老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

513;老いはケセラセラ

2017-11-05 11:19:56 | 老いびとの聲
老いはケセラセラ

晩秋の朝焼け
散歩しているあいだ思ったこと

老いはケセラセラ
いまさら人生を後悔してみたところで
どうにもならない

この先はケセラセラ
いまさらジタバタしても始まらない
楽観的な気持ちで生きてみよう
ケセラセラ

多くのものを欲せず
いまあるものに満足し
いま生きていることに
ただただ感謝する
いい意味で
人生なるようになる


512;上手な介護サービスの活用処方 第33話「認定調査の項目」 〔31〕 「徘徊」

2017-11-05 05:02:32 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第32話「認定調査の項目」 〔30〕  
3-8 徘徊(有無)

ここでいう「徘徊」とは、歩き回る、車いすで動き回る、床やベッドの上で這い回る等、
目的もなく動き回る行動のことである。


1.ない
2.ときどきある
3.ある

1.徘徊が、過去1か月間に1度も現れたことがない場合や
ほとんど月1回以上の頻度で現れる場合をいう。
・意識障害、寝たきり等の理由により、徘徊が起こりえない
場合も含まれる

2.少なくとも1か月間に1回以上、1週間に1回未満の頻度で
現れる場合をいう。
・定義した行動のいずれか、1つでもある場合をいう

3.少なくとも1週間に1回以上の頻度で現れる場合をいう。
・定義した行動のいずれか、1つでもある場合をいう


毎日、ベッド上を這い回っているが、
ベッドから下に降りて、部屋を這って動き回ることはない。
この場合は、「ある」を選択する。


認定調査員のテキストでは、徘徊は目的もなく動き回る行動としている。
認定調査では、徘徊の捉え方を問うているのではないので、上記の解釈で「よし」とする。
しかし、認知症ケアにおいては「徘徊」に対する捉え方は違ってくる。
認知症高齢者に限らず、人間は目的があるから、「立ち上がり」「立ち」そして「歩く」という行動に出る。
《目的なく歩き回ることはない。「歩く」、それは目的があるから歩く》

一部の介護施設や介護事業所のなかで
認知症高齢者が椅子から立ち上がると、「危ないから坐っていなさい」と、
肩に手をかけ坐らせようとする。
また椅子から立ち上がり、歩きだすと「危ないから坐ってて」とか、
「どこへいくの」などと大きな声で行動を制止する。

認知症高齢者はなぜ「椅子から立ち上がったり」「歩きはじめたり」したのか。
その理由(わけ)を考えていくことがケアである。
体はオシッコしたいと信号(シグナル)を出していても、
認知症高齢者は、どうしていいかわからず、
立ち上がったり歩きだしたりしてソワソワすることもある。
その場合、介護者が「トイレですか」と声をかけ誘導してみる。

また喉が渇いても、水を飲むことがわからない。
喉が渇くと人間落着かなくなる。それで立ち上がり、歩き始めることもある。
トイレでなければ、次に水分を与えてみる。

水分を与えても落ち着かなければ、何故歩き回るのか、
認知症高齢者とともに考えてみる(悩んでみる)。

目的のない行動はない
それは自分を基準に考えてみる。
行動を起こすときには、必ず目的がある。

目的もなく夜、飲み屋街をはしご酒をし、ウロウロと歩き回る男の行動が
「徘徊」なのかもしれない。