老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1466; 「臨死のまなざし」から教えられたこと(1)

2020-03-23 21:11:09 | 生老病死
「臨死のまなざし」から教えられたこと(1)


先日、古本屋200円コーナーで立川昭二さんの『臨死のまなざし』を見つけた.
平成8年6月に出版され、22年前の古い本である。
目次を見て、興味をそそられ、200円を支払いmy bookとなった。

重い病いの床や死に臨んだ床に
自分を置いたとき、はじめて自分が見えてくる。

漱石、賢治、鷗外などの文学を通し、死の情景や臨死のまなざしから
生老病死を見つめていく

何回になるかわからないが、
著者の言葉を引用しながら、老いや病い、そして生死のことを
ふれていきたい。

99歳の登喜子婆さんは
肺炎を再々発し先週の土曜日に入院した。
今日、長男から電話が入り、脳梗塞を発症し意識不明となった。

夕方,病室を訪れた。
小脳梗塞の診断であり、酸素療法と点滴が施行されていた。
彼女の耳元に近づき「登喜子さん」、と大きな声で呼んだら、
「はい」と返事をしてくれた。

神様は意地悪なのか
それとも白寿の婆さんに試練を与えたのか
右肺炎だけでなく小脳梗塞の病気まで抱えてしまった彼女

奇跡的に快復することを祈るだけである