老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1458;公園に来て

2020-03-17 21:56:48 | 歌は世につれ・・・・
公園に来て


太陽は、日だまりと日陰の「光影」をつくる。公園に
訪れる人たちも光と影を抱きながら生きている。まね
のできない笑顔して ヨチヨチと幼な児がいる。公園
に来て君達は 公園をひとりじめしてる。


どこに行くあてのない老人はひとりベンチに座わり、
丸い飴を舐めながら幼な児の姿を見ている。

止まった時間のなか、ヨチヨチ歩きの幼な児、ヨタヨ
タ歩きの老人の姿はどこか似ている後ろ姿。老人には
まねのできない幼な児の笑顔に癒される。

公園の外は、大都会の駅も街も人混みで喧騒のなかに
あり、慌ただしく時間が過ぎ去って往く。公園は止ま
った時間のなかに、やすらぎをさがし人々が訪れる。

若いころ、東京の児童養護施設で子どもたちと暮らし
たことがあった。23区には大きな公園や小さな公園
があり、よく子どもたちと遊びに行った。

大都会は緑が少ないせいか、緑や小さな川や池をとり
こんだ公園が整備されてあった。

地方に移り住み、ゆたかな自然があるせいか、大都会
にあるような公園は整備されていなく、徒歩や自転車
で行けるような公園はきわめて少なかった。自分が住
んでいる村には公園はない。

小椋佳の『公園に来て』を聴くと、杉並区や世田谷区
の公園を思い出す。

公園に来て、夏は日陰、冬はひだまりのなかで、ひと
ときやすのらぎをさがし、長閑な時間のなかでひとり
過ごすことを妄想している自分であった。


     公園に来て
       作詞 小椋佳  作曲 小椋佳

わずかばかりの緑にも 日だまりと日かげがある
公園に来て俺達は ひとときのやすらぎをさがす
しばらくはこうして 止まった時間をみていよう

まねのできない笑顔して ヨチヨチと幼な児がいる
公園に来て君達は 公園をひとりじめしてる
遠くないところに いつだって母親が見ている

ふりかえることもなく にぎやかに娘達がゆく
公園に来て幸せが その先にまってるように
さむざむとその道を 戻った少女には気づかない

いってはならない真実をくわえ
見なれぬ小鳥が飛んでゆく

朝の雨にあぶれた 日雇いのおじさんがいる
公園に来て昼休み 背広着た勤め人五人
あわれみとけいべつ そして又うらやむ目でみてる

ぬるい日ざし受けてる べンチに老人がひとり
公園に来てまるいあめ 一日中なめつづけている
かみくだいてみたくは ないのかといたずら小僧め

いってはならない真実をくわえ
見なれぬ小鳥がとんでゆく

わずかばかりの緑にも 日だまりと日だまりと日かげがある
公園に来て俺達は ひとときのやすらぎをさがす
しばらくはこうして 止まった時間をみていよう