老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1434;この世に生まれたきた人間は 泡沫の如く消えゆく

2020-03-05 04:17:37 | 読む 聞く 見る
この世に生まれたきた人間は 泡沫の如く消えゆく
鴨長明 『方丈記』

若かりし頃 高校1年のとき
古文で『方丈記』を勉強したことを思い出す
そのときは、文法や古語解釈などにとらわれ過ぎ
つまらなかったことを覚えている

老境にはいり
再び『方丈記』を手にした

授業では味わうことができない深い意味を知った
『方丈記』は無常観とか無常の思想を著したもの
そう言われている
それは『方丈記』の書き出しの箇所を意味するからなのか
私は「無常観」という言葉だけで
方丈記が意味する内容は奥が深い

「ゆく河の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたる例なし。
世の中にある、人と栖と、
またかくのごとし」。

鴨長明は
当時の世相(権勢や出世、富など)から
{現代も同じだが}
人生のはかなさを覚えていた。
この世に生まれたきた人間は
泡沫の如く消えゆく
人も家(財貨)も消える

それよりも大事なことは
人間は生老病死という四苦から
逃れることのできない運命(宿命)を持つだけに
人生とは何か
人間が生老病死を抱えながら生きるとはどういうことか

医療の発達や消費生活の豊かさなどで人間の寿命が延びた結果
認知症発症や脳血管疾患等の病により
寝たきりや手足が不自由になり
一人では生きられず
介護を要する状態となったとき
介護は生老病死を抱えたテーマでもある

仏教はもっと
日本人の生活のなかにあるものだと思うのだが
私自身仏教は、葬式や法事のためにあるものではなく
(亡くなった人を弔い、先祖を敬うことは大切、葬式や法事、供養を否定するものではない)
仏教は哲学であり、生きる意味を問うていくものではないか と思う

人間生きていく上で
死は避けれない問題であり
生と死は一つであるとしている
仏教は生死のことを見つめさせてくれる
そう思っている

答えのない生死のテーマに
私自身 
病を抱え
老に入り
悩みは尽きず
背後から死は忍び寄り
日々悶々としながら
残り少なくなる時間に
焦りとのんきな気持ちが混在している