甲斐性なしの結婚模様
「十日間の休暇でヨーロッパに新婚旅行だって。いいなあ」
妻が友人の結婚を話題にした。新婚旅行だけが豪華ではない。披露宴は、ホテルのガーデンスペースを白い馬車で横切る演出付き。新居は新郎の親が用意した一戸建て。
まるで自分のことのように話す妻の表情にフッと寂しさが走った。思い過ごしではない。
五年前に結婚したわたしたちの場合は、実に地味なものだった。1十二月三日、もう冬に入りかけた吉日。披露宴に出席してくれた妻の友人たちは口を揃えて言った。
「この神社、披露宴出来るの?」
彼女らが疑うのも無理はなかった。結婚式を挙げた神社は、辺鄙な町はずれにあって古ぼけたものだった。晴れ着に着飾った招待客の顔は一様に戸惑いの色を浮かべていた。
せまっ苦しい畳敷きの小広間で繰り広げられた披露宴は、案に相違した温かさに包まれて和気あいあいと進んだ。
印象的だったのは、妻が学んだ短大の恩師である老教授の祝辞だった。
「和子さん。あなたは幸せですよ。心優しい旦那さまと素晴らしいお友達とご家族の、人間的なあたたかさがいっぱい溢れた、このお式と披露宴がそれを約束していますよ。ケバケバと、どうにも落ち着いて祝えない昨今の結婚式場は、器械的で我慢の出来ない冷たさがありますからね。あなたと旦那さまは、最高の式場で、これ以上はない旅立ちを、決して忘れずに、幸せな家庭を築いてください」
さて、新婚旅行は行かずに済まそうと二人の間では決めていたが、結局、親孝行の方を選んだ。親が願う「人並み」を実行するために京都へ向かった。
オフシーズンの平日。寒々とした京都を半日がかりで歩いて探した民宿。なんと泊り客は私たちだけ。障子戸がガタガタいってるのを、部屋に落ち着いたわたしと妻は顔を見合わせてプーッと噴き出した。
夜中に、空腹を抑えるため、降り始めた粉雪の中を夫婦は体を寄せ合って歩き回った。やっと見つけた駄菓子屋でポテトチップスを買って食べた。
誰がどう見ても、「人並み」とは思えぬ散々な新婚旅行だったのは間違いない。
あれから、もう五年になる。早く二児に恵まれたので、新婚旅行以来、二人で旅を楽しむ機会もなく今日に至っている。
最近の贅沢は、月一回ぐらい家族揃って出かける外食ぐらい。その食事中にしょっちゅう新婚旅行を話題にする。にこやかに、そして皮肉を少し込めて話す。
「懸命やったね」
「何が?」
「新婚旅行」
「ああ、あれか…ごめんな、甲斐性がなかったからな」
「もう、何言ってるの。あんなの誰でも体験できるもんじゃないでしょ。……いい思い出よ。絶対忘れっこないから」
「うん。そうだな」
思わず笑ってしまった。妻も笑っている。
負け惜しみじゃなく、金をかけたからといって、それだけでいい思い出が買えるはずがない。脳裏に蘇る鮮やかな記憶の世界に後悔はない。あたたかな雰囲気の中に、相好を崩し幸せを味わっている自分の姿が、そこにあるのに気が付いた。
(朝日・昭和62年8月16日掲載)
「十日間の休暇でヨーロッパに新婚旅行だって。いいなあ」
妻が友人の結婚を話題にした。新婚旅行だけが豪華ではない。披露宴は、ホテルのガーデンスペースを白い馬車で横切る演出付き。新居は新郎の親が用意した一戸建て。
まるで自分のことのように話す妻の表情にフッと寂しさが走った。思い過ごしではない。
五年前に結婚したわたしたちの場合は、実に地味なものだった。1十二月三日、もう冬に入りかけた吉日。披露宴に出席してくれた妻の友人たちは口を揃えて言った。
「この神社、披露宴出来るの?」
彼女らが疑うのも無理はなかった。結婚式を挙げた神社は、辺鄙な町はずれにあって古ぼけたものだった。晴れ着に着飾った招待客の顔は一様に戸惑いの色を浮かべていた。
せまっ苦しい畳敷きの小広間で繰り広げられた披露宴は、案に相違した温かさに包まれて和気あいあいと進んだ。
印象的だったのは、妻が学んだ短大の恩師である老教授の祝辞だった。
「和子さん。あなたは幸せですよ。心優しい旦那さまと素晴らしいお友達とご家族の、人間的なあたたかさがいっぱい溢れた、このお式と披露宴がそれを約束していますよ。ケバケバと、どうにも落ち着いて祝えない昨今の結婚式場は、器械的で我慢の出来ない冷たさがありますからね。あなたと旦那さまは、最高の式場で、これ以上はない旅立ちを、決して忘れずに、幸せな家庭を築いてください」
さて、新婚旅行は行かずに済まそうと二人の間では決めていたが、結局、親孝行の方を選んだ。親が願う「人並み」を実行するために京都へ向かった。
オフシーズンの平日。寒々とした京都を半日がかりで歩いて探した民宿。なんと泊り客は私たちだけ。障子戸がガタガタいってるのを、部屋に落ち着いたわたしと妻は顔を見合わせてプーッと噴き出した。
夜中に、空腹を抑えるため、降り始めた粉雪の中を夫婦は体を寄せ合って歩き回った。やっと見つけた駄菓子屋でポテトチップスを買って食べた。
誰がどう見ても、「人並み」とは思えぬ散々な新婚旅行だったのは間違いない。
あれから、もう五年になる。早く二児に恵まれたので、新婚旅行以来、二人で旅を楽しむ機会もなく今日に至っている。
最近の贅沢は、月一回ぐらい家族揃って出かける外食ぐらい。その食事中にしょっちゅう新婚旅行を話題にする。にこやかに、そして皮肉を少し込めて話す。
「懸命やったね」
「何が?」
「新婚旅行」
「ああ、あれか…ごめんな、甲斐性がなかったからな」
「もう、何言ってるの。あんなの誰でも体験できるもんじゃないでしょ。……いい思い出よ。絶対忘れっこないから」
「うん。そうだな」
思わず笑ってしまった。妻も笑っている。
負け惜しみじゃなく、金をかけたからといって、それだけでいい思い出が買えるはずがない。脳裏に蘇る鮮やかな記憶の世界に後悔はない。あたたかな雰囲気の中に、相好を崩し幸せを味わっている自分の姿が、そこにあるのに気が付いた。
(朝日・昭和62年8月16日掲載)
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