こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

若かったあの日

2017年11月09日 01時23分06秒 | 文芸
10数年前に書き留めた手記です。
こんな時代があったのです。

「将来飲食店で独立するんやね。
ならここで思い切り
勉強したらいいじゃないか」

 調理師学校に紹介された
H商工会議所内のレストラン。
面接相手は
何のこだわりも見せない。
自分の店を持つまでと
ハシゴ的な
身勝手過ぎる求職者を
「いいよ、いいよ」
という感じで迎えてくれる。
終始ニコニコと
緊張感や余分な考えを包み込む。
それがY専務だった。


 レストラン勤めは
順調だった。
調理師学校で学んだ調理技術は、
職場の上司M調理主任の
おおらかな指導のもと
生かされた。
優しい同僚たちにも恵まれて
楽しく仕事をした。

「専務さん、
仲人をお願いできますか?」

 就職して2年目。
つきあっていた彼女と
結婚を決め、
Y専務のもとを
二人で訪れた。

「ほうか。結婚するの。
喜んで引き受けましょ」

 彼女と二人、
感謝の頭を下げた。

 Y専務はすぐに動いた。
結納で彼女の親元に出向き、
結婚式場も早速押さえた。
レストランと提携する
結婚式場だった。

「これはという
メニューを考えてやるよ。
きみには一生に一度の
晴れ舞台だからな」

 W主任も喜んだ。
同僚らの好意的な冷やかしも
心地よく
嬉しかった。

「ありがとうございます!」

 何度も頭を下げながら、
にやけた。

 それが3週間後、
事態は一変した。

「結婚するの自信ない。
…結婚できない…!」

「え?」

 寝耳に水だった。
前日までは二人の未来を
あんなに
幸せいっぱい語っていたのに。

 彼女の心を取り戻すべく
懸命に慰留したが、
無駄だった。
彼女の思いは決意に変わった。

「結婚はやめる!」

 初めてだった恋愛経験、
その彼女との結婚しか
考えられなくなっていた
私には大ショックだった。
しかし、
もう彼女に
取り付く島はなかった。

 何も考えられなくなり、
職場を無届けで休み、
アパートの自室にこもった。
死にたいと思ったが、
それを実行する勇気はない。
知り合いの誰とも
会いたくなかった。
ただ布団を頭からかぶって
モグラ状態で過ごした。

(…どうしたらいいんだろう?
親には…専務さんは…主任さんは…)

 どの人にも
申し訳ないが先に立つ。
やっと落ち着いても、
破談の後始末なんて、
考えられるはずがない。
職場の上司や
同僚の顔を思い浮かべ、
焦燥感で
押しつぶされそうになるだけ。
結局3日間、
アパートは出られなかった。

 誰かがドアを叩いている。
フラーッと玄関に移動した。
でもドアのノブに手は出なかった。
何度も何度もドアを叩いたあげく
相手はようやく諦めた。
「ホッ」と緊張が解けたとき、
郵便受けに何かが差し込まれた。
一枚のメモ書きだった。

 ドアの向こうに
気配が消えたのを確かめると、
やっとメモを手にした。

『みんな心配している。
きょうの夕方、
仕事終わりに専務と一緒に来るから、
7時頃、家にいてくれよ M』

 3日間何も連絡せずに休む
スタッフを心配した主任が、
ワザワザ来てくれた。
(忙しいのに…)
また申し訳なくて堪らなかった。

時間を指定されてしまっては、
もう居留守を使う訳にはいかない。
Y専務とM主任、
あの優しい上司と
顔を合わせないわけにはいかない。

「オレ、外で待ってるからな」

 M主任の気配りで、
私はY専務と二人きりにされた。
罪悪感いっぱい、
気まずい思いにいる私を
慮った専務は
先に口を開いた。

「お父さんに☎を貰った。
向こうさんの家から
連絡があったそうだ。
えらく心配されていたよ」

 すべてを専務は知っている。
それなのに、
全く変わらない笑顔が
目の前にあった。

「…ぼ、ぼく…」

「無理しなくていいから。
ややこしい手続きは
私がやっておくから。
きみはこの週末まで休みをとるといい。
落ち着いたら仕事に出なさい。
みんな待ってるよ。
きみがいないと
みんな寂しいんだってさ」

 ボロボロと涙が出た。

「ただ、どんなことがあっても、
自分だけで持ち込むんじゃないよ。
ご両親だって、
僕も主任も、
ちゃんと相談に乗れるんだから。
お互いの人生で
せっかく出会えた相手だろ。
大事にしなきゃ」

 何も言えない。
止めどもなく流れ落ちる涙を
頻りに拭った。

 週明けに職場へ。
何とも言えない気恥ずかしさは、
同僚たちが
すぐ忘れさせてくれた。

「これからの君は、
今回のことを生かして、
強く成長しなきゃいけないよ。
人任せの人生は
何度も繰り返さない。
いいね、約束だ」

 改めて詫びる私に
向けたY専務の言葉は、
私の胸に深く刻まれた。

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