国内にては 第 2次補正予算のあり方などで臨時国会に風が吹いている様だが、恐れながら今回は横に置く。中東カタールにて進行中の サッカー W杯緒戦にて、日本代表が格上のドイツ代表を制した事につき、遅れるもまずは祝意を申したい。その上で、あくまで緒戦という事を良く理解し、緊張を新たにする選手各位と 率いる森保 一監督に一言の敬意も表したい。
応援の日本サポーター有志も、観戦に訪れた競技場の清掃ボランティア行動が称えられ、表彰もされた様で こちらも賛意を表す者だ。サッカーの知識は浅い拙者だが、以下 先日のスポーツ報知・ネット記事を引用して、みて参る事にしたい。
「森保 一監督の采配が的中で ドイツに歴史的勝利・・・途中投入の選手たちがドイツ守備陣かき乱し 2得点」
FIFA(国際サッカー連盟)ランキング 24位の日本代表が 同 11位のドイツ(代表)に劇的な逆転勝ちで白星発進を決めた。後半 30分に途中出場の MF堂安が同点ゴール、同 38分に同じ途中出場の FW浅野が逆転ゴール。優勝 4度の強豪相手に歴史的な勝利をもぎ取った。
森保 一監督の采配が的中した形となった。途中投入の選手が 2ゴール。指揮官は「選手たちがいい準備をしてくれた。一丸となって粘り強く戦うということをやっていくことで勝利につながった。日本でも多くの方々が 我々を後押しで最後まで戦って勝つことができた。チームの総合力で、そして総力戦で戦おうということ、スタートで出た選手だけでなく 途中から出た選手が試合を決める、試合をしめる、その流れで自分たちの良さを発揮する、チームを勝たせることを選手たちがやってくれた」と歴史的偉業を達成したイレブンを称えた。
同点ゴールを決めたのは堂安。「もう俺が決めるって気持ちで 俺しかいない、と強い気持ちで入った。これで一喜一憂せず、強い気持ちで一丸となって戦いたい。日本サッカーを盛り上げるって気持ちで戦いたい」と早くも次戦に向けて気を引き締めた。
歴史的な逆転ゴールを決めたのは浅野。「もしチャンスがあれば、シュートを打っていくって気持ちでした。それが最後結果につながったかなと思う。その時から約 4年半前に W杯メンバー入れなくて、でもその瞬間から今日の日のために準備をしてきた。それが結果につながったと思う。結果が出なかったとしても、やってきたことは代わらないので、今日はたまたまそれが結果につながった。(ドイツは)僕らからしたら 対戦相手は関係なくて、あまり僕は意識してなくて、自分のプレーをすることだけを意識していた。全員がピッチで表現できて、結果に表れた。今日は全員喜んで 勝ち点 3ぶん喜んで 明日から切り替えて次のゲームに向かっていきたい」と振り返った。(引用ここまで)
本当に「勝って兜の緒を締めよ」という言葉が相応しい、勝利直後にその「戦場」で行われた 日本代表のミーティング風景は忘れ難いものだった。聞けば今回開催のカタール国・ドーハの地は、1993=平成 5年のアジア地区予選にて 時の対戦相手イラン代表に勝利すれば叶った W杯初出場を 終了間際に引き分けとされた事で逃した「ドーハの悲劇」が起きた因縁の地。森保監督は 当時選手として加わった由で、その時の悔しさと教訓を大いに活かした側面もある事だろう。強豪に勝ったといえど 決して緊張を忘れる事なく選手向けに檄を飛ばす光景もむべなるかとも思ったものだ。又 選手各位もそれに応え、決して素直に喜ぶ一方で 決して奢ったり浮かれたりする風情でなかったのも好感する所だろう。
次戦は 11/27、中米のコスタリカ共和国代表との一戦が組まれる。FIFAランキングは我国代表より格下も、W杯本戦にては我国代表より先に 8強入りの経験を有するとか。W杯こそは、サッカーの域を超えた スポーツの頂上決戦。決して気を緩めてはならないのは、森保監督と選手各位が誰よりもご存じだろう。勝利を期するは勿論だが、各国代表の力の差は意外に僅かなのも事実。勝敗に関わらず とに角全力を出し切れる事を祈りたい。
「ドーハの悲劇➡歓喜へ」との声もチラホラとは聞くが、拙的には「歓喜の前に奇跡を」という所。これまでの並外れた努力と鍛錬を表出し尽くせば、可能性は大きいのも事実だろう。結果に関わらず、努めて冷静に見守れればと思う。今回画像も振り返り恐縮。先年訪れた 当地西郊・稲沢市祖父江の 色づいた銀杏の様子を。通る線路は、名古屋鉄道尾西線。先日も再訪しましたが、伸びて視界を支障していた下草が除かれ、再び撮影可能となっていましたね。
一部を除く スポーツの話題とはちと縁遠い拙者だが、今朝はその世界で誇らしい記録が打ち立てられ、ご同慶の至りである。その記録とは、かねて敬愛の海洋冒険家にして我国海洋における所謂「マリン・スポーツ」の重鎮、堀江謙一さんによる 単独ヨットの太平洋横断・途中無寄港最高齢記録の樹立である。この快挙を心より称えると共に、以下 同氏の述べられた重いお言葉につき、復習の意味で振り返ってみたい所。まずは今日の NHK・ネット記事の引用から。
「83歳・堀江謙一さん世界最高齢ヨット単独無寄港大平洋横断を達成」
世界最高齢でヨットによる単独無寄港の大平洋横断に挑戦していた海洋冒険家、堀江謙一さんが 6/4未明、紀伊水道のゴールに到着しました。
兵庫県芦屋市在住の堀江謙一さんは 60年前に世界で初めてヨットで日本から米・サンフランシスコへの単独の太平洋横断に成功し、83歳になった今年 当時とは逆のルートで世界最高齢でヨットによる単独無寄港の太平洋横断に挑戦していました。
堀江さんは、今年 3月末に米・サンフランシスコを出発して航海を続けていましたが、6/4,2:39amに、和歌山県の紀伊・日ノ御碕灯台と徳島県の伊島灯台の間に設定した 紀伊水道のゴール・ラインを通過しました。
7:30am過ぎに NHKがヘリコプターから撮影した映像では、堀江さんのヨットが 兵庫県西宮市のヨット・ハーバーに向かって曳航(えいこう)される様子が見られ、中にいる堀江さんの後ろ姿を確認することもできました。
堀江さんを支援してきた事務局によりますと 曳航船と合流した際、堀江さんは笑顔で手を振って応じたということで、これまでの記録を 10歳以上更新して、世界最高齢での単独無寄港の大平洋横断を達成したことになります。堀江さんは 停泊地の西宮市のヨット・ハーバーで 6/5、検疫や入国手続きを終えてから (記者)会見を行う予定です。(引用ここまで)
改めて 堀江さん此度の快挙への祝意と共に、若き日と変わらぬ勇気を称えたい。初の単独無寄港大平洋横断を果たした折の著書「太平洋ひとりぼっち」は拙愛読書の一であり、近年も読み返した記憶がある。詳しくは末尾の関連記事に譲りたいが、数多くのヨットなどによる遠距離単独航海の折には、先の大戦の激戦地近くにて、旧海軍戦没各位への弔意を表したお言葉を述べられてもおり それは拙脳裏にも長らく焼き付いているものだ。又 全ての航海が成功という訳にも参らず、海保や自衛隊のお世話になった履歴があるも そうした事共への謝意も欠かさないのは流石と心得る者だ。その中から、まずは前掲「太平洋ひとりぼっち」文中からのお言葉をなぞってみる事としたい。
「堀江(さん)は (初の)太平洋横断中に『この海(ミッドウェー海戦)で、多くの海の先輩たちが散っていったのだ・・・(中略) この海で亡くなった 3500人もの日本人将兵にも、家族がいて、母親がいた。どれほど家族や母親に会いたくて 日本に帰りたかったことだろうか・・・(中略) この海で眠っている先輩の皆さん、ぼくはいま、皆さんに捧げる花束を持ち合わせていません。お許しください。しかし、もしこのヨットがサンフランシスコのゴールデン・ゲートをくぐってゴールしたら、それを先輩方に捧げる”花”とします。』と哀悼したことを述べている。」
この一事から、堀江さんの 先の大戦犠牲各位への深い弔意を、拙者は大いに感じながら育ったものだ。こうした気持ちの大切さは 特に母方の祖父から折々聞いていたものだが、後半生を迎えてみると 改めてその重さに感じ入るものがある様に思う。
堀江さんは又、航海が不調に見舞われた折などに世話になった 自衛隊各位に向けての謝意のお言葉もある。2016=平成 28年に表されたもの。以下、ご紹介しておきたい。
「僕が 78歳(2016=平成 28年当時) のいままで、世界中の海をヨットで航海できたのは、戦後 70年以上、日本が平和だったからだ。日本が平和だったのは、”平和憲法”を堅持したからではなく、命をかけて日本を守ってくれた 自衛隊がいたからだと思っている。
日本国憲法が認められているのに『自衛隊が違憲だ』などという考え方があるようでは、日本を守ることなど到底できるわけがない。それ以前に、命がけで日本を守ってくれる自衛隊員に対して失礼だ。もっと誇りをもって任務についていただけるよう 憲法を改正すべきだと考えている。右であれ、左であれ、愛国心をもって国について考えているのなら、僕は聞く耳を持つ。しかし僕は 反日だけはカンベンして欲しい。祖国を愛さないなんて、少なくとも海の男にそんな人はいない。僕はこれからも祖国への愛を忘れずに、100歳まで海洋冒険を続けたいと思っている」
拙者も、堀江さんのこの想いを長く共有したいと願う者だ。これは 60年を超える長きに亘って 海との、そして自然との壮絶な対峙の末に鍛え上げられた強靭な観念であろう。限りない敬意を覚える。然るに、政官民のどの世界にも こうした強く深い想いを軽んじる思考や思潮を持つ勢力がある。それは恐らく 戦後ずっと我国の思想を牛耳ってきた東京裁判史観と、その走狗たる日教組教育に嵌ったからだろう。決して、日本及び日本人が与してはならぬ思潮であるは勿論だ。本当の、本物の日本の価値観を知らしめて下さった 堀江さんの軌跡に、改めての敬礼を申したく思う。今回画像は、堀江さんの冒険舞台ともなった大平洋にも繋がる 三重・熊野灘近くの内海風景。通る線路は JR紀勢線。以下に 関連記事をリンク致します。(堀江謙一さんWikipedia) 堀江謙一 - Wikipedia
まず今回の最初に 遅れはしたが、中日ドラゴンズ球団期待の若手だった 木下雄介投手の急逝に対し、一言の弔意を申し上げる次第であります。
中国大陸他由来の 新型コロナ・ウィルス感染症禍もあって一年間延期されていた、五輪大会「東京 2020」がまずは無事終了と行きそうだ。前述感染症流行を初め 平時通りとは参らなかった参加選手各位、そして運営に携わった全ての方々に その結果に関係なく労いを表したい。
勿論 運営面で多くの課題も残った。主要企画メンバー中、過去対外面や人道面などで不適切な言動のあった人物を加えない様にする配慮ができず 直前での辞任や交代となった事がその大きな一つ。想えば組織委の森前会長も 報道メディアによる増幅があったも、配慮に欠ける言動で降板のやむなきとなったのは広く知られる所。
又 感染症対策としての、選手や関係者と外部の接触を遠ざける所謂「バブル方式」も有効に機能していたとは言えない所もある様だ。それらをこれから真摯に総括検証し「コロナ(感染症禍)で分断された世の中で、アスリートのパフォーマンスが多くの人々の希望になったと確信している」との橋本組織委会長表明を無にしない為にも、次に繫がる糧として頂きたいものだ。
私見ではあるが、近年の我国夏場の「厳しすぎる気候」も考えれば、もう夏季五輪立候補は見送った方が賢明な様にも感じる。「立候補は冬季に限る」姿勢を敢えてしても良いのではないか。夏場の猛暑は 世界的な傾向かも知れずとの指摘もある。少なくとも当面は、五輪夏季大会立候補は「南半球限定」にするとかの検討に入っても良い様に感じる。
そうは言っても、今回五輪では 拙者も相応の感動を味わった一人だ。柔道・阿部兄妹の「揃って金」、卓球の水谷・伊藤ペアの混ダブ試合にて常勝・中国大陸の記録に風穴を開けた事。更には五輪野球の我国代表「金」。記録より記憶に残るのは、新種目スケート・ボード女子で我国の若手選手の健闘をライバル各国代表らがこぞって称えたのも忘れ難い光景だ。その中から、やはり五輪野球についての話を 中日スポーツ・ネット記事を引用して、みて参りたい。
「金メダル弾の村上宗隆が 池江璃花子から学んだ『自分にできること』一つの答えを出し”恐怖の 8番”で存在感」
若きツバメの大砲が 値千金の一振りで金メダルを引き寄せた、日本の村上宗隆内野手=ヤクルト=が 3回の第 1打席で左中間に先制ソロ。五輪第 1号が決勝アーチとなった。
5戦連続となる「8番、三塁」で出場し、打率 3割 3分 3厘をマーク。巧打あり、一発ありの”恐怖の 8番”として存在感を示した。そんな村上には昨年 12月、競泳女子の池江璃花子と雑誌の企画で対談。白血病から復帰した池江の「前を向く姿勢」に刺激を受け「僕も負けていられない」と奮い立っていた。
同じ 2000 (=平成12) 年生まれの不屈の闘志に感銘すると「自分自身にできること」を思案。そして一つの答えを出した。東京五輪で日の丸を背負い、金メダルを獲得する。その誓いが 大一番での値千金で結実した。(引用ここまで)
こういう「佳き触発」は、今回五輪の他の選手各位にも、又 過去の多くの大会にても見られたのではないか。拙記憶が正しければ、池江選手は惜しくもメダルを逃すも 全力で当たった爽快感を表されていたと思う。その真摯な取り組みが、五輪野球を栄光へと導いたのかと、改めて噛みしめてもいる所だ。
確かに流行続く前述感染症の脅威下ではあったが、世界レベルでは 他の国際格式スポーツ大会も「バブル方式」の採用など条件付きで行われているのも事実。拙者もそうした状況下での五輪開催は「あくまでも条件付賛成」の立場だった。大幅な感染拡大などの緊急時には、菅現総理と小池現東京都知事、橋本現五輪委会長とバッハ現 IOC会長は 途中であっても大会の中止中断を機敏に機動的に行える「非常ブレーキの権能」を手にすべきと思ったものだ。選手を含む 一部大会関係者複数にやはり感染者を生じたも、大過なく終えられたのは或る意味幸運もあったと心得る。
繰り返しは理解するが、五輪組織委は今回大会の意義と課題を強い姿勢で振り返り、教訓にすべき所は今後の規定や行動基準に躊躇わず盛り込んで頂きたいものだ。そういう真摯な姿勢で臨めば、賛否の分かれる周囲の見方も 少しは変えられるかも知れない。
今回五輪の「本当の成否」は後世の評価に待つ所もあろうが、少なくとも何人かの各国選手が触れられた様に「困難な状況下で、世界の人々を団結させる一助になった」意義が一定はあったというのが拙所感だ。一部メディア勢力が揶揄する「負債だけが、瓦礫だけが残る」如き悪しざまな捉え方は適切を欠くと言えよう。
今回画像は再掲で恐縮。先年夏 横浜市内で迎えた、西日本及び四国から首都圏を目指す夜行特急「サンライズ」の様子を。終点東京までの ラスト・スパートの風情。今回の最後に 五輪閉会式の音楽を担った人気楽団「東京スカパラダイス・オーケストラ」の一曲、ピアノ奏者・上原ひろみさんとの共演をリンク致します。(1) 水琴窟 -SUIKINKUTSU- feat.上原ひろみ/TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA - YouTube