聞に、哲学者 内山 節さんの綴られた記事が載りましたので、引用しながら見て参りたく思います。
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「人と森を生かす経済」
今年の上野村の山の木々は、8月中旬になると、早々と秋の準備をはじめていた。もちろん紅葉にはまだほど遠いけれど、盛夏の葉の色から秋の葉の色へと趣を変え始めたのである。山の木々は、今年は秋が早いと読んでいるようだ。上野村は、私が暮らす群馬県の山村である。たして確かに、8月下旬に入ると北関東の気候は秋の様相を見せはじめた。
もっとも、この山の木々の予想が、必ず当たるとは限らない。3年ほど前には見事に外している。山の木々も予想できないような気候変動が起こっているのである。
本年度中に上野村では、木質系ペレットを使った発電機が動きだす。森を手入れしたときに出てくる、材木としては使えない木をチップ状にし、それを固めてつくるのが木質系ペレットである。すでにこの村では、暖房用などではペレットが浸透しているが、それを発電用にも使おうという計画である。時に森の木々に季節の変化を教えてもらい、同時に森を手入れしながら地域のエネルギーとして活用させてもらう。
それは循環可能な地域をつくる試みであり、社会づくりと結んだ地域経済をつくる過程でもある。上野村は人口が1400人弱の村であるが、森の手入れや製材、木工品の生産、ペレットの製造、発電、一部の木のおがくず化とそれを利用したキノコ生産、さらには何にも使えない不文を利用した堆肥の生産などで、広い意味で森とともに働く人々が150人ほど存在している。そうやって、森とともに村人が働く経済を少しずつつくりだしてきた。みんなが生きることのできる経済をつくってこそ、誰も傷つけない社会が形成できると考えてきたのである。
日本に山村振興法が制定されたのは、1965=昭和40年のことだった。1950年代終盤から、山村は急速に過疎化している。この動きは多少の時間差はあっても、山村だけに生じたことではなかった。高度成長期を経て日本の地域は、山村、農村、地方都市の衰退が進み、人口を集積させた東京のような大都市でも、地域の衰退はすすんでいった。大都市では企業の集積や、一見はなやかな消費経済が展開する陰で、人が安心して生涯を暮らす場所としての地域は空洞化していった。
大都市はうまくいっているが、地方都市や農山村は問題を抱えているという一般的な認識は、今日の状況を言い当ててはいない。東京では孤立した高齢者の存在や孤独死が当たり前の現象になってしまった。東京の合計特殊出生率は1.1程度で全国最低だが、それは都市の自由さというより、子どものいる家庭をもてない東京の現実を映し出しているといった方がよい。
これまでの市場経済の発展は、一方では農山村や地方都市を衰退させ、他方では大都市から人間的に暮らすことのできる地域を瓦解させてしまったのである。
とするなら地方の活性化は、これまでと同じような経済を発展させようという発想では、うまくいかないはずだ。社会づくりと経済づくりを一体的にとらえていく新しい発想が必要なのである。これまでにもさまざまな地域振興策がおこなわれながら、それが成功しなかった理由もここにある。
いま私たちが必要としているのは、経済の「量」ではない。社会の「質」と経済の「質」を一体的に問いなおすことなのである。
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些か理想論の域もないではありませんが、内山さんがお住まいの、群馬・上野村だけの問題ではないと思います。深い森林地域は、勿論当地愛知や岐阜、長野、Oさんが生前お住まいだった首都圏でも西部地域が該当し、又、我々の思い出の地、新潟磐越も立派な当該地域でしょう。上野村のこうした取り組みが、細部などを見直した上で全国に広まれば、それは我国の郡部の活性化に繋がり、僅かながら増え始めた林業人口を少しでも援護する材料ともなり得ましょう。そしてそれらの事が、ひいては我国内での夢や希望の作興と、出生率の回復、そして、安倍現政権の掲げる「日本を取り戻す」事にも繋がって行く事と心得ます。
繰り返しになりますが、叶う事なら、Oさんがお元気な内に、少しでも語り合いたかった事共です。まあ引きずるのは良くありませんので、これ位にしておきたく思います。
明けて9月は防災月刊。今夏に続く、再度の台風や大雨の襲来と、それに伴う水害が懸念される所ですが、何とか注意を新たにして参りたい所です。又、現用のOCNブログの、今秋中の終了が決まってしまいましたので、後継をどうするかも考えないといけません。現用のブログ更新は後1~2回にして、この引越し処置にも取り組まないとと言う所です。
Oさん、今夏は有難うございました。言動には不足付き纏う俺ですが、どうか引き続き見守って下されば幸甚であります。
最後に、今夏の拙写真帖後記に載せるつもりの歌詞を記して、本稿を終わらせて頂きたく思います。
「今 風の中で」
僕らの明日(あした)に どんな夢を託しても
心は弱くて 昨日ばかり追いかけてた
負けないと誓いあった 夕日染まるあの丘は
いつまでも どこまでも 輝いてた
空へ手をのばして この願い届けて
つないだ手と手 僕らはあきらめないと
遠くで呼んでる 君の小さな声でも
僕には聴こえる なつかしいふるさとのように
誰もが きっと誰かに愛されるため 生まれてきた
いつだって どこだって ひとりじゃない
空へ手をのばして この願い届けて
たったひとつの いのちを生きて
今 風の中で どこまでも歩こう
涙がいつか 笑顔に変わる日まで
Performed by 平原綾香