線路はつづく

日々身近な神戸電鉄や 貨物列車の撮影中心に楽しんでいます 最近は 月いちで北条鉄道へも足を伸ばす様になりました。

南郷谷のC12

2024-12-31 15:21:35 | 蒸気機関車の時代
 今年最後のSL写真は 阿蘇山を背に南郷谷を行く 高森線のC12です。

    


    

    
    


    

    
    


   1973年12月撮影 高森線 立野~長陽    C12  下り 普通 高森

 長陽駅から乗り合いバスで 半時間もかからなかったと思います 立野を出た下り列車が 二つの橋梁と二つのトンネルを抜け 高森に向け南に向かう所を 外輪山の

麓から写しました 阿蘇の連山を背に 南郷谷を二両の客車を牽いて ゆっくりと進む小さな機関車C12 シャッターを切るのも忘れるほど 時間がゆったりと流れてい

ました。

 熊本地震で甚大な被害を受けた南阿蘇縦貫鉄道も 昨年2月に運行を再開されSLは走らないけれど 列車の運行が再開された事は喜ばしい限りです。

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今年もあと二日

2024-12-30 17:50:30 | 蒸気機関車の時代
 1972年の正月は 北海道へ出かけました 当時は 今のような「青春18きっぷ」は有りませんでしたが その代わりに均一周遊券が有り 「北海道均一周遊券」は 

二十日間使用でき この時は 道東・道央でSLを追っかけました。

道東では 原生花園近くの湯沸湖で写しました。 

    

    1972年1月撮影 釧網本線 原生花園(臨)~浜小清水    C58  普通 網走行

 全面結氷した湯沸湖越しに 湖畔に打ち捨てられた漁船を絡めて写しました その向こうを雪晴れの下C58が 長い白煙を棚引かせ走り去りました。

撮影後 旅館の御主人に 氷の上を歩いて渡れると聞いたので 駅に向かおうと足を踏み入れましたが 雪を踏みしめる音か 氷のきしむ音か分からないけれど ギシッ

ギシッと言う音が聞こえて来たので 引き返したのも懐かしく思い出されます。

 湯沸湖からオホーツク海にそそぐ 小さな川を渡る混合列車です。

    

                 北浜~原生花園(臨)  普通 網走行

 湯沸湖から流れ出る川は 凍結しないので 白鳥の越冬地となっています。

この後釧路に向かう混合列車で 空いているからと思い貨車の後部の客車に乗ったのですが 空いているはずで暖房が利いてなくて(蒸気暖房なので 蒸気管の無い貨車

の後部に来ないのは当たり前) 次の駅で慌てて前の客車に移動したのも 今となっては好い思い出になりました。

 釧路で一泊し 朝から釧路近くの湿原で 道東のC58を写しました。

    

    1972年1月撮影 釧網本線 東釧路~遠矢    C58  普通 釧路行

 短い客車三両の普通列車が 湿原の小川を渡って行きました。

釧路では幣舞橋から写しました。

    

                 釧路~東釧路    C58  普通 釧路行

 1972年と言えば 札幌オリンピックが開催された年ですが この年は暖冬で雪不足に見舞われ 競技会場の設営に 自衛隊が活躍したのも話題になりました それでも

朝の網走はー15℃を記録するなど 関西生まれの私にとって厳しい寒さでした。

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年の瀬を迎えて

2024-12-29 18:00:44 | 蒸気機関車の時代
 2024年も今日を含めて後三日 今年の正月休みは 長い所では九連休の所もあり ニュースを見ていると駅や空港は 旅行や帰省の人で混雑していました 私は 人の

多い所が苦手なので 初詣すら出かけませんが 仕事をしていた頃数少ない長期休暇の取れる盆と正月とあって 蒸気機関車が現役だった頃は 必ずと言って良いほど北

海道や九州へ出かけていました。

その頃写した写真をアップします この年は九州へ出かけ 北九州の産炭地や南九州へ出かけていたので 田川線で写した写真をアップします。

            

    1997年12月撮影    田川線 勾金~油須原    9600形 上り貨物列車

 鉄道写真家広田尚敬氏の写真を見て 同じ所から写したくなり出かけましたが 天気も悪く 野鳥に食べられたのか柿の実も少なく 雰囲気だけの写真になりました。

    

                   油須原~崎山    9600形 下り貨物列車
 北九州の産炭地から苅田港まで 9600が 重連・時には後部補機付きで 長いセラを引き連れて走っていました。

油須原駅で見かけた79668号機。

    

    1971年12月撮影 田川線 油須原駅    9600形 79668

 塗りつぶされてはいますが デフに「波にちどり」の装飾が有ります。

近付いて見ると。

    

 当時「スワローエンジェル」の愛称で 人気の有ったC62 2号機 「かもめ牽引のC57 11号機などで見聞きする事はありましたが 貨物機である9600形にも 装飾を

施した機関車が有るとは思いませんでした(その後奈良機関区のD51にも着けられた)。

 崎山駅で写したタブレットキャッチャー。

    

    1971年12月撮影 田川線 崎山駅    タブレットとタブレットキャッチャー

 駅で列車待ちをしている間に 貨物列車が通過するので タブレットを受ける所を捕らえました タブレットが 機関助手の手から離れた瞬間にシャッターを切りまし

た。

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豊肥本線立野スイッチバック

2024-12-22 19:46:32 | 蒸気機関車の時代
 今日は 蒸気機関車をアップします 立野のスイッチバックを行く キュウロク牽引貨物です 以前一部アップ済みの物も有りますが 今日は 立野駅への到着から 

赤水へ向かう所までを纏めてアップします。

 当時肥薩線では 大分機関区のC58が 大分・竹田間の客車列車を また熊本機関区の9600が 熊本・大分間の貨物 熊本・宮地間の客・貨物列車を牽引していました

が 何れも朝と夕方の運転で 日の短い季節にスイッチバックを上る列車は 朝熊本を出て昼前に通過する797レのみだったので 夜行で朝熊本に着いて立野で写し そ

の日の夜行で神戸に戻る 今で言う弾丸撮影行を良くしました。

 この時は 立野に着くと線路を跨ぐ国道から 立野駅に到着する所 二段目を逆行で上る所 スイッチバックして赤水方面に向かう所と 同じ列車を三度写しました。

        

    1972年12月撮影 豊肥本線 瀬田~立野    9600形(79653)  797レ

 別のカメラ引き付けて。

        

 二段目をバック運転で押し上げます。

        

 スイッチバックして赤水方面に向かいます。

        

 最後に望遠で引き付けて。

        

 スイッチバックを抜けて ゆっくり赤水方面に向かいました。

立野のスイッチバックは 姨捨や中在家と違い 上下列車すべてが立野駅に停車する完全なスイッチバックで そのスケールの大きさとは 姥捨て越えや矢岳越えと比べ

ても見劣りするものではありません。

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私の好きなSL D51 499号機

2024-11-19 16:09:17 | 蒸気機関車の時代
 蒸気機関車の代名詞の様なデコイチ 中でもボイラーを抱く様に内側に反りの付いた 後藤工場製デフを装備した499号機は 私のお気に入りの機

関車です。

           

    1972年5月   撮影 関西本線 中在家(信)~柘植    D51 499

 初めてこの釜を見たのは まだ福知山機関区に所属していたころで 山陰方面に向かう途中 福知山で夜行列車を待っていると 貨物列車を牽いて

ゆっくり通過して行きました この時は まだデフに「桐と動輪」の国鉄マークが付いていて 小倉工場や長野工場製の門デフより 長く伸びた独特

の形にも驚きました。

    

    1972年11月撮影   関西本線 中在家信号所    D1 499  荷44レ

 亀山機関区のD51は 草津線にも入線していました。

    

    1972年4月撮影   草津線貴生川駅

 貨物列車を牽引して 貴生川駅に停車中のD51 499号機 後部に信楽線の貨物を牽引して来たC58が付いています。

 草津線では 客車列車も牽引していました。

    

    1972年5月撮影   草津線 手原~石部    D51 499  柘植行 普通列車

 当時朝と夕方の通勤時間帯に 京都から亀山や柘植まで客車列車が運転されていました。

荷物列車を牽いて 加太の大築堤を上るD51 499号機。

    

    1972年10月撮影   関西本線 加太~中在家(新)    荷41レ

    

    1972年11月撮影   関西本線 加太~中在家(新) 

 本務機と協力し 加太越えに挑むD51 499号機。

    

    1972年11月撮影   関西本線 中在家信号所    D51 499  荷44レ

中在家信号所を通過する 荷44レ。

 加太トンネルを抜け 退避する下り貨物の傍を通過する 上り貨物。

    

    1972年11月撮影   関西本線 中在家信号所    上り貨物列車

 木立の向こうに補機の姿が見えます。

1972年10月 亀山機関区から奈良機関区に転属となり 1973年9月廃車 その後津市の偕楽公園にて現役当時の姿で保存展示され 現在に至ってい

ます 余談になりますが JR東日本で動態保存されているD51 498号機に装備された後藤工場型デフは これと同じ形です。



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