今日は海技免状更新の日です。1830より2100まで講習があり、あ~疲れました。船を持っているわけでもないくせに、免状だけ持ってても何の役にも立ちませな~。ペーパードライバーならぬペーパー船長であります。
「島根県の山」で12番目に紹介してある大出日山(おおしびさん)への山歩きにお出かけです。
松江市八雲町、雲南市大東町、安来市広瀬町の境界にある高さ601メートルの山ですが、地図に山名は無くあまり目立たない山ですが、地元の人が登山道を開いて以来、少しずつですが登られるようになったようです。
登山口は、ホタル舞う赤川源流の雲南市大東町側からで、川の源流を探検する気分でお出かけしたのですが、いやはややっぱり山は手ごわいですな~。
川の源流というべき清らかな水を横目にヒーヒーあえぎながら登ります。
途中、山歩きのベテラン風な御婦人2人連れとすれ違いました。
鈴をチリンチリンと鳴らしながら降りてこられます。
そうか~クマさん除けか…
中国山地にはクマさんが生息していて、毎年その目撃情報をニュースで知ったりしますが…
そういえば昨秋でしたか、クマさんが松江市宍道町のJR宍道駅附近で目撃され、警察や消防団出動する事件がありました。
クマさんもエサを求めて大変でしょうが、僕たちも自己防衛を考えねばね~。
それはともかく山を登ります。
山からの眺めは春霞みでぼやけ気味、東西南北の感覚も無くなりどちらの方角を写したかも解りませんが、それでも心地よい汗をかき満足しました。
しかし、やっぱり疲れた~。
ところで赤川ってすごい名の川だと思いませんか?
出雲神話によれば、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した時、剣で切られたオロチの血で真っ赤になったので、赤川になったとか…
本当かな?
松江市八雲町、雲南市大東町、安来市広瀬町の境界にある高さ601メートルの山ですが、地図に山名は無くあまり目立たない山ですが、地元の人が登山道を開いて以来、少しずつですが登られるようになったようです。
登山口は、ホタル舞う赤川源流の雲南市大東町側からで、川の源流を探検する気分でお出かけしたのですが、いやはややっぱり山は手ごわいですな~。
川の源流というべき清らかな水を横目にヒーヒーあえぎながら登ります。
途中、山歩きのベテラン風な御婦人2人連れとすれ違いました。
鈴をチリンチリンと鳴らしながら降りてこられます。
そうか~クマさん除けか…
中国山地にはクマさんが生息していて、毎年その目撃情報をニュースで知ったりしますが…
そういえば昨秋でしたか、クマさんが松江市宍道町のJR宍道駅附近で目撃され、警察や消防団出動する事件がありました。
クマさんもエサを求めて大変でしょうが、僕たちも自己防衛を考えねばね~。
それはともかく山を登ります。
山からの眺めは春霞みでぼやけ気味、東西南北の感覚も無くなりどちらの方角を写したかも解りませんが、それでも心地よい汗をかき満足しました。
しかし、やっぱり疲れた~。
ところで赤川ってすごい名の川だと思いませんか?
出雲神話によれば、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した時、剣で切られたオロチの血で真っ赤になったので、赤川になったとか…
本当かな?
まだまだ本格的な開花ではありませんが、牡丹の花が咲き始めました。
牡丹は島根県の県花に指定されています。
いよいよ5月が近いな~って感じがします。
さて今日は遼太くんの誕生日であります。
まだと言うか、もうと言いましょうかともかく10歳になりました。
10年前の今日、23時40分頃に生まれたと記憶しています。
その日僕は宴会の予定があり、夕方産気づいた母さんを病院まで送り、後はほったらかしにして宴会へと向かい、だらしなく飲んでいたのでした。
翌日男の子が生まれたとの連絡があり、病院へ行き初めてのご対面。
ウーン、不細工な赤ちゃんだな~。
しかし口も耳もちゃんと付いているし、指もちゃんと5本づつあるので、やれやれ一安心。
家族が一人増えたことの喜びを感じたものでした。
その翌年、遼太くんの1歳の誕生日の前日。
僕は右折しようと停車していたところ、後ろから大型車にオカマされ、救急車で病院へ搬送されムチ打ち症で入院です。
遼太くんの1歳の誕生日は、病院のベットの上で一人寂しく過しましたな~。
退院する日には、僕の好きだったテレサテンが死んだとのニュースが流れ、またショック。
惨々たるゴールデンウィークだった記憶があります。
あれからいろんな事がありましたが、何とか無事10歳を迎えることが出来ました。
4年生になってからは、サッカー教室に通い始めてるので忙しい忙しい。
月、水、土はサッカー 火は習字 木は水泳と大人顔負けの忙しさです。
勉強が出来る出来ないは置いといて、きちんと挨拶が出来て、苦しくても我慢出来る子に成長してほしいものです。
牡丹は島根県の県花に指定されています。
いよいよ5月が近いな~って感じがします。
さて今日は遼太くんの誕生日であります。
まだと言うか、もうと言いましょうかともかく10歳になりました。
10年前の今日、23時40分頃に生まれたと記憶しています。
その日僕は宴会の予定があり、夕方産気づいた母さんを病院まで送り、後はほったらかしにして宴会へと向かい、だらしなく飲んでいたのでした。
翌日男の子が生まれたとの連絡があり、病院へ行き初めてのご対面。
ウーン、不細工な赤ちゃんだな~。
しかし口も耳もちゃんと付いているし、指もちゃんと5本づつあるので、やれやれ一安心。
家族が一人増えたことの喜びを感じたものでした。
その翌年、遼太くんの1歳の誕生日の前日。
僕は右折しようと停車していたところ、後ろから大型車にオカマされ、救急車で病院へ搬送されムチ打ち症で入院です。
遼太くんの1歳の誕生日は、病院のベットの上で一人寂しく過しましたな~。
退院する日には、僕の好きだったテレサテンが死んだとのニュースが流れ、またショック。
惨々たるゴールデンウィークだった記憶があります。
あれからいろんな事がありましたが、何とか無事10歳を迎えることが出来ました。
4年生になってからは、サッカー教室に通い始めてるので忙しい忙しい。
月、水、土はサッカー 火は習字 木は水泳と大人顔負けの忙しさです。
勉強が出来る出来ないは置いといて、きちんと挨拶が出来て、苦しくても我慢出来る子に成長してほしいものです。
たたら製鉄が繁栄した奧出雲は、奥深い山の中に当時の先端産業があったことになります。
奧出雲でたたら製鉄が盛んだった理由は、質の良い砂鉄と豊富な森林資源(木炭)があったからだそうです。
鉄師(たたら経営者)の田部、絲原、桜井家は鉄師御三家と呼ばれ、藩主を招いたり、名字帯刀を許されていました。
その栄華のようすは、屋敷や博物館で現在も見ることができます。
写真は松江藩鉄師筆頭であった田部家の土蔵群です。
雲南市吉田町にある田部家には、当時の繁栄を物語る白壁の土蔵群が立ち並んでいます。
所蔵の美術品の一部は、松江市にある田部美術館で公開されています。
かつての総理大臣であった、竹下登さんも雲南市掛合町にある造り酒屋で生まれたお坊ちゃまでしたが、鉄師御三家と同格の仲間には入れてもらえず、悔しがったとか…
にわか成り上がりの総理大臣より鉄師御三家のほうが偉いなんて、何か気持ちいいですよね。
奧出雲でたたら製鉄が盛んだった理由は、質の良い砂鉄と豊富な森林資源(木炭)があったからだそうです。
鉄師(たたら経営者)の田部、絲原、桜井家は鉄師御三家と呼ばれ、藩主を招いたり、名字帯刀を許されていました。
その栄華のようすは、屋敷や博物館で現在も見ることができます。
写真は松江藩鉄師筆頭であった田部家の土蔵群です。
雲南市吉田町にある田部家には、当時の繁栄を物語る白壁の土蔵群が立ち並んでいます。
所蔵の美術品の一部は、松江市にある田部美術館で公開されています。
かつての総理大臣であった、竹下登さんも雲南市掛合町にある造り酒屋で生まれたお坊ちゃまでしたが、鉄師御三家と同格の仲間には入れてもらえず、悔しがったとか…
にわか成り上がりの総理大臣より鉄師御三家のほうが偉いなんて、何か気持ちいいですよね。
安来港のすぐ近くにある和鋼博物館です。
安来は周辺山間部の「たたら」で生産された鋼の積み出し港として繁栄した歴史があります。
しかし明治時代になると、「たたら製鉄」は衰退してしまいますが、ここ安来は伝統的な技術に改良がなされ、優れた鋼の生産地として生まれ変わり、世界的にも著名なハガネ生産の町になりました。
ヤスキハガネは特殊鋼の部類では、世界に通用するブランドだそうです。
今では日立金属がこの町のシンボルで、いわば企業城下町でもあります。
古来からの伝統と技術の賜物ですね。
さてさてこの和鋼博物館ですが、「たたら製鉄」に関する総合博物館で、たたらの技術やその流通など、多くの資料を展示しています。
僕がお邪魔した日には、古刀名品展という特別企画展を行っておりました。
太刀や脇差、短刀などが作られた時代、作者の説明入りで展示してあります。
驚いたことに鎌倉時代から南北朝、室町時代の作品がずらっと並んでいました。
こうして展示してある刀剣をみていると、まるで美術品のようでした。
奧出雲町仁多R432沿いにある、たたら角炉伝承館です。
西洋の近代製鉄に押され、衰退していくたたらを、技術改良で持ちこたえようとして開発された、角炉による製鉄法を伝える資料館です。
実際に使われていた角炉を修復して、当時の技術を公開するとともに、時代の流れに逆らえず終焉を迎えた、たたら製鉄の最終章を紹介しています。
お休みなしで、無料で見学できるのが嬉しいですね。
西洋の近代製鉄に押され、衰退していくたたらを、技術改良で持ちこたえようとして開発された、角炉による製鉄法を伝える資料館です。
実際に使われていた角炉を修復して、当時の技術を公開するとともに、時代の流れに逆らえず終焉を迎えた、たたら製鉄の最終章を紹介しています。
お休みなしで、無料で見学できるのが嬉しいですね。
奧出雲町横田にある、奧出雲たたらと刀剣館です。
たたら製鉄の歴史と玉鋼を原料とした刀剣の鍛造技術を紹介しています。
たたらといえば、日本刀の材料である玉鋼(たまはがね)が思い浮かびますが、ここでは月2回日本刀を鍛える過程も紹介しているそうです。
入口にある大きなモニュメントは、ヤマタノオロチだそうです。
大蛇の頭が八つ、こっちを睨んでいるようでちょっと怖い怖い。
もう少し可愛いらしいモニュメントのほうが良いと思うのでした。
たたら製鉄の歴史と玉鋼を原料とした刀剣の鍛造技術を紹介しています。
たたらといえば、日本刀の材料である玉鋼(たまはがね)が思い浮かびますが、ここでは月2回日本刀を鍛える過程も紹介しているそうです。
入口にある大きなモニュメントは、ヤマタノオロチだそうです。
大蛇の頭が八つ、こっちを睨んでいるようでちょっと怖い怖い。
もう少し可愛いらしいモニュメントのほうが良いと思うのでした。
雲南市吉田町菅谷にある古来の製鉄所です。
「たたら製鉄」とは粘土で作った炉に砂鉄を入れ、木炭を燃やして鉄を精製する、日本古来の製鉄法のことをいいます。
国の重要有形民俗文化財に指定されています。
映画「もののけ姫」のモデルにもなった全国で唯一のたたら製鉄の遺構で、たたら製鉄で使われた製鉄炉と建物が、かつての姿のままで残されています。
天井が高く壁は土で造られ、かなり大規模な建物で、炉の地下には湿気抜きのための地下構造(床釣り)が眠っているそうです。
周囲にはたたら製鉄に従事していた人々の家や役所が残っており、彼らの暮らしぶりを紹介する山内生活伝承館もあります。
まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようで、たたら製鉄を知るには必見のスポットでした。
「たたら製鉄」とは粘土で作った炉に砂鉄を入れ、木炭を燃やして鉄を精製する、日本古来の製鉄法のことをいいます。
国の重要有形民俗文化財に指定されています。
映画「もののけ姫」のモデルにもなった全国で唯一のたたら製鉄の遺構で、たたら製鉄で使われた製鉄炉と建物が、かつての姿のままで残されています。
天井が高く壁は土で造られ、かなり大規模な建物で、炉の地下には湿気抜きのための地下構造(床釣り)が眠っているそうです。
周囲にはたたら製鉄に従事していた人々の家や役所が残っており、彼らの暮らしぶりを紹介する山内生活伝承館もあります。
まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようで、たたら製鉄を知るには必見のスポットでした。
雲南市三刀屋町の三刀屋川河川敷きにある桜並木で咲いてた御衣黄(ぎょいこう)です。
ソメイヨシノが葉桜状態になってしまってますが、この御衣黄は今まさに満開であります。
別名みどりの桜として、まだお花見が楽しめるスポットでした。
ソメイヨシノが葉桜状態になってしまってますが、この御衣黄は今まさに満開であります。
別名みどりの桜として、まだお花見が楽しめるスポットでした。
鳥取県にある秀峰大山に行ったとき、道路沿いにある梨の木が綺麗に花を咲かせていました。
鳥取県の名産二十世紀梨、この時期に花を咲かせ数々の手間をかけて、9月頃に収穫します。
山間の斜面にある梨畑は、今どこも白い花で満開であります。
鳥取県の名産二十世紀梨、この時期に花を咲かせ数々の手間をかけて、9月頃に収穫します。
山間の斜面にある梨畑は、今どこも白い花で満開であります。