最近お父さんたちは危ない。
特に家庭内において危なくなってきている。
よく聞く話に「定年の日から離婚を言い渡される夫」というのがある。
お父さんは妻に見放され、子供たちからもうとんじられ、ふと気がつくと老人マンションの一室に、一人寂しく座っている。
ということになる。
老人マンションならまだいいほうで、ふと気がつくと吹きっさらしの地下街のダンボールの上に座っている。
ということだって考えられる。
お父さんの何がいけなかったのか。
妻へのいたわりがなかった。
時代の流れに気がつかなかった。
亭主関白が一番、と思い込んでいた。
徐々にではあるが、お父さんたちはこれではいけないと気づき始めている。
少しづつ改め始めている。
しかしお父さんたちの弊害として、気づきかたが遅い、ということがある。
時代の変化に、常に一歩遅れている。
食生活においてもそれはいえる。
お父さんたちの味覚と、子供たちの味覚は、かなり隔たりが生じ始めている。
お父さんたちは「ご飯にはなんてったってアジの開きが一番」、と思い込んでいる。
「なにぃ?、ご飯にマヨネーズ?」、と険しい顔つきになる。
ホラホラ、それがいかんということです。
いま「ご飯にマヨネーズ」は、女房子供たちの間では当然のことになっているのだ。
ご飯にマヨネーズは、まずおにぎりに定着した。
コンビニでは「梅干」や「明太子」より「シーチキンマヨ」のほうが売れ行きがいいらしい。
セブンイレブンの開店セールでいただきました
慣れるとけっこうおいしいね、なんて言ってるお父さんもいるようだが、「慣れると」とか「けっこう」がいけない。
素直に「おいしい」と言わなければならない。
日本の伝統食、寿司にもマヨネーズが登場するようになった。
「な、なにぃ?、寿司にマヨネーズ?」
と、お父さんはまたしても眉を逆立ててしまうだろうが、それがいけないのだ。
それがダンボールに至る道、だというのです。
ここはひとつ耐えましょう。
ダンボールを避けるためには、寿司でも刺身にでもマヨネーズということを容認しなければならない。
刺身には醤油しか考えられない、という固定観念を破らなければならない。
これからの時代、どんなことだってアリなのだ。
お父さんたちとしては、今後どのように意外な組み合わせが登場しても、決して驚かず、けなさず、その度に「ダンボール、ダンボール」と唱え、「どれどれお父さんにも一口」
と、応じるのが賢い生き方といえよう。