Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

上海万博の、打ち合わせ

2009年10月09日 | せずにはいられない・・旅の話
上海万博の、打ち合わせ



上海大廈でランチが終わった後
大急ぎで香山路の孫中山記念館へ向かう。

ここでは、孫中山記念館と対外友好協会の皆さんが
私の到着を今か今かと待ちわびていたようで
全員が建物から出て、門のところで待っていてくださった。


それから2時間強、
来年の上海万博の打ち合わせ。

昨年の孫中山記念館での<梅屋庄吉展>が行われるまでは
お互いに意思疎通が難しく、とても大変な場面があった。
しかし、それを乗り越えて、
この展示は非常に成果の大きいものとなった。







昨年の展示会での記者発表の様子






この展示は当初、2ヶ月くらいを予定していたのだが
反響が大きく、
6ヶ月以上ものロングランの企画展示となった。

日本からも福田元首相をはじめ
多くの方がいらっしゃり、

また、
中国の研究者らが
青年層とともにこの展示会を訪れ、
日本人に対する植えつけられたある種のイメージをとく
きっかけにもなったと聞く。





展示会を見に来た中国のこどもたち





孫中山記念館の皆さんと対外友好協会の皆さんと私は
ひとつの大きな仕事を成功させ、
強い何かで結ばれたような感じと信頼感を抱いている。


来年の上海万博においても
全面的な協力をお互いに約束した。





孫館長と。孫文像の前で。


孫館長と私はそれぞれ自国語で話しをして
対外友好協会の皆さんが絶妙な通訳をしてくださるのだが

すこ~し、中国語を勉強しはじめている私は
時々、分かる言葉が出てくると
ちょっと嬉しかったり、した。


例えば、

私が”~は可能ですか?”と質問したことに対して、

孫館長が ”可以、可以

と言ってくださったりすると、

そのまま”謝謝”と返すことが出来たり、

”家族の写真が欲しい”と孫館長が言った言葉も聞き取れたり。


やっぱり、他国語を勉強するって

大変だけど、素敵なコトだ。



孫中山記念館、対外友好協会の全面的な後援・協力にこぎつけた。

さあ、あとは
ミュージカル部門の資金とどうやって集めるのか、が
最大の課題。。。


スポンサーとなってくださる
個人及び企業団体の皆様を募集しております

上海万博2010年
8月24日~29日 日本館イベントステージ
<孫文と梅屋庄吉展>

スポンサーならびにご協力いただける方は
是非、ご連絡くださいませ。

(と、私的なブログでお願いしてしまふ。)






私たちが<孫文と梅屋庄吉展>頑張りますっ





OLD 上海を、歩く

2009年10月09日 | せずにはいられない・・旅の話
OLD 上海を、歩く







私が初日に宿泊した瑞金賓館をはじめ
上海の街にはその昔、
フランス人や英国人によって建てられた
美しい洋館がそこここに残っている。

上海滞在2日目の午前中は
贅沢にも上海在住の

東華大学 陳教授・袁女史ご夫妻、
トヨタ自動車中国投資有限公司の東和男氏、
途中から
三井物産上海支店長を8年も勤められた
現森ビル株式会社顧問でいらっしゃる星屋秀幸氏

という
上海エキスパートの皆様とご一緒に
<OLD 上海>をそぞろ歩いた。

ガイドブックにも載っていないと思うので
今日のブログ、必見ですよ。







まずこちらの洋館は瑞金賓館と同じ敷地内にある

旧三井物産支店長宅。


大きなイギリス式の館で現在、工事中。
この建物は保存し、新たに隣に同じような洋館を建て
ホテルとしてリニューアル・オープンの予定という。

上海万博までには工事は間に合わないという。
三井物産支店長宅を保存する工事に手間取っているそう。

一般に
この建物に現在近寄ることも、中に入ることも出来ないが

東華大学の陳教授がいらしたおかげで
わざわざ建築責任者までが出てこられて
なんと、建物内まで丁寧に案内してくださった。




旧三井物産支店長宅の屋上にて
陳先生ご夫妻とトヨタの東氏と一緒に。



続いて車で移動し、
昔、日本人が多く住んでいた界隈に移動。
細い路地では生活感あふれる上海の人々の暮らしも
垣間見ることが出来る。



こういうテラスのある建物に日本人が多く住んでいたのだという


骨董や石などが売られている道を通り抜け、
魯迅公園へ向かう途中、
今は新しいマンションになっている場所に案内してもらった。


曾祖父 梅屋庄吉は
最初、国賓として瑞金賓館に1年近く滞在していたのだが
彼の性分からして
中国にも言いたい事はきちんと言いたい、との
中間的な立場でいるために
自ら、瑞金賓館を返上し、この場所に居を構えたのだという。





私が保管する当時の書簡の住所を
陳先生と東氏に教えたところ、
現在の住所表記とは異なっているのに

わざわざ古い街の地図と照らし合わせて
この場所を特定してくださった。


次に私達が向かったのは外灘にある
旧日本領事館の建物。
平野さんという有名な建築家の建物である。
歴史的建築物として、保存が決まっているという。





ここは現在、軍の管理下で
もちろん、一般の人は入る事はできない。

が、また
東華大学 陳教授がご一緒だったため
わざわざ、人民解放軍の方が出てきて
館内を案内してくださる事になった。




旧日本領事館


建物内部は、天井が高く
美しいクラシカルな建物で
階段や廊下も当時のままで残されている。



案内してくださった人民解放軍の方とご一緒に。





次に向かったのは上海を代表するクラシックホテルの一つである
浦江飯店 アスターハウスホテル。

ここは喜劇王 チャップリンやアインシュタインも
宿泊したことがあるという。





建物内は英国式の回廊があり、
3階部分はこのような美しい空間が・・・。
当時のものが展示されている。
もちろん、部屋は宿泊客が使用している。






ランチは上海大厦、通称<ブロードウェイ・マンション>の17階。
ここは、

プライベートの屋上テラスもついた
元三井物産上海支店長 星屋氏
イチオシのスポット。





長い間、上海の顔であった
上海大厦はものすごく色々な歴史がある。

海軍の山本五十六氏が来訪したり、
A級戦犯となったやくざの児玉氏の事務所があったことでも知られる。




テラスからは現代の上海を象徴する建物が並ぶ浦東地区が見渡せる。



とっておきの、
OLD 上海をご案内してくださった皆様と
最後に記念撮影。

素敵な歴史散歩を、有難うございました




中秋の名月の集い~虹橋賓館

2009年10月08日 | せずにはいられない・・旅の話
中秋の名月の集い~虹橋賓館



上海万博会場を見学した後は
日本人が多く住む虹橋エリアに移動。

ここで、上海市の要人と日本企業の代表の方々との交流会
題して
<中秋の名月の集い>が開かれた。


ここで、私は昨年とてもお世話になった
上海対外友好協会の皆様と再会。
何だか、もうすご~く古くからの親しい友人のようで
お互いに再会を喜びあった。

王先生は私がお土産に持っていったネクタイを早速しめて

”とても素敵ですよ。気に入りました。

と喜んでくださった。

以前ブログにも書いたけれど
私はネクタイを選ぶ時に必ず、
その方のイメージを大切にして時間をかけて選ぶので

差し上げて、それを身に着けてくださるのが
とってもとっても、嬉しい。



虹橋賓館



私は応接室に案内され、そこで
上海市の要人の方々と面会。

中国の外務大臣にあたる要職の楊潔チ先生の弟さんともお会いできた。
上海国際問題研究院の博士でいらっしゃる。

昨年、楊外相が訪日された時に
梅屋史料をご説明した折にお目にかかっているので

”ご兄弟なので、似ていらっしゃいますね。”

と私が言うと、楊先生(弟さん)は

”遺伝子が同じですから。”

とおっしゃった。・・・確かに。




楊先生と上海対外友好協会常務副会長の汪先生とご一緒に。


パーティーはお洒落に
広い庭に白いテントが張られ、
そこで行われた。






まずは、中国側、そして日本側のVIPのご挨拶から
始まる。
日本サイドは上海総領事館から石井首席領事がご出席された。






中国では名月を愛でる時のお相手は
<団子>ではなく<月餅>。

このパーティーに出されたのも
月餅やフルーツなどの軽くて甘いおつまみ系。


上海では甘い月餅ではなく
”肉月餅”なるものを頂くそうで、

どういうものかというと、
肉饅頭の具が
パイ生地に包まれている、といった食感のもの。




肉月餅(左上)とオードブル


また、上海の皆さんは
<なつめ>をぼりぼり生で食べられていて
私にも食べるようにすすめる。

私は時々南国系の果物で蕁麻疹を発症するので
あまり外地で知らないものを口にしないようにしているのだが
トライしてみた。





青い姫りんごのようなものが
なつめ。

食感もりんごに似ていた。


しばし、上海の秋の夜を
心地よい風に吹かれながら楽しむ。

お月様は時折雲の陰から半月がのぞく。



虹橋賓館のお隣では
日中韓外相会議後のレセプションが行われていたとのこと。


そうそう、今回
羽田→上海虹橋の飛行機は
岡田外務大臣ご一行とご一緒。

岡田外務大臣も
外務省の斎木様も
背が高くてハンサムで素敵


いきなり、ハイテンションではじまった上海の旅。
まだまだ続きます。







上海万博 建設会場レポート

2009年10月07日 | せずにはいられない・・旅の話
上海万博 建設会場レポート




来年2010年 5月からスタートする上海万博にむけて
上海全体が盛り上がっている。


テレビでも必ず、”上海万博頑張りましょう!”というPRが
たびたび出てくるのだという。

街はあちらこちら整備の工事中。


そんな中、私は上海万博の会場へ
ひと足早く、案内していただいた。






上海万博の会場は
黄浦江を挟んで、広大な敷地。

今は殆どのパビリオンが建設中で
敷地内は砂とほこりが舞い上がっていた。

おそらく地方からやってきているのだろうと
思われる工事人たちのために
担当パビリオンの前にアパートも建てられている。

朝起きたらすぐ、作業が出来るように。。。




永久保存が決まっている会場内を縦断する高架橋。



ほとんどのパビリオンがまだ
どんな姿になるのか検討が出来ないほど
まだまだ建設が進んでいないのだけれど

どぉぉぉ~んっ、と

中国館だけが、特徴的なデザインで完成していた。





さて、わが日本のパビリオンの建設状況はというと・・・




日本館


竹中工務店の担当者の方が出てきて説明してくださった。
概ね、工事は順調で
来年早々にも、外観はまとまり、
中の配管や電気の作業にはいる予定との事。


日本館の完成イメージ図はこちら。



紫のかいこじま


なんというか、なまこ
みたいなイメージなのですが
出来たら案外可愛いのかも。





この日本館イベントステージで
2010年 8月24日から29日までの1週間

特別企画

<孫文と梅屋庄吉展&ミュージカル

を日中共同で開催の予定


ちょうど、夏休み期間でもあるので
是非、来年の夏の旅行は

(・・・ちょっと暑そうだけど


上海万博はいかがでしょうか




上海 瑞金賓館

2009年10月07日 | 旅館&Hotel
上海 瑞金賓館







仏蘭西疎開の
洗練された町並みに、ひときわ大きな庭園を持つ一角がある。

その庭園の中には
幾つかの建物が点在していて
今は上海市の財産となっているらしいが

その第一楼とよばれる英国式の瀟洒な建物が
<瑞金賓館>の宿泊棟になっている。






<ダイジェスト版>にも書いたけれど
この建物には、1929年当初、曽祖父 梅屋庄吉一家が
蒋介石・宋美麗夫妻から貸与され
1年くらい住んだ場所でもある。

現在でも、それぞれの要人が宿泊した部屋の前には
看板が立っている。





蒋介石総統・宋美麗がいたお部屋



周恩来先生・朱徳先生らが泊まられた部屋




小平先生が泊まられた部屋



お部屋の中は古き良き時代のクラシカルなつくり。
天井が高い!











素敵なお茶のセットが置いてあるのだけれど
ヨシコさんのように
中国茶の知識が無い私は使えませんでした。。。






実は、お湯が出ない、というようなトラブルは無かったのだけれど

夜、シャワーした後、

顔がヒリヒリして眠れない。。。

何度顔を洗っても、
化粧品を取り替えてみても、痛い。。。


多分、建物が古いので
配管とかも古くて、錆びとかがお湯に混ざっていたのかも。。。

次の夜に宿泊した外灘のWestin Hotelでは
お顔は大丈夫だったもの。


緊張と顔の痛みで
ほとんど眠れず、朝を迎えた。


ここの朝食ビュッフェはポイント高い

私の朝の定番、シリアルも豊富だし、
パンも充実。
モチロン、お粥や点心などの中華もいっぱい

広大なお庭を眺めながら
古き良き時代に思いを馳せながら、朝食を頂く。






次々と高い建物が立ち並び、
まるで
エレクトリカルパレードみたいなネオンが楽しい上海。

でも、
100年近い昔に立てられた洋館もまた、
あちらこちらにきちんと残されている。


そのGAPが
私が上海の街を愛する理由の一つ。


敏感肌、でなければ

こういうクラシカルなホテルで過ごす上海もオススメ。



好久不見了!

2009年10月06日 | せずにはいられない・・旅の話
好久不見了!



はぅじぃゆぅ ぶじえんら。(お久しぶり)


無事、中国より帰国しております。


なんというか、その、あまりに濃い内容の毎日だったので
正直、
フラフラになって帰国した、というのが本当のところ。


で、よく、ガチャポン(ガチャガチャ)とかが
中が満タンだとなかなかコロッと中から玉が出てこないように

私の中で色ーーーーんなことが満タンで
なかなかアウトプット出来ずにおりました。

少しのスペース、というのが
いかに大事なのかを再認識。

スペースというのはつまり、
時間であり、
ココロの中の空洞部分。









中国、というただでさえ
パワフルな国の上、
建国60周年という国をあげての大祭典の時期と重なったので

その<愛国中国>と高らかに歌い上げられるのに
どっぷり浸かった毎日だったので

実は、一人静かに
京都の誰も来ないような小さな寺の小さな庭の前に座り

ただ、1枚の葉がひらり、と落ちる
静寂の中に身をおきたい・・・。


と願っておりました。

が、そんなことがすぐに叶うはずもなく

翌朝には中国に行っている間に刷り上げられた初稿が
どぉぉぉ~ん、と
宅急便で届けられるは、

1週間分溜まったメールや書簡の返信に追われるは、

更に、また留守中に、すご~いミラクルなことの兆しもあったり、で


東京に帰ってからも、ゆっくりお茶を飲む暇も
もちろん、ブログを書く暇もなし、でした。

更新が遅くなり、お待たせいたしました。


どうやら、台風が上陸するらしく
その日は仕事も開店休業でしょうから、
せっせとブログが更新できそう。


今日は、<2009 上海&北京の旅>ダイジェスト編を。。。。







上海での第1泊目は瑞金賓館 第1楼。
実はここは、曽祖父 梅屋庄吉一家が1929年当時
1年近く、蒋介石・宋美麗から貸与されて住んでいた場所。







2010年開催の上海万博の建設現場にも行ってきましたよ!







上海市主催建国60周年記念レセプションでは
上海市の兪書記に謁見。
なんと、各国代表(上海総領事ら)の中から選ばれた
10数名のうち、私は5人目に謁見が許されました。





北京では人民大会堂にて
温家宝首相主催の晩餐会に出席。
国内外から5000人が招待された大晩餐会。







そして、日本でもテレビ放映された
建国60周年記念式典の参加。
軍事パレードはすごかった。。。

何日後に軍事パレードのことをアップするか未定だけど
<軍事マニア>必見のブログになるのは必須。




書いているうちに調子が出てきたみたい。

さあ、頑張って書くぞ。


暫く皆様も、<愛国中国>の毎日が続きますのでご覚悟を。



・・・たしか、私は<スピ系>人間のはずなのだけれど・・・