33年間、介護を続けてきた理由(わけ)〔2〕 「吐き戻す」
同じ福祉業界とはいえ転職を繰り返した
私の青い鳥症候群はこれ以降も落ち着かず
石の上にも3年よりは続いたが、定着までには至らなかった。
面接の通知が来た。
32歳になり、「介護したい」ために応募したわけではなかった。
前の福祉施設が嫌で逃げてきた人間であり、問題意識も皆無であった。
面接時に「男性だけれどおむつ交換はできるか」
「生活指導員は、あなたより年下の男性になるが、
その下で寮夫として働けるか」と質問された。
2つの質問に対し、躊躇うこともなく二つ返事で「はい」と答えた。
7日後に採用決定の通知が届き
昭和59年4月1日から「身体障害者療護施設 生活指導員」として採用された。
生活指導員の仕事は、福祉事務所からの利用者受入れ相談、
入所にあたり利用者、家族との調整、行事計画、利用者処遇計画作成、
各職種間(事務員、看護職員、寮母・寮夫、栄養士、調理員)の連絡調整役であった。
8時間デスクに向かい、事務だけの仕事では
利用者の状態は把握できない。
寮母・寮夫と一緒になっておむつ交換、入浴介助など利用者の介護にも関わった。
定員50名の介護施設で
利用者の年齢は18歳から63歳までと幅があった。
養護学校高等部(いまは支援学校)を卒業した脳性マヒの利用者の他
脳卒中後遺症、糖尿病、交通事故、労災による事故で障害者になった利用者たちが
入所となった。
高等部卒業の利用者を除き、他の利用者は年上であった。</fon
いまでも印象に残っている結城明子さん(当時42歳)のことが頭に浮かんでくる。
彼女は、重度の知的障害の他に聴覚障害も持っていた。
言葉は喃語であり意味不明であった。
農家の家に生れ、いつも陽の当たらない座敷に閉じ込められていた。
そのため外へ出ることもなく、歩くことはできず
足は幾分「く」の字に曲がり、
両手は常に頭を抱えるような感じで万歳をしていた。
十分な食事は摂れてはいなく痩身であり、顔は白かったのを覚えている。
食事、排せつ、着脱、入浴などの日常生活行為はすべて全介助であった。
彼女が入所し、居室(4人部屋でベッド生活)、2時間後に便失禁したので、
寮母と一緒におむつ交換を行うことになった。
便は緑色がかった軟便であり多量であった。
他人の便の臭いにはまだ慣れておらず
特に彼女の便臭は、他の利用者とは違い強烈であり目にも染みるほどであった。
何を食べたら、これほどまでに生臭い便になるのか。
昼に食べた物がむかむかし、こみあげ嘔吐寸前になり
慌てて居室のはきだし口に走り、窓を開け「ゲエ~ゲエ~」してしまった。
いま思えば、利用者に対し随分失礼な行動をしたものだ、と反省している。
慣れとは恐ろしいもので
便失禁したおむつ交換のとき
便臭にも慣れてきた。
明子さんのおむつ交換時、嘔吐することもなくなった。
いまでは利用者の排便状態を話しながら、カレーライスを食べれる。
対して自慢できることでもないが・・・・</font>
同じ福祉業界とはいえ転職を繰り返した
私の青い鳥症候群はこれ以降も落ち着かず
石の上にも3年よりは続いたが、定着までには至らなかった。
面接の通知が来た。
32歳になり、「介護したい」ために応募したわけではなかった。
前の福祉施設が嫌で逃げてきた人間であり、問題意識も皆無であった。
面接時に「男性だけれどおむつ交換はできるか」
「生活指導員は、あなたより年下の男性になるが、
その下で寮夫として働けるか」と質問された。
2つの質問に対し、躊躇うこともなく二つ返事で「はい」と答えた。
7日後に採用決定の通知が届き
昭和59年4月1日から「身体障害者療護施設 生活指導員」として採用された。
生活指導員の仕事は、福祉事務所からの利用者受入れ相談、
入所にあたり利用者、家族との調整、行事計画、利用者処遇計画作成、
各職種間(事務員、看護職員、寮母・寮夫、栄養士、調理員)の連絡調整役であった。
8時間デスクに向かい、事務だけの仕事では
利用者の状態は把握できない。
寮母・寮夫と一緒になっておむつ交換、入浴介助など利用者の介護にも関わった。
定員50名の介護施設で
利用者の年齢は18歳から63歳までと幅があった。
養護学校高等部(いまは支援学校)を卒業した脳性マヒの利用者の他
脳卒中後遺症、糖尿病、交通事故、労災による事故で障害者になった利用者たちが
入所となった。
高等部卒業の利用者を除き、他の利用者は年上であった。</fon
いまでも印象に残っている結城明子さん(当時42歳)のことが頭に浮かんでくる。
彼女は、重度の知的障害の他に聴覚障害も持っていた。
言葉は喃語であり意味不明であった。
農家の家に生れ、いつも陽の当たらない座敷に閉じ込められていた。
そのため外へ出ることもなく、歩くことはできず
足は幾分「く」の字に曲がり、
両手は常に頭を抱えるような感じで万歳をしていた。
十分な食事は摂れてはいなく痩身であり、顔は白かったのを覚えている。
食事、排せつ、着脱、入浴などの日常生活行為はすべて全介助であった。
彼女が入所し、居室(4人部屋でベッド生活)、2時間後に便失禁したので、
寮母と一緒におむつ交換を行うことになった。
便は緑色がかった軟便であり多量であった。
他人の便の臭いにはまだ慣れておらず
特に彼女の便臭は、他の利用者とは違い強烈であり目にも染みるほどであった。
何を食べたら、これほどまでに生臭い便になるのか。
昼に食べた物がむかむかし、こみあげ嘔吐寸前になり
慌てて居室のはきだし口に走り、窓を開け「ゲエ~ゲエ~」してしまった。
いま思えば、利用者に対し随分失礼な行動をしたものだ、と反省している。
慣れとは恐ろしいもので
便失禁したおむつ交換のとき
便臭にも慣れてきた。
明子さんのおむつ交換時、嘔吐することもなくなった。
いまでは利用者の排便状態を話しながら、カレーライスを食べれる。
対して自慢できることでもないが・・・・</font>