焼き鳥は串に刺してあるから焼き鳥だ。
串に刺してあるから美味しい。
箸を使わずに食べる料理としてとても楽しい。
その焼き鳥を、いちいち串から外して食べるという風潮があるという。
まことにけしからん。
今の世の中、ちょっと目を離しているとアッという間に変貌してしまうので、焼き鳥屋のオヤジも「できたらそういう食べ方はやめてくれませんか」
などと控えめに申し立ててるんじゃないかな。
焼き鳥屋のオヤジは昼間「準備中」という札を表にかかげ、一串に4個ないし5個、一心不乱に鶏肉を刺し続けること数時間。
ようやく刺し終えて「準備中」の札を裏返しにして「営業中」にしたとたん、客が入ってきてその1個1個を外しにかかる。
こうなってくると焼き鳥屋のオヤジは、一串一串何のために鶏肉を串に刺したのか、その意味がわからなくなってくる。
「これじゃったらフライパンでジャーと炒めたほうが楽じゃったのう」
と嘆くであろう。
だが若い連中やご婦人方にとっては確かに串のままかじるとなると、とても上品とはいえないかもしれない。
焼き鳥には、ささみ、もも肉、レバー、つくね、手羽、砂肝などいろんな種類がある。
ささみ、もも肉、レバーなどは比較的楽に串から外れる。
だが砂肝となると頑強に串にしがみついて離れようとしない。
焼き鳥を串ごと食べるには、それなりの覚悟が要る、ということになる。
これに比べたら、串から外して食べるほうがどんなに楽か。
こうなってくると焼き鳥屋の立場はどうなるのか。
アタクシとしてはどっちの立場を支持すればいいのか。
ただウロウロしてるだけではすまないので、「大岡裁き」で名高い大岡越前守に裁いてもらうというのはどうか。
某ショッピングセンターにおける焼き鳥出張販売店
お白州に焼き鳥屋のオヤジと町娘が平伏している。
一段高い所に大岡越前。
「これ、焼き鳥屋金蔵(仮名です)、そのほうの言い分、ようわかった」
「これ、町娘おゆき(これも仮名)、そのほうの言い分もこの越前、胸にしかと収めた」
「そこでじゃ、こうしたらどうであろう、これ金蔵、店で焼き鳥を串から外して食べる客を許してやれ」
「それはあんまりな」、と金蔵、小さくつぶやく。
「これ、おゆき、これからは堂々と焼き鳥を串から外して食べてよいぞ」
「キャー、うれぴー、これで歯茎を全面的露出しなくて済むわ」と喜ぶおゆき。
「ただしよいか、おゆき、その外した串は金蔵が一串一串心を込めて刺した串であるゆえ、粗末に扱ってはならぬ」
「であるからして、いざ食べる段においては箸を用いてはならぬ」
「必ずや金蔵の串で食べることを申し付ける」
「それならばあたくしめの面目も…」と伏して感涙にむせぶ金蔵。
これぞ名裁き、と後世に称えられればいいが…。