エジプトの民主化は、複雑な流れになっている。
当初、1952年のナセル中佐による軍事クーデターで、軍事が国家を運営。
2011年2月。軍が後ろ盾のムバラク政権は、民主化運動で倒れる(アラブの春)
2011年自由選挙で、イスラム原理主義勢力が、上下両院の過半数を押さえる。貧困地域での医療・奉仕活動を通じて低所得者層を取り込み、多数派を占めた。
2012年6月に、同胞団のモルシ氏が大統領に。
2013年6月30日、カイロのタハリール広場に人が集まるが、集まったのは政教分離を訴える世俗派で、ムバラク政権の支持者、若者達。彼らは、モルシ政権への不満だった
アラブの春で確かに民主化は進んだ。
モルシ氏と大統領の座を争ったシャフィク氏は、2012年夏、エジプトを去った。モルシ政権が旧体制で要職にあった人物らの排除に動いたためだ。
数では優位のイスラム原理主義勢力は、統治能力に欠け、実務者がそろう世俗派・旧政権側は議会での過半数を握れなかった。
エジプトは民主化と安定のジレンマを抱えることになった
今回、軍は最高憲法裁判所のマンスール長官を暫定大統領に据えた。
軍事クーデターへの国際的な非難をかわすため、早期に大統領選挙と議会選を実施する方針も示した。
今までの経緯を考慮すると、次の自由選書でも、多数を占めるイスラム原理主義勢力が、再び議会で多数派となりうる。
エジプトの民主化は、どうしたら実現できるのか。
日本でも、民主党が政権を握ったが、実務ができなかった。
しかし、本当の実務を担った官僚がいたので、なんとか格好がついた状況。
エジプトにも官僚がいたが、その人たちがいなくなったので、実務ができなかったと考える。
実務家の官僚が戻ってくる体制作りも必要だと考えたが、今の官僚は、前のムバラク政権のままだったため、モルシ政権は、上手く運営できなかったためと言う意見もある。
官僚と政治家をどう対応させるかは、日本を含めて考える必要がある。
当面、出口の見えないエジプトの民主化がまた、始まる。