松江市東出雲町、山陰道東出雲インター交差点の近くにある「めんふぁん食堂」のテイクアウト。
かつとじ弁当
ご飯大盛でもワンコインの500円(税込み)。
コンビニ弁当とは違い、余計なおかずが入っていないのがいい。
土曜出勤昼飯、定番のお店です。
松江市東出雲町、山陰道東出雲インター交差点の近くにある「めんふぁん食堂」のテイクアウト。
かつとじ弁当
ご飯大盛でもワンコインの500円(税込み)。
コンビニ弁当とは違い、余計なおかずが入っていないのがいい。
土曜出勤昼飯、定番のお店です。
近頃はタトゥーを入れている人は珍しくない。
女性でもファッション的感覚で入れているのかもしれない。
自分の世代なら、タトゥーというと刺青と同列の印象がある。
若い人たちにとってはアクセサリーのようなものでも、理解しがたい部分があるのかもしれない。
昔なら、ピアスの穴を開けたら「親からもらった大切な身体に何をする」と、ものすごく叱られたものだ。
あんな小さな穴でさえそんな風に言われるのだから、もしもタトゥーを入れたとなったら大騒ぎになっただろう。
小さな薔薇やスミレなんかのタトゥーを入れた若い女性も、やがては結婚して母親になる。
当然おばあさんにもなる。
タトゥーを入れた老婆、皮膚の張りがなくなった身体の上で、スミレはちゃんとスミレとして見えるのだろうか。
それだけは気になってしまうのであった。
出雲市の有名ラーメン店「龍王」が閉店して久しい。
だがその跡地に、今話題の有名店「篠寛」の兄弟店がオープンしたとの情報を得た。
といっても随分前のことですが。
まぁそんな行列必死のラーメン店へ寄ってみた。
店構えは龍王の名残をそのままに
平日だったので行列なし、いささか拍子抜けであったしだい。
店内は一変してました
まずオーダーは自販機です。
そのあと細かいオーダーを受け付けるようにチェックシート
野菜(と言ってもモヤシのことだと思われる)普通、スープ普通、背脂普通、ニンニク少なめでオーダーしたのがこちら。
小ラーメン800円
これでもしっかり200グラムの麺らしい。
普通から大盛になると麺50グラムアップらしい。
お歳がめしたお客さまには、小ラーメンで十分だと思われます。
ジロー系ラーメン店の篠寛でした。
「上から目線」という言葉がある。
それは同年代、同僚、後輩など当人の立場から見て、同等か下の人から偉そうな発言をされることと理解していた。
それは、年上の人からの忠告とは少し違う意味あいがある。
上からではなく「下から目線」で話をしないと、腹を立ててしまう人が多い。
自分に対してあれこれ言われるのが嫌なのだ。
上でも下でも、どっちでもと思いながら、うまくやれればいいのだけれど。
なかなか難しい問題である。
最近、自分の物忘れのひどさに我ながらあきれるほどになってしまった。
かつては何よりも記憶力の良さが自慢だった。
まるで歩く電子手帳のような頭脳だった(いささか大袈裟か)。
ところがこの頃はあの電子手帳はどこへ行ったと、いいたくなるような醜態ばかりさらしているのだ。
仕事中にばったりとある人に会った。
何とはなしに話をするが、どこの誰かさんという部分が、自分の記憶からズボッと抜け落ちていた。
「お久しぶりですね、5年くらい前にお会いしたきりですね」
と笑いながらも、だんだん顔がひきつってきた。
頭の中には「この人誰だっけ」という字が一杯に充満しているのだが、記憶の糸はぷっつんと切れたままである。
このことを相手に悟られまいと、和やかに挨拶をかわしながらあせりまくった。
このとき初めて自分の脳味噌に大穴があいたような気がしたのである。
それから脳味噌は大穴だらけで、話している途中で相手の名前が山田さんか田中さんか、ふっとわからなくなることさえある。
相手は自分の名前が忘れ去られているのも知らずに、にこにこしている。
人生80年というのに、あとの20年をこのまま大穴だらけで過ごさなければならないのかと思うと、なんだかがっくりするのだった。
読書の秋、こんな本を見つけた。
神々の住まう出雲に銀山の石見、歴史に翻弄された隠岐。
日本史上目立ちまくる旧3国からなる島根県。
しかし、プライドは高くても内情は苦しい。
人口減少と経済の低迷は長期化し、世界遺産登録に沸いた観光業も世情に振り回されて、安定感は全くない。
だが、そんな島根県にも光明はある。
かつては流刑地隠岐には自然を求めるUIターン移住者が増加。
松江は実現が難しい地方のIT産業拠点構築に成功しつつある。
これは島根の実力かそれとも神々の気まぐれなのか
秋の夜長にじっくり読みたい本であります。
海の中をちょっとのぞいてみると、魚やイカやタコやクラゲや亀が泳いでいる。
それぞれに値段がついている。
鰯や鯖やサンマは安いが、鯛や鮪やノドグロ、河豚などは高い。
値段によって身分に差ができている。
魚といえども身分制度があるのだ。
サンマはもちろん大衆魚である。
大衆魚の代表ともいえる立場にある。
その代表の地位がいま危うくなりつつあることを、世人のよく知るところである。
高級魚になりつつあるのだ。
サンマがさっぱり獲れなくなった。
今年のシーズンの最初のころは、漁船一隻が漁に出て行って手ぶらで帰ってきたという記事もあった。
デパートの値段で一匹2000円という話も聞いた。
一匹2000円の魚はもはや大衆魚ではない。
超高級魚、しかも地位は鯛より上。
このあたりでサンマに対する認識を変えなければならない。
サンマに対する世間の評価がどんどん変わってきているのだ。
今年はこの程度の騒ぎで済みそうだが、来年はどうか。
相撲界もそれなりの対応をするはずだ。
毎場所優勝力士は大きな鯛を手でぶら下げて写真を撮られることになっているが、その鯛がサンマに取って代わられる。
ときには五匹いっぺんにぶら下げる力士もいて、それを見た人々は一斉にひれ伏す(力士ではなくサンマのほうに)。
当然のことながら宮中晩餐会にもサンマが登場する。
晩餐会の真っ白なテーブルの上に七輪。
その上に焼き網、そしてピカピカのサンマが堂々一匹。それを礼服の給仕人がウチワでバタバタ。
あたり一面、煙モーモー。
まさか、なんて言って笑っている場合…です、いや…、ほんとの話になったりして…
サンマの塩焼きは普通横長の皿に一匹横たわっていて、その横っちょのところに大根おろし、という簡単な構図なのだが、サンマはそれが不満だといい始める。
鮎を見てみろ、と言う。
筆生姜がナナメに立てかけてあるではないか。
甘鯛を見ろと言う。
笹の葉が敷いてあるではないか、と言う。
ああいう扱いをオレにもしろ、と言い始める。
器にも文句をつけ始める。
かつては、そのへんの100円ショップで買ったような皿に気安く機嫌よくのっかっていたのに、急にそれではダメだと言い始める。
九谷焼にしろ、と言う。
魯山人の皿にしろ、と言い始める。
しかし、にわか成金の悲しさ。
どうみてもサンマに魯山人の皿は似合わない。
魯山人の長皿の上に黒焦げのサンマ。
サンマは笹の葉を敷いていて筆生姜がナナメに立てかけてある。
いわば金の刺繍入りの布団に身を横たえているのだ。
ひとたび「サンマ大豊漁」ともなれば、再び大根おろしだけがお供するだけなのに。
をっちゃんラーメン田和山店
卓上
シンプルなラーメン500円
高齢者には濃厚とんこつラーメンより、こんなサッパリあっさり系のラーメンのほうがいいようです。
同居ばばも同感ですと申しております。
繁盛店であります。
神在月に参集された神々は、出雲路の最後にこの社へ立ち寄り、会議の締めくくりと直会(なおらい)と呼ぶ宴を催したのち、明年の再会を期して各地への帰路に就かれると言います。
旧暦10月26日(今年は12月10日)夕刻、神等去出(からさで)祭が行われます。
神々が旅立たれると、出雲は年の瀬を迎えます。
一年なんてあっという間であります。