「おとうさん。
わたし砂糖もミルクも
いれなくていいから」
娘のオーダーに驚いた。
ブラックという、
私と妻が親しむ飲み方である。
妻はダイエットが主目的で、
私は独特の苦みが好きだから。
それを娘はいつも
「わー!
そんなの美味しいの?
ぜったい飲めっこない」
と言ったものだ。
だいたい珈琲は口にせず、
紅茶一辺倒だった娘。
それを一変させたのは、
珈琲チェーン店で
アルバイトを始めたからだった。
このきっかけにも驚いた。
実は私も同じ動機で、
紅茶から珈琲に好みを変えている。
二十代半ばで喫茶店に勤めたのは、
将来店を持つ計画の一端だった。
「喫茶店をやるなら、
自分が珈琲を好物にしなきゃだめだ。
珈琲の味がわからないマスターがいれたものを
飲む客なんかいないだろ」
指導してくれたオーナーの口癖で、
時間が出来れば一緒に
珈琲をハシゴして回った。
最初は顔がゆがむほど
受けつけなかった珈琲も、
苦みがまず平気になった。
ある店で、
私の珈琲イメージは一変した。
サイフォンで丁寧にたてられた珈琲を
口に含むと、
これまでの珈琲が偽物に思えた。
その珈琲はただ者ではなかった。
常連になって味と香りを手に入れた。
「うーん。
いいね、この香り」
一人前の口をきき、
目を細めて珈琲をたしなむ娘。
そう飲むのではなく、
ちゃんとたしなんでいる。
すごい成長だ。
「どれどれ私も珈琲タイム。
アメリカンがいいな」
仕事から戻って来た妻が
仲間入りをした。
妻とはジャズ喫茶で出会った。
どろりとした珈琲が満ちるカップを前に
ジャズのピアノ曲にひたる姿に
一目ぼれしたのだ。
その妻も、
いまは薄めの珈琲を
愛飲している。
娘が好むポップサウンドをバックに、
親子三人が、
それぞれの珈琲にしたしむ光景は、
私が夢見た、
家族の理想図なのだろうか。
わたし砂糖もミルクも
いれなくていいから」
娘のオーダーに驚いた。
ブラックという、
私と妻が親しむ飲み方である。
妻はダイエットが主目的で、
私は独特の苦みが好きだから。
それを娘はいつも
「わー!
そんなの美味しいの?
ぜったい飲めっこない」
と言ったものだ。
だいたい珈琲は口にせず、
紅茶一辺倒だった娘。
それを一変させたのは、
珈琲チェーン店で
アルバイトを始めたからだった。
このきっかけにも驚いた。
実は私も同じ動機で、
紅茶から珈琲に好みを変えている。
二十代半ばで喫茶店に勤めたのは、
将来店を持つ計画の一端だった。
「喫茶店をやるなら、
自分が珈琲を好物にしなきゃだめだ。
珈琲の味がわからないマスターがいれたものを
飲む客なんかいないだろ」
指導してくれたオーナーの口癖で、
時間が出来れば一緒に
珈琲をハシゴして回った。
最初は顔がゆがむほど
受けつけなかった珈琲も、
苦みがまず平気になった。
ある店で、
私の珈琲イメージは一変した。
サイフォンで丁寧にたてられた珈琲を
口に含むと、
これまでの珈琲が偽物に思えた。
その珈琲はただ者ではなかった。
常連になって味と香りを手に入れた。
「うーん。
いいね、この香り」
一人前の口をきき、
目を細めて珈琲をたしなむ娘。
そう飲むのではなく、
ちゃんとたしなんでいる。
すごい成長だ。
「どれどれ私も珈琲タイム。
アメリカンがいいな」
仕事から戻って来た妻が
仲間入りをした。
妻とはジャズ喫茶で出会った。
どろりとした珈琲が満ちるカップを前に
ジャズのピアノ曲にひたる姿に
一目ぼれしたのだ。
その妻も、
いまは薄めの珈琲を
愛飲している。
娘が好むポップサウンドをバックに、
親子三人が、
それぞれの珈琲にしたしむ光景は、
私が夢見た、
家族の理想図なのだろうか。
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