Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

赤の風~最後の伝言Ⅴ

2009-12-21 23:58:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!5日ぶりの拙日記であります。先週後半来の大型寒波は、当地名古屋にも積雪をもたらし、先週末出かけた新潟磐越の地は、約20年ぶりの大雪に見舞われました。
交通機関の障害も続出し、現地への往来は、普段と経路を変更するやむなきとなりました。本日よりは所定の出番なだけに、昨日中に帰れたのが何より幸運であると、今は思います。

厳しい気候の時ほど、冬の雪山は却って美しく見えるものですが、その我国の最高峰、霊峰富士にて、一昨日残念な事態が生じてしまいました。
前世期末、世界最高のカーレース、F-1世界選手権にてご活躍、今は登山家、冒険家の片山右京さんの率いる登山チームが遭難、片山さんは辛くも生還されたものの、同行の関係の方2名が落命されました。まずはこの方々に哀悼の意を表すと共に、決して無謀な行動ではなかった片山さんに対しても、一言お見舞いを申します。
来年初に予定されていた、南極登山に備えての訓練だった様ですが、登山時に求められる登山計画書が静岡県警察本部に提出されていなかったのは遺憾な所。南極遠征は見送られた由ですが、これを機に、こうした言わば不行き届きも見直されて良いと思いますね。尤も、かく申す私も、過日記した様に、街歩きの服装のままで標高3000m超の高山の頂に登ったと言う暴挙の前科があり、決して片山さんや登山各位の不足の所を揶揄できる立場ではありません。

この件につき、昨日の地元紙、C新聞のコラム「C春秋」に記事がありましたので、以下引用して少し考えて参りたく思います。

『新田次郎の小説「芙蓉の人」は1895=明治28年に、冬の富士山頂の気象観測に初めて挑んだ野中 到・千代子夫妻の情熱と苦闘を描いた名作だ。その中に、冬の富士山登頂を初めて成功させた野中が、突風の怖さを父に語る場面がある。

「富士山の冬の風は、恐るべき風です。どっちからともなく突然吹いて来る強風です。その風にやられた時の感じは、暗い夜道を歩いていて、いきなり突き飛ばされたのと同じようなものでした」。予測できない突風は、今も最大の脅威なのだろう。

元F-1レーサーの片山右京さんら3人が富士山で遭難。同氏の会社関係者2人の遺体が6合目付近で見つかった。

片山さんは、冒険家として、南極最高峰ビンソンマシフ(4897m)に登るための訓練をしていた。2人の寝ていたテントは強風で吹き飛ばされ、約200m下まで滑落したと見られる。

独立峰の富士山では、山肌で2つに割れた風が裏側でぶつかり合って、衝撃が起きる。「エベレストの気象条件とほぼ同じ」と言う。

正確な天気予報をするために、命がけで観測した「芙蓉の人」の野中夫妻は疲労や栄養不足で倒れ、2人で観測を始めて約70日後に救出された。自然の力の前では、人間は小さな存在だ。命を代償にしないと、それを思い出せないのが悲しい。』

勿論、自然対人間の関係については記事通りであり、それは尊重されるべきでしょう。しかし一方で、登山を初めとする様々な冒険は、挑戦者の持つ可能性をより高め、更に難しい地平へと進める力を育てる、言わば大義と申して良い崇高な一面を有していると思うのです。その大義、そしてより高い可能性を磨こうとする冒険者の真摯な姿勢に水を差すべきではないと私は考えます。

とりあえず、今度の南極遠征は中止のやむなきとなったが、片山さんには、遺漏のない届け出をも含めた、周到安全な準備の下に、又改めて挑戦を願いたい。その真摯で崇高な取り組みの姿勢こそが、亡くなられた関係各位への最高の供養になるのでは、とも思いますね。*(山)*
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赤の風~最後の伝言Ⅳ

2009-12-16 23:23:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

先日の天気予報がほぼ当たったのでしょうか、当地名古屋も、昨日辺りより気温がぐっと下がって参りました。明朝は、もしかすると今冬初雪となるかも。今週末には、降雪の可能性大の由。既に雪に見舞われている日本海側は、大雪に要注意と言う所でしょう。あろう事か、その日本海側へ、私は今週末出かけようかなどと画策しているのですが。

さて、前回まで政治思想絡みの堅めの話題が続きましたので、今夜は柔らかめ、旅行に必要な鉄道乗車券などについて。新幹線、在来線、JR線、私鉄線の別なく、主要都市の中心部にて、金券ショップなどでも良く出回る様になりました。
拙地元のJR名古屋駅の辺りでも、私の知る限り10店舗以上が営業しており、東海道・山陽新幹線を中心に名古屋よりのJR各線、地元私鉄大手の名古屋、近畿日本の両鉄道、更に一部のJRバスや航空券、プロ野球などのスポーツや映画、演劇の入場券なども、所定賃料より割安にて入手できる様です。又、平日よりも更に割安な土・休日及び日中専用の券種も良く見かけます。

勿論、値引きの度合いは店舗により異なり、券種によっは取り扱わない所もありますので、店頭の案内などを良く見て利用すべきでしょう。不明な点は、遠慮なく店の方に照会して確かめる事。それと、格安切符は有効期限付きの回数券などを分割して売っている事も多いので、その辺りも要注意ですね。

とまれ、通常より上手くすると、1割以上安く入手できる金券ショップの各種切符。お互い上手に利用して、有意義な金の使い方ができればと思っている所です。
想えば、名古屋鉄道の格安券も随分種類が増えました。確か、パノラマカーが主戦を退いた去年辺りからだったと記憶しています。

P.S 次回は12/20(日)以降に掲載予定です。*(新幹線)*
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赤の風~最後の伝言Ⅲ

2009-12-13 21:57:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!今週半ばより大きく気温が下がり、冬本番を迎える天気予報が発表されました。
大きな気温変化は健康面に大きく影響し、体調を崩し易くなるものであります。風邪はもとより、流行中の新型インフルエンザも小康状態とは言え油断ならず、ここは、お互い自己管理を続けたい所です。

さて、隣の大国、中華人民共和国の高姿勢がどうも気になる所です。
欧州にて開会中の、気候変動枠組み条約第15回締約国会議COP15にても、温暖化ガスCO2の削減目標や、先進国による新興国向けの資金援助規模などを巡って難癖をつける様な姿勢を見せ、それは我が祖国日本に対しては特に顕著な様です。又、太平洋上の我国の固有領土、沖ノ鳥島の保全を巡っては、同島を「ただの岩礁」と決めつけ、この海域における我国の排他的経済水域の存在否定を図って、国際世論を誘導している模様。
南半球にての我国捕鯨活動に対する欧米環境グループの過激な妨害活動も遺憾だが、この中国の我国への嫌がらせ志向とも取れる動きは甚だ不快と申さざるを得ません。

その様な中、先日の現連立政権の第一党、民主党の大挙訪中は不可解ですね。一体、何の為の訪問なのか深い所の意図がはっきりしない。その上、一か月以上の事前通知を要する皇室の慣例を破っての、同国首脳の天皇陛下との会見要求。何ですかこれは?「国の大小や先進、新興の別なく公平に接する」との今上陛下のご方針にも背くものだ。こんな決定は断じて認める訳には参らないでしょう。

更に民主党幹事長の小沢一郎さんの、この件に対する誠意のなさ。ぶっきらぼうとも言える、中国の要求をそのまま呑み、皇室に無理を持ちかけたのは同幹事長だと言われるが、詳しい説明を拒んだばかりか、合間を見ての大韓民国訪問にあっても、戦前の占領時代の謝罪などを行っていたとか。
確かに占領期の対韓ダメージが存在したのは事実なるも、全てがその様な風ではなかったし、謝罪自体も既に済んでいるはずであり、改めて取り上げるには及ばないレベルではないでしょうか。その様な「蒸し返し」的行為は、却ってこれからの日韓関係にとり、為になるものとは思えません。日中関係とて経緯の違いはあるものの、基本的に同じでしょう。

此度の民主党の所業は、中華人民共和国の対日姿勢を硬化させ、却って両国関係を難しくしてしまう可能性さえ感じます。更に留意しなければならないのが米合衆国との関係。
既に沖縄の米空軍基地移転の問題を巡って日米間には隙間風が吹き始めており、このままでは日米同盟が危機に晒される事態だってあり得ます。

民主党大訪中団の大きな目的は、日中関係を良くして来年の国政選挙の勝利に繋げる意図があるとされる。
しかしですね、事はそう簡単ではないでしょう。
元航空自衛隊最高幹部、田母神俊雄さんは「外交とは、腹黒いもの」とのご見解の様ですが、「当たらずと言えども遠からじ」との印象を受けるのは、私一人ではないでしょう。
対中外交の難しさをわきまえる事なく、良い顔ばかりをしていては、本当に尻の毛まで抜かれる事となりかねない。何しろ向こうは、本来平和目的にしか使ってはならない政府開発援助ODAを軍備増強に流用し、我国への脅威を強めている事をも忘れてはなりません。

決して特別扱いをせず、公正に接する事、必要なら毅然とした姿勢にて事に臨む心構えがなければ、対中問題は、やがて取り返しのつかない深刻な事態に発展しかねないと私は思いますね。

P.S 最近の、民主党の内外における問題につきましては、拙記事「対中ODAを もうやめよ(11/15付)」「誰の為の 事業仕分けか(11/29付)」もご参照下さる様。*(注意)*
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「ほくほく線」に想う事

2009-12-13 15:59:53 | 旅行記

コナサン、ミンニチワ!午前晴れ、午後は北日本の冬を想わせる、曇天の日曜であります。

先月末、新潟磐越行の帰途、同県北部を行く鉄道線、北越急行(株)北越本線、通称「ほくほく線」を初めて通った。毎年JR東日本発売の新潟地区フリー券「えちご2DAYパス」の今年度分が、観光行事「新潟デスティネーション・キャンペーン」開催に合わせて有効範囲が拡大され、ほくほく線もフリー線区の対象となった為だ。同時に上越新幹線も、普段は特急料金別途追加でも新潟~長岡間のみ乗れる所、今年度は新潟~越後湯沢間が拡大乗車できるのだ。

「ほくほく線」は1997=平成9年春に初開通。冬場のレジャーなどで有名な越後湯沢より、同線を経て北陸線を金沢まで向かう特急「はくたか」が日に13往復して一部の時間帯を除きほぼ1時間毎に運行され、又快速及び各駅停車の普通列車も、これも一部時間帯以外はほぼ終日、1時間毎に運行される。路線距離は新潟上越市の犀潟より越後湯沢までの約60km。

起終点を除き、途中に踏切がない、又長い直線区間などを生かして最高速は特急160km/H(これが我国在来鉄道の最高速である)、快速以下は110km/Hにて速達化が図られている点は評価できるとされる。

発足以来年に数十億円の収益を挙げ、秀逸な業績を誇る同線にも転機が迫っている様だ。2014=平成26年度中と言われる北陸新幹線の長野~金沢間延伸開通である。これによって、「ほくほく線」の特急「はくたか」はその使命を終え、北越急行(株)の年商は今の1/10に縮小すると言われている。勿論同鉄道もこの事態を傍観している訳ではなく、新幹線の通る新潟上越より東、例えば十日町より首都圏へと向かう旅客の囲い込みを図るなどの施策を考えてはいる模様。ただ、各界より指摘されている様に、北陸新幹線は開通後の旅客需要が疑問視されており、民主党中心の現政権にあっても、そうした指摘が十分に反映されていない所がある様に感じる。

大幅見直しをと言うなら、北陸新幹線もその対象に加えて建設凍結を図り、代わりに現在は全線単線の「ほくほく」線の複線化などを検討してみてはどうか。列車行き違い用設備などを不要にできれば、それだけ速度向上の余地も増す。現状、特急「はくたか」は首都圏と北陸地方を結ぶ旅客需要に十分応えている様に見えるのだが・・・。

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赤の風~最後の伝言Ⅱ

2009-12-10 00:36:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!
12月も2週目となりましたが、季節は依然秋と冬との間を行ったり来たりの風情。先月初めの厳しい冷え込みは一体何だったのか、と思わされますね。尤も、来週辺りからは、本格的な寒さとなる予報であります。

さて、一昨日12/8は、1941=昭和16年に勃発した大東亜戦争こと太平洋戦争の開戦日でありました。拙認識としては、20世紀、そして昭和期に入り、軍事・経済などの面で大きく成長した当時の大日本帝国の強まる影響力を嫌った欧米列強が、国際社会よりの当時の我国の孤立を図り、追い詰められた結果、やむなく対米の戦端を開いたと言う事です。この事につき、大いに参考となる記事が一昨日付の全国紙、S新聞のコラム「正論」に載りました。文学者で音楽評論家、新保祐司(しんぽ・ゆうじ)さんの綴られた記事で、以下引用して参ります。

「日本人の精神再建する歴史哲学」

再来年2011=平成23年の12/8は、真珠湾攻撃の70周年にあたる。この節目を迎えるに際して、日本人はこの開戦と大東亜戦争について、文明史的、精神史的見通し(perspective)をしっかりと持って回想しなけれぱならないであろう。
と言うのは、これを機に来年あたりから、この開戦を巡って様々なメディアが問題とすることが予想されるが、その取り上げ方に危惧の念を抱くからである。
大東亜戦争と言う巨きな歴史的悲劇を回想するのには、相当な精神的エネルギーを要するであろう。又、過去の人々に対する礼節の心も大切である。しかし、今日の日本人の精神的エネルギーは衰弱し、礼節は払底してしまっている。
だから現今、先の戦争を振り返る時、大局的な見方が欠落し、参謀本部や軍令部の責任を追及したり、作戦の失敗の原因を調べ上げたりと言う局所的な営為に縮まってしまうのである。本来は、マクロ的な構想をもって回想されなくてはならないはずである。この様な構想力の衰退は、今日の政治経済政策がミクロ的にものに終始しているのと軌を一にしている。

「無謀さ」だけが強調され

この様に精神的エネルギーの脱力状態にあっては、昭和16年12/8の開戦について、敗戦後の日本において通念となっている「あの戦争は無謀な戦争であった」「勝ち目のない戦争に突っ込んで行った愚かな決断であった」と言う俗耳に入り易い見解、あるいは気分がますます支配的になって行く恐れがある。
そんな事を考えている時、S新聞の読書欄に、加藤陽子著『それでも日本人は「戦争」を選んだ』が紹介されていた。題名の中の「それでも」に興味をひかれて、早速一読した。
加藤さんは、1960=昭和35年生まれの東京大学文学部教授で、日本近現代史を教えている。専門は、1930年代の外交と軍事である。本書は、中高生に向かって講義した5回の授業をまとめたもので、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、そして太平洋戦争が講じられている。
戦後生まれの歴史学者が、どの様に戦争を論じるか、とても興味深く読んだ。「中高生」ならぬ私も色々と教えられる所があった。
しかし、私が最も知りたかったのは「勝ち目のない戦争」と分かっていたのに「それでも」なぜ、日本人は戦争を選んだのかについての精神史的理由であったが、その点は余り伝わって来なかった。
帯文に(普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが「もう戦争しかない」と思ったのはなぜか?)とあるが、この「なぜ」こそが、大東亜戦争を回想する際の、問題の核心なのである。

「にもかかわらず」が大切

日本が、短期決戦の方針で開戦に踏み切った事について、著者は「その辺りを考えて行くと、哲学的問題にまでなります」と書いている。歴史学は「哲学的問題」の手前の実証でとどまるべきかも知れないが、日本人の精神再建に必要なのは、歴史哲学ではあるまいか。
歴史哲学的には、この「それでも」が急所となる。人間の精神にとって「にもかかわらず」と言う意志が極めて大切であり、誇りの源泉ともなる。その精神が生きているか、死んでいるか、あるいはエネルギーを保持しているか、脱力してしまっているかの分かれ目は、この「にもかかわらず」である。
昭和16年12/8に「勝ち目のない戦争」である事は十分分かっていた「にもかかわらず」日本は開戦したのである。戦わなければ、戦わずして敗戦後の日本と同じ状態にさせられていた。
その方が、戦禍がなかっただけ良かったと思う人間も、今日多いかも知れない。そこまで日本人は安全と利害だけに関心を持ち、誇りと歴史に対する敬意と言うものを失ったのであろうか。
この「にもかかわらず」に、日本の近代の苦難精神史が凝縮されているのであり、林 房雄は、大東亜戦争を「大東亜百年戦争」の帰結と位置づけ、江藤 淳は、西洋に対する反逆として、西南戦争の西郷軍と通底するものを感じ取った。

この様な、歴史哲学的視点をもって回想しなければならない。

開戦の日に、戦後東京大学総長となった南原 繁は「人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ」と詠んで嘆いたが、私は逆に分明史的、精神史的に捉えた時の日本の近代の「にもかかわらず」の悲劇と誇りをこの「超えて」いる所に見る。
70年程前、日本の国民は戦って見事に敗れたが、今日の日本列島の住民は、戦わずして、ただダラダラと敗れて行っているのではないか。

随分長くなりましたが、新保さんのご見解には共感を覚えますね。
特に「歴史哲学」の視点が大切と言う所と、最後の「戦わずして敗れて行っているのでは」とのご指摘には本当に考えさせられるものがあると強く思います。
この、大東亜戦争こと太平洋戦争の日米開戦の一事にしても、「一方的な侵略だった」などと言う狭小な視点より脱し、もっと大きな「巨視の心」と「公正な視点」にて深く見る姿勢が大切なのでしょう。
想えば、この二つの心を形にした夢の乗物こそが、パノラマカーであった、と今思っている所であります。*(日本)*
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