上海万博の、打ち合わせ
上海大廈でランチが終わった後
大急ぎで香山路の孫中山記念館へ向かう。
ここでは、孫中山記念館と対外友好協会の皆さんが
私の到着を今か今かと待ちわびていたようで
全員が建物から出て、門のところで待っていてくださった。
それから2時間強、
来年の上海万博の打ち合わせ。
昨年の孫中山記念館での<梅屋庄吉展>が行われるまでは
お互いに意思疎通が難しく、とても大変な場面があった。
しかし、それを乗り越えて、
この展示は非常に成果の大きいものとなった。
昨年の展示会での記者発表の様子
この展示は当初、2ヶ月くらいを予定していたのだが
反響が大きく、
6ヶ月以上ものロングランの企画展示となった。
日本からも福田元首相をはじめ
多くの方がいらっしゃり、
また、
中国の研究者らが
青年層とともにこの展示会を訪れ、
日本人に対する植えつけられたある種のイメージをとく
きっかけにもなったと聞く。
展示会を見に来た中国のこどもたち
孫中山記念館の皆さんと対外友好協会の皆さんと私は
ひとつの大きな仕事を成功させ、
強い何かで結ばれたような感じと信頼感を抱いている。
来年の上海万博においても
全面的な協力をお互いに約束した。
孫館長と。孫文像の前で。
孫館長と私はそれぞれ自国語で話しをして
対外友好協会の皆さんが絶妙な通訳をしてくださるのだが
すこ~し、中国語を勉強しはじめている私は
時々、分かる言葉が出てくると
ちょっと嬉しかったり、した。
例えば、
私が”~は可能ですか?”と質問したことに対して、
孫館長が ”可以、可以”
と言ってくださったりすると、
そのまま”謝謝”と返すことが出来たり、
”家族の写真が欲しい”と孫館長が言った言葉も聞き取れたり。
やっぱり、他国語を勉強するって
大変だけど、素敵なコトだ。
孫中山記念館、対外友好協会の全面的な後援・協力にこぎつけた。
さあ、あとは
ミュージカル部門の資金とどうやって集めるのか、が
最大の課題。。。
スポンサーとなってくださる
個人及び企業団体の皆様を募集しております
上海万博2010年
8月24日~29日 日本館イベントステージ
<孫文と梅屋庄吉展>
スポンサーならびにご協力いただける方は
是非、ご連絡くださいませ。
(と、私的なブログでお願いしてしまふ。)
私たちが<孫文と梅屋庄吉展>頑張りますっ
上海大廈でランチが終わった後
大急ぎで香山路の孫中山記念館へ向かう。
ここでは、孫中山記念館と対外友好協会の皆さんが
私の到着を今か今かと待ちわびていたようで
全員が建物から出て、門のところで待っていてくださった。
それから2時間強、
来年の上海万博の打ち合わせ。
昨年の孫中山記念館での<梅屋庄吉展>が行われるまでは
お互いに意思疎通が難しく、とても大変な場面があった。
しかし、それを乗り越えて、
この展示は非常に成果の大きいものとなった。
昨年の展示会での記者発表の様子
この展示は当初、2ヶ月くらいを予定していたのだが
反響が大きく、
6ヶ月以上ものロングランの企画展示となった。
日本からも福田元首相をはじめ
多くの方がいらっしゃり、
また、
中国の研究者らが
青年層とともにこの展示会を訪れ、
日本人に対する植えつけられたある種のイメージをとく
きっかけにもなったと聞く。
展示会を見に来た中国のこどもたち
孫中山記念館の皆さんと対外友好協会の皆さんと私は
ひとつの大きな仕事を成功させ、
強い何かで結ばれたような感じと信頼感を抱いている。
来年の上海万博においても
全面的な協力をお互いに約束した。
孫館長と。孫文像の前で。
孫館長と私はそれぞれ自国語で話しをして
対外友好協会の皆さんが絶妙な通訳をしてくださるのだが
すこ~し、中国語を勉強しはじめている私は
時々、分かる言葉が出てくると
ちょっと嬉しかったり、した。
例えば、
私が”~は可能ですか?”と質問したことに対して、
孫館長が ”可以、可以”
と言ってくださったりすると、
そのまま”謝謝”と返すことが出来たり、
”家族の写真が欲しい”と孫館長が言った言葉も聞き取れたり。
やっぱり、他国語を勉強するって
大変だけど、素敵なコトだ。
孫中山記念館、対外友好協会の全面的な後援・協力にこぎつけた。
さあ、あとは
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8月24日~29日 日本館イベントステージ
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