これも時代の流れか…
媒体が無くなってしまえば、東尾修や東海林さだおの記事も読めなくなってしまう。
芸能界のゴシップや、政界を揺るがすような文春砲で人々の関心を呼ぶのではなく、真っ当な記事で勝負してた週刊朝日。
残念であります。
読書の秋。
秋の夜長は読書がいい。
本屋に入って何か面白い本はないか、と探していると面白そうな本があった。
最初の方を読んでみると、まさにこれは自分が読みたかった本だ。
と思い、読み進んで行くうち感動し、改めて内容の濃さに喜びをかみしめ、読み続ける。
そうして寝る前に本棚にしまおうとして本棚をふと見ると、まったく同じ本がそこに並んでいるのである。
一体誰が買ったのか。
趣味嗜好を同じくする者が家族の中にいたのだ。
いや、待てよ
この本棚は自分だけの本棚のはずで、家族の者がここに本を入れるということはありえない。
すると、この本を買ったのは自分ということになる。
そんなはずはない。
今日買った本の内容はあんなにも新鮮だったし、あんなにも新しい知識を得られたのだし、それに本を読んであんなにも感動したのは今までに一度もなかったことだ。
そのことを同年代の友人に話すと、「いや、君は二冊だからまだいい、ウチなんか三冊もある」
と言われ、少し安心するのであった。
自分は昔から本にカバーをするのが嫌いで、今も書店で本を買うと「そのままでいいです」、と言ってカバーをせずレシートと本をもらって帰る。
昔は本はとても大切なものだったので、本を買うとカバーをかけてもらう人が多かった。
最近は過剰な包装を避けるようになったため、カバーを断る人は多いが、書店で見ているとカバーをかけてもらう人はまだいる。
乗り物の中で本を読むとき、カバーがあると他人に何の本か悟られることがないので重宝するが、本棚に並べたときに何の本だったのか一目でわからない問題が生じる。
カバーをかけていたら、手持ちの本の把握ができない。
本のカバーは、カバーごとに分類できる(書店毎に)きちんと本の整理できる人のためにあるんでしょうね。
整理整頓が苦手なアタクシには不用かな。
などと思うのであります。
あーぁ、今日も一日疲れた。
明日も元気で暮らせたらいいですが、明日は明日の風が吹くとはよく言ったもので、その言葉の重みを御年62.5歳あたりでしみじみ思うのであります。
だが今週末土曜日には、素晴らしいゲストを迎えてのお食事会なども企画立案している。
若者に比べれば残された時間は少ないですが、歳とってる暇などないと思う、老人初心者なのでした。
本が好きなので、一週間に一度くらいのペースで書店に寄る。
書店に行くと、とりあえず端から端まで見ていく。
書店に行くと意外な発見があって面白い。
こんな本が出ているのかと、お宝を発掘する楽しみもあるし、まったく興味のないジャンルでも面白そうな本が見つかったりする。
昔と違い、今は一度に自分の手で持てる範囲の重さ分しか買わないので、書店の店頭で購入するので十分だ。
本は買う買わないに関わらず、手に取って触れる楽しみが大きい。
微かなインクの匂いも堪えられないのである。
「寿司屋のかみさん」シリーズ最新版
東京オリンピックまでは店に立ちたいと言っていた大将ががんで亡くなる。
闘病と死、悲しみを湛えながら気丈に振舞い店を続ける胸をうたれる。
哀しくてやがて優しい時間が流れる、ほっこりほのぼの寿司エッセイ。
寿司屋さんの裏話や賄い料理など、読むとお寿司が食べたくなるのが必須。
東京のお寿司屋さんなら2万円覚悟ですが、出雲のお寿司屋さんなら日本海の幸が格安でいただけます。
出雲の呉竹鮨のテイクアウト
日本人なら祝い事にはお寿司がいいですよね。
テイクアウトなら並で2000円前後で済むのが嬉しい。
東京に比べれば、その差は愕然としている。
美味しい鮨を食べると幸せになります。
最愛の伴侶の闘病と死を乗り越えて…
橋本龍太郎元総理も通った名店「名登利寿司」女将の実録細うで繁盛記でした。
世の中には「○○週間」と称するものがたくさんある。
「交通安全週間」とか「火災予防週間」、「動物愛護週間」とか各種団体各方面でいろいろと行われている。
一年間のうち、せめてその期間だけでもやる気を出させよう、士気を高めようという趣旨らしい。
「読書週間」というのもある。
ほかの習慣はともかく、読書の場合は「読書週間」だからといって士気が高まるものなのだろうか。
読書ってそういうものだろうか。
読書は集中力を必要とする。
しかしこちらは老体である。
集中力の衰えたわが頭脳は、はたして読書に耐えられるであろうか。
この世の思い出に、本物の文学とはどういうものだったのか、もう一度だけ確認してから死にたい。
だが老いた脳には、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のような純文学は無理である。
読みかけの本は、一晩寝るとそれまで読んだ内容をすべて忘れてしまって、また最初から読まなければならず、いつまでたっても読み終えることができないのである。
悲しきかな、これが今の現状なのである。
本日の一句
晩秋の 同じ本が 二冊かな
また同じ本を買ってしまった…
情けない…
読書の秋、こんな本を見つけた。
神々の住まう出雲に銀山の石見、歴史に翻弄された隠岐。
日本史上目立ちまくる旧3国からなる島根県。
しかし、プライドは高くても内情は苦しい。
人口減少と経済の低迷は長期化し、世界遺産登録に沸いた観光業も世情に振り回されて、安定感は全くない。
だが、そんな島根県にも光明はある。
かつては流刑地隠岐には自然を求めるUIターン移住者が増加。
松江は実現が難しい地方のIT産業拠点構築に成功しつつある。
これは島根の実力かそれとも神々の気まぐれなのか
秋の夜長にじっくり読みたい本であります。
群ようこ著 「また明日」
ヤヨイ、タカユキ、ユリコ、カツオ、マスコ。
子供時代の一時期を共に過ごした同級生5人組は、還暦を過ぎて再会した。
それぞれの人生は、思い通りにならないことのほうが多かったかもしれない。
でも、「また明日」といい合える友がいて、これからも毎日は続いていく。
東京オリンピック、アポロ11号、ザ・タイガース、ちびまる子ちゃん、2000年問題、東日本大震災…
昭和30年代から平成の終わりまで、時代背景とともに綴る長編物語。
自分と重なる部分があるので買いました。
女流作家の作品はあまり読まないが、「群ようこ」と「山崎豊子」だけは好きなのでほとんど読んでいる。
新しい本は、インクのにおいが心地よい。
とても楽しみだなぁ。