昭和の時代に流行った歌で「森田公一とトップギャラン」の「青春時代」というのがあった。
♬ 卒業までの半年で/答えを出すというけれど/二人で暮らした年月を/何で計ればいいのだろう
という歌なのだが、すると何か、卒業まであと半年ということは、それまでの三年半、二人は何をしてたというのだ。
同棲だろ、けしからんじゃないか。
学生だろ、学生のクセに同棲というのはふしだらだろ。
「二人で暮らした」の「暮らした」も気に入らなかった。
暮らしというものはだな、地味で地道な生活のことを言う。
それなのに学生のクセに二人で暮らすなんて、いいことをしやがって、と悔しくて机をドンドン叩いたものだった。
かぐや姫の「神田川」も同棲ソングだった。
二人で町の銭湯に行くなど、一見卑下しているように見えるが、実はあれは自慢ソングであることを見破った。
♬ 小さな石鹸カタカタ鳴った
などと貧乏くさいことを言っているが、なぜその石鹸は小さくなったのか。
それは「二人で暮らした年月」の長さを誇示して自慢しているのだ。
このように流行歌というものは、人々の憧れを歌に託したものが多いが、時にはその歌詞が人々の妬みやひがみを買うこともある。
それにしても流行歌の世界は、何と男女の愛だとか恋ばかりを取り上げていることか。
好きだとか、愛してるとか、口づけがどうのこうのとか、抱き合うとか。
男女の恋愛以外、すなわち政治、経済、道徳、世界情勢などの大きな問題を歌いあげる流行歌はなぜないのか。
そういう流行歌もあってしかるべきだと思う。
森友学園問題などは、その全内容を人々は熟知しているし、政治の非情、酷薄も随所に盛り込まれているし、籠池元理事長、安部昭恵夫人の名ゼリフもたっぷりある。
「森友エレジー」として歌いあげれば、かなりの娯楽作品になると思うのだが…。