「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

12月17日(火)20時~・12月18日14時~(ZOOM)にてリモート集談会&忘年会を開催します

ストレスを悪者にしない!

2024年03月26日 11時58分48秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

朝のNHKの情報番組で野菜作りをする上で植物にも、適度なストレスが必要であるということを言われていました。

その時にふとストレスを悪者にしないという言葉が浮かびました。

近年の精神医学分野の研究においてもストレスは悪いものではないという報告がなされているようです。

そもそもストレスを完全になくすことなどできません。

問題はそのストレスに向き合い、解決して行く能力を高めるしかないと思うのです。

私たちは人間関係以外からでもさまざまなストレスを受けます。

近年では、異常気象により自然界からのストレスもあります。

私たちの国では地震や洪水などが頻繁に起こるのですが、備えは出来てもそれを止めることは出来ませんね。

ところが心の問題に関しては、まだまだ自分でコントロールできるという錯覚やおごりが目立つような気がしています。

森田療法の優れた点は、ストレスを異常とみなし排除したりストレスの原因を過去に求めることもしません。

すべてをあるがままに受け止め、ストレスもまた自分の一部として内包して適応する工夫を説くのです。

私は仕事や自助グループを通じてさまざまな人と出会ってまいりました。

この人は「優しい人だな」「思いやりのある人だな」と思う方にはある共通点がありました。

少しお話を聞いてみると生まれ持って持病があったり、家族の問題や病気を抱えていたり、事故の後遺症で悩まれたりした経験のある方が多かったように思います。

不条理を包み込むことで人間としての幅の広さや奥行きを感じさせる方にも随分出逢わせていただきました。

ストレスを悪者にしない、そのような気持ちを新たにしている一世です。

今日の森田の言葉

(※山中和己氏・そのままのあなたですべてよし、より一部抜粋)

※ちょっと結論めいたことをいう。

私たちは、今思うこと・考えること・感じること・それを思わないように・考えないように・感じないようにすることはできない。

これはふつう世界中のだれもが不可能なことがらである。

それを、あたかもできるかのように錯覚して、努力をつみ重ねるのが神経質者だろう。

方向ちがいに走るので、とらわれたり・落ち込んだりするのは必然となっていく。

悲しい事実だ。

この世の地獄がそこに展開する。

森田博士はそこを、さらっと無知といわれる。

もっとも無知と言われても、まったく嘆くにはおよばない。

無知ならば知ればよいだけのことだ。※




2024.3.26 一世

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食事も人間関係も腹八分!

2024年03月25日 05時41分39秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

おはようございます。

沈丁花に菜の花、そして春霞、還暦を過ぎてようやく春そのものを楽しめるようになりました。

振り返りますと、生活に追われ、季節性の落ち込みにもずいぶん苦しめられました。

相変わらずの必死のパッチ生活ですが、心がどんどん流れていくのを感じます。

さて、最近食事は、朝・昼の一日二食です。

貧乏からではなく健康のためです。

夜の良質な睡眠を確保するために、夜に食べ過ぎないことを心がけています。

それからプライベートでも職場でも人間関係をあまり広げず、適度な距離感を大切にしています。

食事も人間関係も腹八分というところでしょうか?

以前は社交的な人を見ると、とても羨ましく感じたものですが、今はそうでもありません。

むしろ信頼できる人たちと、じっくりと関わりたいと思っています。

今日の森田博士の言葉

※私も学生時代から、社交的常識がなく、森田は変人でつきあいしにくいと言われたものです。

 今もその通りです。
 ただ一見しては、寄りつけず 深くなるほど親しみができるという一般評が私のとりえであります。

これも神経質の特質のようです。

私も社交において、全て、自我の理屈と意地が強くていけませんが、学生時代から会の幹事とかになってはよく世話をしたものです。

また自分の必要と考えることには先輩にも、ためになる優秀な同輩にも努めて交際する工夫をしたものです。※

森田博士は初めから出来ないと決めつけずに若き日より、客観的に自分を見つめ、尚且つ陰で、努力もされていますね。





2024.3.25 一世

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自助グループのテキトーおじさんになりたい!

2024年03月24日 07時47分35秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

おはようございます。

最近、適当、臨機応変、曖昧、調和などの言葉に惹かれる私です。

全てはかくあるべしの対極にある言葉です。

自助グループにおける、テキトー男で有名な高田純次さんのような存在になりたいのです。

お会いしたことがないので、演技なのか素顔なのかはわかりません。

演技だとすればすばらしい才能です。

素顔だとすれば羨ましい。

おそらくどちらも兼ね備えておられるのかもしれませんね。

毎年彼は、目標はと聞かれると、『ただ生きる』と答えておられるとのことです。

面白いですね。

そもそもこのブログそのものが、かなりテキトーです。

ほっといてくれ!

かつて彼の出演する 有名なCM に5時から男というのがありました。

仕事ではうだつが上がらず、評価されてないが、退社後の5時から遊びや飲み会にいかんなく存在感を発揮するおじさんのことです。

ちなみにかつての私は、職場でうだつがあがらいところまでは同じですが、5時からサービス残業のやり過ぎで 抑うつになりました。

今だからこそギャクで言えますが当時は笑えませんでした。

神経質タイプの方にはこのようなテキトーの発想が必要ではないでしょうか!

神経質の性格特徴として偏りやすいということがあります。

平たく言えば良い悪いではなくバランスが悪いということです。

もちろんそれはとらわれている最中の神経質者の場合です。

何事にも偏りやすい神経質者対して、森田博士は調和という言葉を多用されています。

※今日の森田博士の言葉

神経質者にはよく、身体の熱感を訴える人があります。

検温してみると平熱です。

それは単に、神経性に違和感がある、というまでのことであります。

こんな時には外に出て活動することによって調和が得られるけれども、患者は病気を恐れるために、家の中に閉じこもり、安静にしていて、ますます「不調和」になるのであります。




2024.3.24一世

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主観的事実と客観的事実!

2024年03月23日 07時33分13秒 | コラム 



大阪水曜ほっと集談会一世です。

おはようございます。

今日は私の地域は雨です。

今から嫌々出勤します。

さてとらわれている最中の神経質者は、ばっかり人間だと思います。

これは私が勝手に考えた造語です。

自分の症状ばっかり話す、仕事ばっかりする、確認ばっかりする、

ばっかり人間だと思うのです。

特にコロナ禍以降、消毒ばっかり、手洗いばっかり、うがいばっかり人間が増えたように思います。

特筆すべきはドクターショッピングと呼ばれる医者巡りばっかりしている人たちがいることです。

ではどうすればよいのか、森田博士に聞いてみましょう!

※今日の森田博士の言葉

※ここに心臓病恐怖の人があるとします。

診察した医者が、「心臓は大丈夫だ」という、それは客観的な事実であります。

しかし本人はやはり心臓麻痺を起こすのではないかとこわい。

それは主観的事実であります。

このような場合、患者は「心臓は大丈夫である」という、客観的事実と「自分はこわがるものである」という主観的事実と認めなければなりません。

そうするといろんな治療法をあさり歩くということはなくなり、怖いままに普通に仕事もし、外出もするという、生活スタイルが出てくるはずであります。

それが「あるがまま」ということであります。※

ここでの大切なポイントは、森田博士は客観的事実だけでなく主観的事実も否定されておらず両方をひっくるめて事実と呼んでおられる点でしょうか?

しらんけど!

残念なことに私のカードケースには過去に診察を受けた医療機関のカードがトランプのようにずらりと並んでいます。

これ一体どうするねん?





2024.3.23 一世

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依存症とはなんだろう?

2024年03月22日 05時19分09秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

昨夜はメジャーリーグベースボールの中継とそれにまつわるギャンブル依存症の報道を見ながら、疲れて寝落ちしてしまった私です。

何とも目覚めの悪い朝です。

あらためて、依存症とは何だろうか、という疑問が脳裏をよぎりました。

人はうらやまれるような報酬や社会的なステータスを得ても、不安や恐怖からは逃れられないと言う事実に唖然としました。

むしろ社会的に注目され、それに伴う報酬を得れば得る程、不安は雪だるま式に膨れ上がりストレスを解消するための飲酒やギャンブルがさらなる不安を作り出すのかもしれません。

私はアルコールやギャンブル依存についてはわかりませんが、ある時期完全な仕事依存でした。

いわゆるワーカーホリックです。

常に何かに追い立てられている気がして落ち着かず、次から次へと仕事をこなしているうちに、当たり前の感覚がなくなっていきました。

極度の疲労が脳の電池切れ状態を引き起こし、季節感もなくなり自分の意思をどう表現したらよいのかさえ分からなくなっていきました。

珈琲を飲もうと入ったカフェで、メニューが決められなかったのはこの時期です。

早朝覚醒が頻繁に起こり、常時強い疲労感に悩まされていました。

ブログ書くために早起きをする現在の健康的な生活とは雲泥の差です。

残念なことに当時は自分が仕事依存に陥ってることが、わかりませんでした。

振り返りますと生活の為とはいえ、かなり心身ともに、追い込まれていたことは事実です。

当時の生活は心にかなりのダメージを与え、回復するのにかなりの時間を要しました。

私には依存症に対してコメントする力量はありません。

だがこれだけは、書き添えておきたいと思います。

依存症になるひとは、意志が弱い、人間的に弱いという日本人特有の精神論に基づく情緒的な決め付けはやめてもらいたい。

これは明らかに骨折やがんと同じように、治療をしなければならない病なのです。

依存症の背景に、自分への不信感や寂しさが、見え隠れするような気がする一世です。

本日は、依存症研究の第一人者と言われる斎藤 学氏の著書からその心の内側を学んで見たいと思います。

※今日の心に響く言葉

自尊心を奪われている人は、自分を大切にする感覚が失われています。

自分が正しいと思うこと、自分が美しいと思うことを貫いて潔く負けるより、数値ではかれる「勝利」だけにこだわってしまうのです。

そこから様々な不正も生まれてきます。

「勝ち負け」「優劣」をつける社会の中でどちらが優位に立ったか一喜一憂しながら駆け引きをする。

そんな人間関係しか持てなければ寂しいのは当たり前です。

その人にとって、周囲の人間は全て「競争相手」なのだから「友だち」にはなれません。

表面的には友だちのふりをしていても、心の中ではいつも「あいつに勝っている」「あの人には負けた」と勝敗の結果をつけているのですから。





2024.3.22 一世

※タイトル:自分のために生きていけるということ。
 副題 寂しくて退屈な人たちへ
※斎藤 学(さいとう さとる)氏
※大和書房

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