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ミュージカル 沈黙の声~東京ギンガ堂

2009年10月21日 | 映画・コンサート・演劇
ミュージカル 沈黙の声~東京ギンガ堂




今日から新宿 紀伊国屋ホールで
東京ギンガ堂によるミュージカル

<The Sound of Silence~沈黙の声>

が始まった。






この作品は日韓共同の作品で
既にソウル公演を終え、大阪・名古屋とまわり
今日から東京で最終公演。


演出や音楽、キャスト
全て日韓で作り上げたそうで
制作現場は
本当に大変だったらしい。


でも、本当に "素晴らしかった”の一言。



ミュージカル、という形式で
ダイレクトにメロディーが心に届く、ということもあってか、
東京ギンガ堂のお芝居は
2007年秋の<孫文と梅屋庄吉>以来
ずっと観ているが、正直、今回のが一番いい。



いや、何が素晴らしいかと言えば、

韓国のミュージカル俳優 ミン・ヨンギさんの歌唱力




ミン・ヨンギさんと舞台後、2ショット



ストーリーも良かった。

時は第二次世界大戦末期、

韓国人の主人公の金東真と日本人のヒロイン、安藤美和が
恋に落ち、
愛し合い、
将来を誓い合うのだけれど

主人公の金東真は留学中の日本から
学徒動員で戦地へ赴く。


二人は互いの夢を見、
互いの手紙を何度も何度も読み返すことで
<生きる希望>を得る。

会えない苦しみの中でも
互いの名前を呼び、
互いのことを想うことで<生きていた>。


死に物狂いで戦地から日本にたどり着いた
金東真は、あの日のヒロシマで美和を失い・・・。



と、ストーリーは暗いし、辛いテーマだ。


韓国ドラマを見ると
純粋に

"愛って、本当はこういうものだよね。”

といつも想ってしまう私は、”純愛派”なのかもしれないけれど

今回も主役のミン・ヨンギさんの

”愛”を純粋に、かつ力強く歌い上げる姿に


”やっぱり、愛って、こういうものだよね。”と

ボロボロ泣いてしまった私。









人を愛するっていうことは
もう、本当にそれが全てなのだ、と。

つまり、それは自分自身である、というコト。


お芝居の中に

<鶴>のつがいは
互いのどちらかが死ぬまで絶対に離れない。
どちらかが死ぬと
その死骸を羽で守り、やがてそれが土となり、風に消えてゆくまで
一緒なのだ・・・

という台詞があったが
本当にそうなのかも、しれない。

息をひきとる前にどうしても会いたい人。
そばにいて欲しい人。


<あなたのことを愛しているけど、他の人とも別れられない>

<この人よりもっといい人に出会えるのでは>とか
<相手にとって自分よりいい人がいるのでは>とか


というのは、”愛”ぢゃないんだ。やっぱり。

そういうたぐいのものじゃ、ないんだ、愛って。。。。


その人でなければいけない、
私でなくてはいけない、


それがその人が生きるということそのものであり、
私が生きるということそのものである・・・



ということを、

このミュージカルは思い出させてくれマス。



10月28日(水)まで新宿紀伊国屋ホールにて
午後7時開演。

詳しくは、東京ギンガ堂ホームページでチェック

http://www.tokyo-gingado.com/


(シナガワさん、こんなご紹介でよろしかったでしょうか?)







演出家のシナガワ氏、
仲良しの俳優 クシマ氏、コランちゃん、
そしてミン・ヨンギ氏と。





上海万博でもこの劇団と
ミュージカルを企画。


”よっしゃぁ。”やる気が出てきました!


最終日まで
キャスト&スタッフの皆さん、頑張れっ

あれから5年、これから5年

2009年10月21日 | sweet & bitter story
あれから5年、これから5年




最近、おもしろいくらい、
シンクロが起きる。


例えば、

久しぶりにipod
Yumingの<真珠のピアス>を聴こうかな、なんて思って
プレイリストからセット。

軽快な出だしに、”う~ん、懐かしいなぁ^
と思いながら、
新橋へ向けて、会社から歩き出したそのとたん、

足元に、なんと <真珠のイヤリング>が落ちている・・・

内心、”嘘やろ?”と思いながら

一応、お客様の落し物だと思うので、拾って、フロントに預けておく。


・・・おもしろいでしょ。このシンクロ。










さて、私は年に1回、
小学生の<先生>になる。

会社の近くの小学校、(息子もココを卒業した)
2年生の<町探検>、
学校の周囲にある建物や会社、警察署などに訪問する
社会科の授業だ。


私はこの小学2年生たちに
会社の歴史や、建物案内、簡単にマナーなどを教える。


小学2年生って、こんなにまだ小さいんだ。。。

案内していると、


”ボク、大きくなったら、ここで働くっ!
とか
”今度の日曜日、家族でまた来たいっ!


なんだか、可愛い。






この<年に1度の小学校の先生>は
丁度、息子が小学2年生の時から始まった。

もぉ、どれくらいやっているのかなぁ・・・と
数えてみると

<5年>。 あ~、もう、あれから5年も経ったんだ・・・。

なんだか、あっという間という感じがする。

過ぎてしまえば、<時>というのはとても早く感じるものなのだなぁ。







実は、この<5年>という月日について

私はここのところ、ずぅぅぅっと考えていた。


だから、この<年に1回の先生>をはじめてから
5年目、というのがわかった時に

また、シンクロ

とココロの中で思った。


5年、ってどのくらいの月日なんだろう。

これから5年って、どのくらい先のことなんだろう。


こういうとき、まず私は
その時、息子が何歳になっているか、をまず計算してしまう。

息子は18歳

大学受験


大学生の後は、勝手に自分で就職するだろうし、
その後は、勝手に自分で結婚相手を探してくるだろうし、
私は何の憂いも、心配もなくなる年齢だ。


で、私は何歳?とその後、計算してみる。

○○才。 ふぅん。 
まだ”切捨て”ならアラフォー
妙齢の女盛りね。


で、そこまでの5年間って長いのか、
あっという間なのか、を考える。







あと5回もクリスマスを迎えることになり、
あと5回も大変なおせち料理の作業をすることになり、
あと5回も暑い夏を過ごすことになり、
あと5回も寒い冬を越さないといけない。

それが、5年後。


毎日24時間を365日積み重ねて × 5(倍)。


数字を並べると、苦手な私はクラクラしてくる。


思うに、

きっと、Happyな毎日だったら
それは
あっという間に過ぎるだろうし

5年たったら、
確実に~が起こる、
ちゃんと~になる、
ちゃんと~しよう、きちんと約束されるのであれば
それは待つに値する日々の長さかもしれない。


そしてまた、
漠然とした、その時どうなるかさえわからないままに
指折り数えて待つ日々は
とてつもなく
気の遠くなるような、日々になるのだろう。



あれから5年、思い返せば早かったような気がする。

これから5年、貴方にはすぐ来るように思えますか?

それとも、何があるか、どうなるか検討もつかないほど

遠い先のことに、思えますか?



・・・そんな先のことを思い悩んでいないで、

毎日を、1日1日を生きている感謝で過ごしなさい・・・

と、

遠くから ささやく声が、聞こえた。 


ある日の午後のコト。