こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

ある日突然に

2014年12月03日 00時41分25秒 | おれ流文芸
 一瞬だった。横を見やった目に女性の顔が迫って来た。釘付けになって目が離せない。すると、『ガクン!』と軽い衝撃が走った。(あれ?)不思議な感覚だった。時間が止まっている。ゆっくりと目の周りが回転している。いきなり『ガコン!』と停止した。横倒しになったのを、なんとも冷静に応じた。
 信じられない事故だった。二車線道路の左側を走行中の私の愛車は、右側にある狭い横道から飛び出したワゴン車の直撃を横腹に受けたのだ。軽量の軽自動車はたまったものじゃない。路上をくるりと一回転して、道路脇にある民家のブロック塀に遮られた格好で、次に横転へ至った。その流れは、まるで時間の概念を超越したものだった。時間が止まったというのが正直な表現かも知れない。
 フッと我に返ると、見るも無惨な状況下にあった。運転席のフロントガラスの全面が砕け散っている。その破片の中に助手席の娘がいた。なんと!私の身体は宙に浮いている。シートベルトにしっかりと支えられている。
「こら、えらいこっちゃがな!」「はよ一一〇番や!」「誰か携帯持ってるか?携帯や!」
 騒ぐ周囲の声がはっきりと聞こえた。それものんびりしている。(はよ何とかしてくれよ)頭の中に私の呟きが力なく響いた。
 娘がスマートフォンを操作している。(よかった!)声をかけた。
「大丈夫か?」「うん」「お母さんに連絡してくれ」「してるよ」「そうか……」
 体が自由にならない状況下における父と娘の会話だった。後で思い起こせば、かなり滑稽なものになるだろう。
「大丈夫ですか?後部の窓を壊して救助に入りますよ」「娘は?」「先に救いだしていますので、安心して下さい」
救急隊員は逐一念入りな報告を兼ねて呼びかけながら行動した。
「シートベルトを外しますよ。大丈夫。下で受け止めますから」
 ほっと気が緩んだ。(これで助かるのかな)変な気分だった。それでも実感はまだない。
 担架に載せられた私は、もうまな板の上のコイだった。「服を切りますよ」「御名前は?」「ここはどこですか?」「どうなったかわかりますか?」「お住まいは?」と、立て続けの声掛けに、ただただ頷くだけだった。
 救急車は一時間以上もかかる救急医療センターに私を運んだ。娘は別方向の医療センターに運ばれたらしい。安堵と不安がない交ぜになった奇妙な感情に襲われた。
 医療センターでも私の衣服にはさみが入れられた。下着も問答無用に切り刻まれた。そうなると、もう覚悟は決まる。素っ裸になって、多くの目に晒されてしまったのだ。
 即入院で集中治療室のベッドに落ち着いた時、やっと自分を取り戻した。固定された首を回そうと無駄な抵抗を試み始める。すぐに襲って来るだろう交通事故の煩雑な処理の予感に怯えでもするかのように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャベツ畑の親心

2014年12月01日 00時10分51秒 | おれ流文芸
 ある日、夫婦喧嘩をした勢いにまかせて、「怒ってばかりで、勝手なことばかりしてるお父さんなんか、みんな嫌いよね!」
 と、子どもたちに同意を求めた私だった。
 すると、意外にも小3の長男ショーゴが、
「うー、ううん。お父さん好きだよ、僕。とっても恰好いいんだぞ、仕事してるお父さんって」
 と、口を尖らして抗議してきた。
 黙ってはいるけれど、小4のお姉ちゃんも4歳になるチビちゃんも、お兄ちゃんと同じ気持ちなのが顔色から読み取れた。
 私はそれ以上何も言えずに、頬笑むしかなかった。
 決して甲斐性のあるほうではなく、趣味に生きがいを見いだしているようなお父さんなのである。その日の機嫌によって、子どもたちへの対応がきつくなったりするようなお父さんなのである。それなのに子どもたちは、ここはという時に、ちゃんとお父さんの味方をする。それも、お父さんの存在を立派だと認めているのだった。何とも驚きだった。
 ショーゴが格好いいと言っているのは、アマ劇団の主宰者として、若い人たちを指導している時の一心不乱な姿のことだと分かっている。
 私が好きになったのも、そんなお父さんの姿からだった。そして、ひと回り以上の歳の差も何のその、結婚に漕ぎ着けさせたのも、そんなお父さんの損得抜きの男のロマンめいた魅力に打たれたからだった。
 そんな私と同じ見方を、息子のショーゴがしている。夫婦喧嘩の最中なのも忘れて、私はいつの間にか感動を覚えていた。
 子どもは親の背中を見て育つと言われるが、ショーゴは父親の姿に男の何たるかを見つけていたのかもしれなかった。
 3人の子どもたちは、しょっちゅうお父さんに叱られている。「靴を並べなさい!」「歯は磨いたか!」「テレビは、そんな近くで見るな!」「ご飯は残すな!」「野菜を食べろ!」とこと細かに、とにかくうるさいお父さんなのだ。
「あんまり小さいことでガミガミ言ってると、子どもが委縮して、親の顔色を窺うようなネクラな性格になっちゃうでしょ!」
「うるさいな。俺には俺の子どもたちへの接し方があるんだよ!」
 私の注意に耳を貸そうともしない。
 でも、私も子どもたちも、今ではそんなお父さんの心の中がよく分かっている。
 近眼で苦労した自分を振り返って、子どもたちには目を大事にしてほしい。虫歯も心配、農家の息子で育ったお父さんにとっては米も野菜も無駄にせずに食べてほしい……!小言のひとつ一つにお父さんの深い思いがあるのである。
「お父さん、僕らに近視になってほしくないんだ」
 やはりショーゴが、一番お父さんを理解していたようだった。やはり男同士である。
 子どもと普段あまり遊ばないお父さんも、その気になった時は、とことん子どもたちと遊ぶ。
 ショーゴとは将棋の名人戦(?)、ナツミとはセッセッセを不器用な手つきでやっている。末っ子のリューゴとはテレビアニメの真似っこで、組んずほぐれつドタバタやる。そこへショーゴやナツミもなだれ込んでもうメチャメチャだが、いかにも楽しそうに暴れる。
「俺は勝手な父親だから、無理に子どもたちに合わせるなんてできっこない。だから、子どもたちが俺に合わせるしかないんだ。こんな父親を持った子どもも可哀想だけどな」
「行く末が案じられるわよ。大丈夫?」
 ときどき、子どもたちの寝顔を見ながら、夫婦でそんな会話を交わす。チラッと見ると、いかにも申しわけなさそうな顔をしているお父さんの目が、とても優しく子どもたちに注がれていた。根は子ぼんのうなのである。
 最近、わが家は家庭菜園を持った。ちょうど家の裏手にあって、喜んだお父さんは、
「みんなに農薬の心配ない野菜を食わしてやるぞ。美味しいて、栄養タップリなやつをな」
 と、真剣に野菜づくりに取り組み始めた。
 しかし、この野菜づくり、子どもたちにはとんだ藪蛇となった。何かと言えば手伝いに駆り出されるのだから、ボヤッとしてられない。
「お父さん、小さい頃から野良仕事を手伝わされて大きくなったんだ。土くれにまみれて野菜づくりをよくやったぞ。そのお陰で今のお父さんがあるんだ。だからお前たちも、野菜づくりを通じて、お父さんみたいにいい正確になったらいいなあって、親心だ」
 と勝手なことをほざいて、草引きだ、水やりだとこき使っている。最初は嫌がっていた子どもらも、今ではすっかり諦め切ったのか、えらく神妙にお父さんを手伝うようになった。
「これな、キャベツだぞ。まだ若葉だけど、これから大事に世話してやったら、その分だけ大きく育つんだぞ」
 畑で子どもたちに大袈裟な説明をしているお父さんは、とても幸せそうだし、子どもたちも興味ありげに見上げて聞き入っている。
 何やかやとあるけれど、いい親子関係なのだろう。        (1994年記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先人の知恵

2014年11月30日 00時03分28秒 | おれ流文芸
 先人の知恵は素晴らしい。レストラン、喫茶店、弁当工場……の勤務を通じて再確認した。決められたレシピに基づく仕事だが、案外いい加減さが通用する世界。何度となく先人が知恵を働かせた工夫に救われた。
 身近なところで、トマトの皮むき。湯むきも然り、冷凍して解凍でスルリ。美味しいご飯を炊くのに、お酒をちょっと。野菜の灰汁抜きも先人が知恵を生かして見出したものに違いない。いい加減さが許容される世界だから、知恵が大いに生かされたのだろう。
 客を迎えるホールでも、(なんだ?)と思う工夫の数々が。茶殻や抽出後の珈琲豆をばらまいての掃き掃除。埃は立ちにくいし、いい香りがフロアに染み付く。テーブルに並ぶ食卓塩は湿気を防ぐために炒ったコメを何粒か入れておけば、いつもサラサラ状態。
 不自由さや失敗から生まれた先人の知恵の成果は、私たちの知恵でさらに便利な物に成長させていかなければと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結婚にいたる道

2014年11月29日 00時15分23秒 | おれ流文芸
 一歩を踏み出させた母の言葉

短大を卒業した後、子どもの頃からの夢だった保母の仕事を得て、もう毎日が充実していました。
 その頃、結婚を約束してつきあっていた彼も、私が自分の夢を実現させるその日まで待っていてやると見守っていてくれていたのです。
 いつになるか判らない結婚を待つのは、若い私と違って、十三歳年上の彼には大変なものだったでしょうが、「遅れついでだし、どちらかが何かに未練を残したまま結婚したって長続きしっこないだろう」と笑って許してくれる彼でした。それで当然とばかり、彼に甘えて保母の仕事に燃えた私は、どうやら彼に対する思いやりに欠けていたのかもしれません。その無責任さに気づけない若さでした。
 その罰が当たりました。
 保母の仕事にもようやく慣れて、「さあ、もっと!」と欲を覚えた時、私は自分の妊娠に気づきました。
 働いていた保育園は、保母は結婚すると退職が不文律になっていました。それに結婚もしないで母親になるなんて、とても考えられない私でした。私は迷いに迷った末に、彼に妊娠の事実を打ち明けました。
 いつも明解な彼が、酷く躊躇しながら答えてくれました。
「もし、君が仕事に夢の実現を目指していなかったら、俺だって迷いはしない。すぐ結婚して、二人で家庭を築くさ。ただ、君の意思を……?」
 私は無言で俯いていました。胸の中は、葛藤が渦巻いていました。受け持っている可愛い園児らの顔が次々と浮かんできます。その仕事と引き換えに、結婚し出産し母親になるなんて想像すらできない状態でした。
「それでも、君は赤ちゃんを始末するなんて考えるな。そないなこと……君は君の夢だった自分の仕事を裏切ることになってしまうやろ。君は保母にかけた夢を自分で踏みにじってしまうんや。そんなの、悲しいし、許されへんことや」
 彼は怒ったような口調で吐き出しました。
 見ると、彼は地面を睨みつけて肩先を僅かに震わせていたのです。まだまだ言い足りないことがあるのに、それ以上は、私への思いやりもあって、口にできないという様子がありありでした。
「無責任かもしれないけど、君自身が決めろ、絶対後悔しないように。情けないけど、俺は待ってるしかできへん。ゴメンな」
 別れ際に彼は真剣な表情で、そう言いました。
「アホッ!そんなの決まったことやないの。あんたに、赤ちゃんをどうにかしてしまうなんてできるかいな。そんな薄情な子に育ててないんやから、私もお父さんも」
 切羽詰まった状況を私から聞いた母は、反射的に私を叱りました。
「それでも……」
「間違った口答えはせんとき。たった一人の自分の子に愛情を持てないで、たくさんの人様のお子さんの保育やなんて、そんなのおかしいやろがな。よう考えてみ」
 自分の子供を産めなかった母でした。そう、母は私を育ててくれた二人目の母なのです。地のつながらない娘である私に深い愛情を注いでくれた母。おっちょこちょいで不器用な母でした。でも、いつだって傍にいてくれる母。その母が、これまで見せたことのないキツイ表情で私を見詰めていました。
「結婚しなさい。あの誠実な彼なら、絶対大丈夫。もし違ったら、あたしを責めたらええ」
 彼のことは母にだけ打ち明けていました。彼との楽しい日々を話す娘に笑顔で頷いてくれていた母でした。実物の枯れに会ったことはない母の保障なのに、それは有無をいわせぬ力強いものがありました。
 翌日にはもう、母は彼がやっている喫茶店を訪ねてくれていました。
「男であるあなたが、しっかりと引っ張ってやらなきゃダメでしょ。女に決めさせるなんて、男としてなってないわよ。男のあなたが、ちゃんと行動してやらないと。あの子、あなたなら、信じてついていく気なんだから。私も応援するから、行動するんよ。二人の問題は、二人で解決しないと誰もしてくれないでしょ」
 母の、そのきつい言葉に彼は何も言い返せなかったと、後で教えてくれました。私と彼は結婚への道を踏み出しました。
 そうなると、問題なのは頑固な私の父でした。普通の娘らしい結婚と幸せを掴んでほしいと願ってくれている父が、十三も歳の差のある彼との結婚を許してくれるとは、とても考えられませんでした。
 でも、私と彼の二人三脚の走りに障害など関係ありません。それに母という力強い味方がついていました。
「お父さんはキッチリした性格だから、世間の常識通りに、お仲人さんをたてて、彼に結婚の申し込みをさせたら大丈夫。理屈っぽい分、理にかなったものには何もいえないから」
 母の助言で、仲人を頼んだ彼は父の前に緊張しながら立ちました。
 頑固な父も、ちゃんと手続きを踏んだ彼の結婚の申し込みを前にしては、頭から反対もできなかったのでしょう。彼を認めてくれました。もちろん、父の柔軟な態度には、母の辛抱強い働きかけがあったのは解っていました。
 五か月後、私は彼と結婚しました。職場も辞して、私は新しい生活に一歩踏み出したのです。彼のやっている喫茶店で、慣れない接客もガムシャラに打ちこみました。
 出産した日、私を、夫となった彼と母が傍で見守っていてくれました。
 夫は私と赤ちゃんの無事を確認すると、嬉しさを隠さず、仕事に戻っていきました。
「おめでとう。今日から、この子の保母さんに専任やで。頑張りがいあるで」
 母の言葉に、しっかりと頷いた私は、一人の母親に変身していました。
 この娘と、夫と歩む人生がいま、始まる!胸が熱い私でした


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掌編小説・家(その3完結)

2014年11月28日 01時34分16秒 | おれ流文芸
父を襲ったアクシデントに、母や家族の大半が建築を一旦中止しようと言い出した。父の容体が落ち着くまでの意向だったが、雅之は頑なに首を振った。
「この家は確かに俺の家や。そいでも、この家は親父の夢やないか。兄貴が気に病んでいた、俺の新宅をと、踏み切った親父の夢や、生きがいなんや。いま中止して親父が最悪の状態になってしもうたら、悔やんでも悔やみ切れへんど。絶対、中止せえへん」
 雅之の熱い説得に、母は顔をくしゃくしゃにして頷いた。家の建築は続けられた。
 年が明けるとリハビリをはじめた父の日課は、母屋から新築現場までの往復になった。誰かの介添えを必要としながらの、遅々とした歩みを毎日続けた。
「マ、マサユキ、モウスグ、デ、デケヨルノ。タ、タノシミヤノウ」
 黙々と大工仕事を手伝っている雅之に、父は不明瞭な言葉を必ずかけた。雅之が振り返ると、目やにがこびり付いて潤んだままの父の芽は、急に見開かれるのだった。自由にならない体なのに、父の芽は生気に満ちた輝きを失ってはいなかった。
 父が姿を見せるのは、いつも三時過ぎだった。大工仕事の完了を教えてやったら、どんな反応が見られるだろうか。雅之はぼんやりとした頭で玄関を入って三和土を踏んだ。
 左に二間の幅でフローリング加工された檜板の縁側。右は十二畳の応接間と、それにつながる十畳の台所。縁側の奥は八畳間と六畳間がふたつづつと床の間、仏壇が納められるスペースと、四間間口の押入れがある。まだ建具と畳がはまっていないせいで、広い。
 柱を包む和紙をビリリッと破った。あちこちの店を回り、やっと買い求めたふのりをたいたので、雅之と父が呼吸を合わせて貼ったものだった。破り取った紙の下から、いままさに仕上げの鉋がけをしたtも思える鮮やかな木目肌が現れた。
(二年になるのか)
 長くもあり、短くも感じる。終わった後での時間の差異は何の意味も持っていないのを雅之は今更ながら分かった気がした。
 台所に入ると、三時の一服に用意しておいた茶菓子と白いコーヒーカップが、既に目的を失って晒し者になっていた。湯沸しポットは保温のランプがついている。二年も湯を沸かし続けて来た働き者である。
 雅之はカップに即席のコーヒー豆をティースプーンに掬って入れた。湯を注ぐと出来上がった。ブラックの状態で口に運んで飲む。父はシュガーもフレッシュミルクもたっぷり加えて飲んでいたのを思い出す。遠縁に当たる、寡黙な職人肌の大工は猫舌で、かなり冷ましてから飲んでいた。ひと様々である。
「あら、お父さん、誰もいないみたいですよ」
 妻の佳代の声だった。きょうの父のリハビリの介添えは、有給を取った佳代だった。我が妻ながら、よくつとめていてくれると思う。
「ウ、ウッウッ、ウ……」
 父が佳代に何かを問い掛けている
 雅之は立ち上がった。手早く二人分のコーヒーを淹れると、盆に載せた。
 ここに来る度に父は、雅之の淹れたコーヒーを飲むのを愉しみにしていた。父が倒れてからは雅之と父の交流は、このコーヒーを通じてだけとなってしまった。
 応接間に出ると、サッシの硝子戸越しに、佳代が手を引いた父の姿が認められた。父は顔を上げて家を見詰めていた。
 佳代はすぐに雅之に気付いて、ニッコリと手を上げた。雅之も手を軽く応えながら、「うん」と自問自答の末の結論を出した。
 父に大工仕事が済んだことを報告するのは、もっとズーッと後に回そう。大工は大工仲間の建前の助っ人に出ていると言っておけばいい。今までにも大工が建前の助っ人に出て、二週間も三週間も仕事を休んだ例が何度かあったから、おかしくはなかろう。
 家の完成は、さっき雅之が受けた、余りにも呆気ない報告より、もっと感激する演出があってしかるべきだった。父には、やはり感激の一瞬を迎えさせてやりたい。雅之は心から、そう思った。何を子供じみたことをと、雅之の内部にもうひとつの声が囁いて来たが、雅之は聞く耳を持たなかった。
 この家は、確かに雅之の家になる。それ以上に父の男たる誇りが築き上げた夢の城である。たぶん、父の生涯最後の大仕事になろう。
 来月は春爛漫の季節に入る。雅之が喜色満面で父に家の完成を伝える最高の舞台が生まれる。それまで待っても、親不孝にはなるまい。             (終わり)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掌編小説・家(その②)

2014年11月27日 17時28分45秒 | おれ流文芸
数年前から休耕している土地は一面、向日葵の花に埋まっていた。別に世話をして咲かせたものではないが、毎年、ものの見事に黄色い絨毯を織り上げた。例年なら、そのまま枯らせてしまうところだが、そうはいかない。全部刈り取って綺麗に始末しておかなければ、どうにも手が付けられない。
 向日葵の茎は育つと硬くて頑丈なものになる。雑木の幹、そのものだ。
 雅之は鎌を手に向日葵畑に入った。背丈以上に育った向日葵は雅之の姿をすっぽり隠した。雅之は力任せに鎌を振るった。手応え充分に向日葵が薙ぎ倒された。
「草刈り機使わんかい。ラクやし、仕事が早いど」
 汗まみれでクタクタになる雅之を見兼ねた父の勧めだったが、雅之は無愛想に「いや」と答えた。っ父はいつものことと、それ以上勧めはしなかった。風変わりで通っている息子に、したいようにすればいいとの態度だった。
 草刈り機を使わないのは、何も雅之のポリシーからではなかった。単にメカに弱くて使えないだけに過ぎなかった。
 暑い真っ盛り、三日がかりで向日葵を刈り終えた。商売を止めてからこっち、これといった定職に付いていなかったのが好都合だった。仕事の合間にやる作業だったら、まずダウンは避けられなかったろう。
 最初からしんどい家作りのスタートだった。
 地鎮祭を終えて、土建屋が地上げして基礎のコンクリートを打ち込んでいる間が唯一の休息の日々だったと、いまになって思い当たる。
 残暑の酷い中、持ち山の藪から、壁の下地に組む竹を伐り出した。竹を伐り出す旬は決まっている。旬を外すと、虫が付いて散々になる。竹藪といっても、かなり中腹まで登らないと手頃な竹は見られなかった。
 父との二人三脚による百本を越える竹の伐りだしは、かなりな重労働だった。足裏がパンパンに張った。血が滲む擦り傷や切り傷は、しょっちゅうだった。
「これで来年の春は旨い筍が、ようけ生える」
 父は一服喫いながら、根こそぎ伐り払われた竹藪を眺めて満足げに呟いた。
 木の伐り出しは十月に入って直ぐだった。竹と同様に木も伐採の旬があった。
「洋材やったら注文通りのもんが揃うやろけど、家を建てるんには地の木が一番や。そのためにご先祖さんが残してくれはってるんやど。梁もベイ松はあかん、地松が安心や」
 木出し屋と山に入った父は雅之を振り返って感慨深げに言った。ますます父の顔は生気が漲って来た。跡継ぎの兄を失った父は、家を建てることで生きる張り合いを取り戻していた。
「男やったら一生に家一軒建てなのう」
 酒を呑んでは、そう口にしていた、精悍そのものだった若い父を思い出した。父にとって今度の家は二軒目に当たる。甲斐性のない息子を持ったおかげだった。
 チェンソーを唸らせ、倒した丸太を製材所に運び込むまでの父の差配は、七十になろうかという年齢を超越したものだった。雅之はひたすら馬鹿になって、その差配に対するイエスマンに徹した。そうしなくては、彼の嗜好と到底噛み合いそうにない肉体労働に耐え切れなかったのは明白だった。
 製材所にも何度となく足を運んだ。丸太が板や柱になっても残った木の皮を、鉈を使って削り取った。残れば虫が付くはめになる。柱の芯取りも並大抵な作業ではなかった。
「なんで、こないなしんどい目せなあかんねん。今時、家を建てるんは、工務店に任せときゃええやないか。もう、親父は……」
 雅之が疲れて帰った夜、グダグダと愚痴るのを、晩酌の相手を務めながら妻の佳代はニコニコと聞いた。何やかやと文句をたれていても、生まれて初めてといっていい父との共同作業に生き生きするのを隠せないでいる夫をちゃんと見抜いていた。
 大工が入ってからも雅之は気楽に休んでおられなかった。朝十時と午後の三時に茶菓で接待するのは当然だが、大工の指示で柱や板を運び、簡単な細工もさせられた。終われば鉋やノコで出た木屑の片付けがあった。
 その頃になると、父は自分の仕事に手いっぱいで、新築現場に姿を滅多に見せなくなった。
「お前の家やさかい。まあ、しんどい目したらええ。そないして家が建ったら、粗末には扱えんようになる。ええこっちゃ」
 たまに顔を見せると父は必ずそう言った。
 建前は四月の吉日だった。親戚や隣近所からの応援が二十数人も来た。大型のクレーンとのコンビネーションもよく、ほぼ半日で家の骨格が組み立てられた。大勢でワイワイやってると知らないうちに仕事ははかどった。
 建前を祝う膳を囲む酒宴の主役は父だった。呑めない酒に顔を真っ赤にさせて客膳を順々に回り、酒を注いでは談笑し頭を下げた。
 兄の急逝以来、底抜けに幸福感を味わっている父の姿を見るのは久しぶりだった。雅之は目頭をソッと押さえた。酒の酔いが一遍に体中を回った。
 父が倒れたのは晦日の中頃だった。元々血圧が高くて、かなり用心していた父だったが、脳溢血だった。命は助かったが、右半身は不随にになった。昏々と眠る父の病室の窓に、数十年振りという大雪が矢鱈に舞い続けていた。             (続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掌編小説・家(その1)

2014年11月26日 22時01分39秒 | おれ流文芸
 さっきまでガンガンとボードを打ち付けていた大工が、ひょいとやって来て、おもむろに言った。
「これでわしの方、済みましたけ」
「え?」
 思ってもみなかっただっただけに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「左官とタイル屋に出来るだけ早う入るよう言うときますわ」
 大工はそそくさと道具をひとまとめにすると軽トラへ積み込んだ。電動の大きな工具は後日改めて取りに来ると言い残して帰った。
 それを見送った雅之は、フーッとひと息ついて腕時計に目をやった。昼を過ぎてから、まだ二時間も経っていない。
 雅之は雑然となったままの庭先を横切って、玄関の前に立った。真っさらのサッシ戸がはまっている。そのぐるりは剥き出しのモルタル壁のままだけに、やけにサッシ戸が輝いて見えた。
(やっと出来たんか……)
 地鎮祭から、ほぼ二年近くなる。いま思えば気の遠くなるほど長い時間だった。それが終わった。厳密にいえば壁とタイル床の施工が済んではいないのだが、そんなのは些細なことである。雅之にとって大工仕事の終了が総てだった。それだけに、余りにも呆気ない終了宣言が物足りなくもあった。
 しかし、その物足らぬ終了宣言は、雅之の父が念願した新宅の完成を意味していた。
「お前、ここに住む気でおるやろな」
 二年前、雅之の父は、やけに神妙な顔付きで切り出した。もう七十まに手が届くところまで来ているのに、職人の現役を張っている。
「どないや。その覚悟しとるな」
「ああ」
 念押しされなくても、雅之は他に答えようがなかった。町に出ての商売に失敗して、家族四人を伴って、雅之は父の家に居候を決め込んでいる。どうしたって流れに逆らえる立場にはない。
「そうか」
 満足そうに頷いた父は、ボソッと言った。
「お前の家を建てるか」
「え?」
 思いもしないことだっただけに、雅之は唖然と父を眺めた。
 雅之と二人きりの兄弟だった壮之が急逝してからこっち、すっかり張りを失っていた父の表情が前の状態に戻っていた。
「壮之もお前の新宅をえろう気にかけとったでのう。あいつ、何とかしたらなあかんて、口癖のように言うとった。一周忌も済んださかい、いっちょう建てるか」
「無理せんでもええで。俺は元々風来坊やさかい、家なんか無うても構わへんのや」
「阿呆。お前はどないでもええんや。雅樹や雅博のこと考えたらんかい。お前も親父なんやど」
 雅樹は雅之の長男、雅博は次男だった。しかし、長女の由紀の名前が漏れている。家長制度下に生きて来た昔人間の父には、女の孫は計算外になっているのだろう。
「雅樹や雅博のために家を建てたるんや」
 成程。社会に迎合しない風変わりな息子に新宅を持たせる気はさらさらないらしい。可愛い孫、それも男児であらばこそと言うわけか。雅之は思わず苦笑した。
「どんな家がええ?うちと同じ間取りにするかいのう」
 母屋は農家だけに、いま雅之の家族らが居候を決め込んでいる納屋を改造した四間を別にしても十間はある。それも一間一間、かなり大きく取ってある。それと同じでは、雅之の甲斐性から考えると分不相応である。
 町にいた頃は八畳一間と台所、トイレだけのアパートに五人の家族で住んだ。風呂は寒くても暑くても銭湯に通うしかなかった。それでも、狭くても楽しい我が家だった。
「二間もあったら充分や。風呂と台所、トイレさえ付いとったらオンの字やで」
「阿呆」
 またしても阿呆呼ばわりである。
「この村に一生暮らすんやど。隣保の付き合いやなんかでも八畳間二つの客間を用意しとかな、お前らが肩身の狭い思いするど」
 父とは発想の始点が裏表ぐらい違う。雅之は、そう納得せざるを得なかった。
「任せるわ」
 雅之は父の顔から視線を外して言った。
 地鎮祭まで半年近くかかった。予定の土地は農地、それも市街化調整区域にあったから、宅地への変更に手間取った。隣り合わせた農地の持ち主の承諾を得るのも一苦労だった。農業委員会の役員連の現場立ち会いがあったのは、もう初夏だった。
 川沿いにある百坪の土地の六十坪ほどの宅地化が認められた。
                (続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるさと回帰

2014年11月26日 00時20分44秒 | おれ流文芸
十三年目のふるさとUターンだった。
 街に出た時は単身。帰郷は家族四人を伴ってである。末っ子はまだ赤ちゃんだった。やっていた商売を見限って帰ってきた。
迎えてくれた懐かしい田舎の自然あふれた風景。そして両親は元より、幼馴染みの友人たち。村の隣近所のみんなも歓迎してくれた。家族は自然にふるさとと同化していった。しかし、当の私はなかなか素直になれぬまま。
「ふるさとは遠きにありて想うもの」というが、やはり田舎は住んでみないと、その魅力は分からない。十三年前に背を向けた、豊かな山並みに囲まれた田舎風景に変化は少しも無かった。街の暮らしに敗れた傷心の身を優しく包み込んでくれるばかりだったのに。
 出戻りの身には、村の付き合いという難問があった。村入りして、ホッとしたのも束の間、村の行事が立て続けに来た。季節ごとにある草刈りや道普請の共同作業。冠婚葬祭は隣保の住人がより集った。秋の村祭りは一家族から最低一人の参加を求められる。社交性の乏しい性格が町に暮らしてさらにひどくなっていた。村特有の付き合い方も、長く離れて記憶も薄れている。やる前から意識は萎縮しきっていた。いつも部外者の気分だった。
「よう帰って来たのう。嬉しいわ」 
 声を掛けてくれたのは、二年学年が下の幼馴染み。顔は見知っていたが、特に話したこともない相手だった。しかし、彼は昔の知己に出会えた感動を隠そうともしなかった。知らず相手のペースに引きずり込まれていた。聞けば、彼も出戻り組の一人だった。私より三年も前に村に戻っていた。
「そら、帰った当初は居場所なかったなあ。そいでも、ふるさとはふるさとなんや。山も田んぼも原っぱも、みんな昔のままやった。俺もこの村で生まれ育ったし、今もこないして生きてる。それでええんやて、言ってくれてる気がした。それからは人を気にせんようになった。そしたらな、いつの間にか、みんなとの距離がのうなってたわ」
 淡々と語る彼の顔は、どこかで見かけたものだった。ぎすぎすしたものはかけらもなく、お人よしで柔和な顔。そうだ。自分の周囲にいる隣人たちの顔だった。
 佳境に入った祭り。神社の境内で布団屋台の練り合わせに、奉納の差し上げ。前と後ろから声がかかる。
「ええか。みんな仲間や。同じ村で育った誇りと馬力を見せたるぞ!」「おう!」
 呼応して叫んだ。屋台を神殿前で差し上げた瞬間。自分の頑なな思い込みが溶けて消え去った。屋台を境内の定位置に据えた瞬間、抱き合って歓呼の声を上げたみんな。子供の頃から村を駆け回った仲間たちの顔が、ようやく私の心に蘇った。ふるさと回帰だった。
 ふるさとは、自然も人情も阿吽の呼吸で迎え入れてくれる。それをやっと悟ったのだ。 
帰郷以来三十年。外に出た息子がもうすぐ帰って来る。彼もふるさとに救われるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

40男子育てに惑う

2014年11月25日 00時47分05秒 | おれ流文芸
 四十にして惑わずと言う。
 私の場合は四十を過ぎてなお戸惑いの渦中にあった。要因は『子育て』。ああ、何をかいわんやである。
 四十面下げて、血液型はB型、そして射手座。無責任で何を仕出かすか分からぬタイプらしい。自分が可愛いので、子供はさほど好きじゃない。どちらかと言えば苦手だった。親に甘えても、甘える子供に自分の自由を束縛されるのは金輪際ご免。大人になりきれないオトナだった。
 そんな男に子育ての大役(?)が回ってきた。皮肉と言えば皮肉な話。世の中は思うようにならないものだ。それに、「子育てなんて俺のガラじゃない」と頑強に拒んでいたのが、なんと見様見真似ながら子育てに入った。人間の覚悟も高が知れたものである。
 平成元年六月。七年近く夫婦で切り盛りの喫茶店を廃業した。表向きの理由は別にして、たぶん疲れとマンネリ化に耐えられなくなったのだ。
 表向きの理由のひとつが、我が子を守るための親の決意。当時生後五か月になる赤ん坊。二人目の息子でリューゴ。ひどいアトピーだった。上に女の子と男の子で三人の子供を抱えての商売を余儀なくされていた。
 上の二人は私の母に世話を押し付けて、リューゴは喫茶店の棚に寝かせてのパパママ営業である。ところが、アトピーの症状が出た。喫茶店は忙しくなると、満員の店舗内に白い紫煙が溢れた。アトピーにタバコの煙はどう考えても天敵だ。症状がひどくなる赤ん坊を見かねて廃業の考えが頭に浮かんだ。
 しばらく商売のやり方に工夫を重ねて頑張ったが、結局店は閉めた。
「お父さんにリューゴを任せても大丈夫なの?」
 妻はえらく心配して何度も念を押した。
 四十を過ぎた中年男より一足早く仕事を見つけた二十代の妻。おのずから、子供の面倒を見るのは、仕事なしの中年男と定まった。上の二人の子育てにはこれまで一貫して「われ関せず」を押し通して平気な顔を決め込んでいた夫に懐疑的なのは当然過ぎる。
「しゃーないやないか。お前は仕事で稼ぐ。手がすいてるのは俺だけ。どない譲っても、子育てと家事は俺の担当やがな」
「でも……?」
「心配すな。たかが赤ん坊ひとりぐらい……何とかなるわいな」
「やってみるしかなさそうね」
「ああ。案ずるより産むが易しや。任しとけ」
 夫婦が了解点に達した直後から、じわじわと不安は押し寄せた。
 七月一日。子育てはスタート。
 すでに五月半ばから保母として働く妻。早朝六時半には家を出る。帰宅は夜八時。そこで妻がいない朝から夜にかけて十二時間前後が、私の子育てタイムとなる。赤ん坊の世話だけではなく、上の二人も当然子育ての対象である。
 朝八時にはやって来る保育園の通園バスに二人を乗せると一件落着。それまでに起こしてトイレ、洗顔歯磨き、着替えさせて朝食を摂らせる。書けば簡単だが、初日はいやもうてんてこ舞いした。それでもバスを見送ると、彼らは五時の出迎えまで気にしなくて済む。残るは赤ん坊のリューゴだけである。
(たかが赤ん坊のひとりぐらい……目じゃないよな)その自信と楽観は初日からガラガラと崩れ落ちた。
 散々振り回されたのはオムツ替え。リューゴが泣き声を上げるたびに、ある判断を迫られる。おなかが空いたのか?どこか具合が悪いのか?そして、オムツが汚れたのか?あるいは機嫌を損ねているのか?(何なんだ?)
頭に手を当てて熱があるかどうかを見る。生後五か月なら赤ちゃんは母親から貰った免疫力でめったに病気をしないと、妻が教えてくれた。さほど気が入らない。おなかが空いたかどうかは後回しだ。とりあえず赤ちゃんが付けたオムツに鼻をくっつけて匂いを嗅ぐ。すぐにわかる異臭だと、オムツは手のつけられない惨状だ。少々の糞尿では、よほど神経を研ぎ澄まさないと嗅ぎ分けられない。オムツ替えがまた大変だ。根が不器用なのだ。オムツから汚物を転げ落としたり、手にグッチャリ。(もう、いやだ!)
だが、逃げてはいられない。ウンチやオシッコの色・匂い・硬さ・回数……観察は欠かせない。事細かにメモる。いやはや!
「どうやった?リューゴのご機嫌はいいかな?お父さん子だね、リューゴは」
 仕事から帰った妻の第一声。やけにはしゃぎ気味だ。(他人事だと思いやがって……!)それにしても、妻の軽口を簡単に受け返す気力がない。子育てで使い果たしてしまった。
「大丈夫?声も出ないほど疲れてるんだ。たった一日よ。本当に続く?」
「ああ。もう今日で大体のコツは掴んだ」
 負けず嫌いなのだ。精一杯気張って答えた。
 一週間も経つと、もう慣れっこ。オムツ替え、哺乳、そして背中をさすって「ゲップ!」もう何でも来い。お父さんはここにいるぞ!
 徐々に幸せ気分を味わうまでになった。まだお座りも出来ない赤ん坊に名前を呼んでやる。「リューちゃんリューちゃん、ほらおとうさんだよ。あばば」赤ん坊がにっこりする。まさに天使の頬笑みだ。疲れから生まれたイライラ気分が吹っ飛ぶ。
 母親譲りの免疫力が頼りに出来なくなるころから、松田道雄の『育児百科』が愛読書になった。添い寝をしながらページを開く。ぼろぼろになるまで読んだ。非常にありがたい本だった。曲がりなりにも子育てが無難に進んだのは、この本のおかげだった。
 お座りができ、はいはいも。もう可愛くて堪らない。目に入れても痛くないってのが実感できる。子供は面倒で邪魔と思いがちだったのがウソみたいな子煩悩になった。子育ては父親に母性をプレゼントしてくれた。リューゴは私を母親と認めたのだ。くすぐったい思いが頭を支配する。
「最近、えらくいい顔になって来てる」
「そうか?うん、そうだよな」
 妻に底抜けの笑顔を返した。
「子育ても、いいもんや」
 自然に口をついて出た。
「あなた。リューゴが寝てくれないの」
 妻が訴えた。久々の休みで、妻はリューゴの昼寝に添い寝中だった。それが寝てくれないだと。思わずニンマリ。出番だ!
「どうした?リューちゃん。ねんねしないの?」呼び掛けると、リューゴはこちらを向いた。ニッコリ。いきなりこちらへハイハイで突進だ。
「おいおい、どうしたんだ?りゅーちゃん」
 抱き上げると、リューゴは服を掴む。
「ネンネ……ネンネ」
 どうやら眠くて堪らない様子。しきりに可愛い欠伸をした。つぶらな手は両方ともしっかりと掴んで離さない。
「そうかそうか。じゃネンネだ」
 リューゴの小さい体を胸に収めて、ごろんと寝転んだ。いつもの胸。ゆりかごのここち良さをくれる胸。赤ん坊の緊張が解けていく。
「かーらーす~♪、なぜなくのー♪」
 いつもの子守唄だ。そうっと背中を撫でてやる。リューゴはすぐ寝入った。安心しきって胸の中で夢の世界に入り込んでいく。
「負けたんだ。お母さんがお父さんに負けちゃった。これ信じられる?」
 口調とは裏腹に妻の顔は明るく崩れる。
「なーに。ただの慣れ。生みの親より育ての親なんだぞ」
「よく言うわね。あなたも私も生みの親。どちらが欠けてもいけないの」
「そうだな。よっしゃ、勝ち負けは無し!」
 妻が噴き出した。そして私も笑った。

 子育ては一段落した。
 弁当製造会社に就職も決まった。夕方から翌朝にかけての夜勤だ。どうやら、もう子育てを卒業するしかなさそうである。
 痛々しかったアトピーももう目立たない。上の二人と駆け回っているリューゴ。すっかり逞しく育った。
「元気になったね。兄弟ん中で一番の暴れん坊よ。やっぱりお父さん子だけある」
「まあな。うん、男の子はあれくらい元気なんがいい」
 妻は何度も頷いた。
「あなた。やっと父親に戻れるね」
「父親?母親の間違いじゃないのか?」
「駄目よ。母親は私。絶対譲らないから!」

 ある出版社の子育て座談会に呼ばれた。「子育て体験エッセー公募」に入選したからだった。出席の顔ぶれをみると、父親は私だけ。場違いに思いながらも、今で言う『イクメン』を代表して座談に加わった。
「それでは、齋藤さんの子育て体験をお願いします。めったにない男性の子育てを通じた貴重な意見を聞けると思います」
 女性編集者が順番を私にふった。
 好奇の目を向ける母親たちを尻目に、迷いのない持論を滔々と述べた。
「女にしか、母親にしか子育ては出来ないと思わないでください。そんな思い込みや偏見が、いつまでも父親を子育てから弾き出してしまうんです。実はひょんなことから子育てを体験しました。五か月の赤ちゃんを一歳半まで育てたんです。それはもう大変でした。見る事やる事知恵を働かせること、すべて赤ちゃんが主役です。まず慣れる。そして乗り越える。父親でありながら母性らしきものを手に入れた時、私は大きく成長しました……」
 いきなりの子育て。面くらいながら懸命に。そして得た喜びと愛。父が母になる……!
私は喋り続けた。記憶を確認しながら。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

禁煙喫茶店の挑戦

2014年11月24日 01時05分42秒 | おれ流文芸
 三十歳でやり始めた喫茶店。自分の店を持つと心に決めてから五年目だった。調理師免許を求めて二年間の調理専門学校通い。簿記学校が一年、卸売市場にパートで働き、駅ビルにあった喫茶店と、郊外の喫茶レストラン、コーヒー専門店と渡り歩いた。いつも自分の店を持つという信念での行動だった。
 ついに喫茶店経営に達した時の嬉しさは格別だった。自分のアイデアを惜しげもなく取り入れた。何とか軌道にのせたが、途中で結婚したのが誤算だった。とはいえ、家族への愛を持てなければ今はなかったに違いない。子供三人に恵まれたが、末っ子はアトピー。私に選択の余地は限られていた。
 モクモクとタバコの煙に包まれる店内を見て、最終的に出した結論は『禁煙喫茶店』への転換だった。大事な我が子の健康を守るためには仕方がない決断だった。しかし、もう引き返せない。食事中心の店に転換を図った。
『禁煙喫茶店』は新聞やテレビに取り上げられた。当時では珍しい挑戦だったのだ。しかし結果的に失敗だった。まだ時代は禁煙に市民権を与えるまでに至っていなかった。喫茶店は閉店の憂き目にあった。転職した。
 定年後、じっくりと考える時間が増えた。夢の実現は、やはり記憶が今も鮮明だ。それに付随した禁煙喫茶店という冒険と、その失敗での悲喜こもごもも昨日のように思い出す。あの時、こうしていればなんて思ったりもするが、不思議と後悔はない。
 たぶん、自分が熟慮したうえでの行動だったのだ。それにあの時の子供たちは元気に育ってくれた。私の決断が子供の健康を守ったのだ。家族愛に殉じたとの思いがある。
「喫茶店の経営は中途半端やったんやね」
 と、子供に皮肉られたことがある。
「いや。自分で一番いい方法を選んだんだ。誰かに強要されたわけじやないぞ。それを中途半端なんて言えるか?お父さんは自分の人生に後悔なんかしない。まっすぐ生きてきたんだから。おかげで、僕には過ぎた息子らが、目の前にいてくれる」
 迷いのない私の言葉に、息子は頷いた。
「いいか。長い人生。浮きも沈みもする。しないはずがない。でもどんな時も自分を見失わなければ大丈夫。それに愛する家族のために生きるってことだ。最終的には家族を選ぶ。それが僕の生き方だったから、今の幸せがあると思う」
 いつしか、孫たちが話を聞き入っていた。
 熟慮と決断。愛するものへのこだわり。それをしっかりと持てる人間に育ってほしい。それが悔いのない人生につながる。
 妥協と打算の時代である。純粋に生きるのは難しいかも知れない。でも、次の世代に伝えたい。一途な愛の素晴らしさを。愛を守るために逞しく生きられるってことを。私の浮き沈みの激しかった人生は家族への愛のこだわりが乗り越えさえてくれたのだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする