茎が折れた秋桜 折れても咲き続けている生命力の強さに脱帽
1705 南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❷ ~胃ろうと「自然死」~
人間、生きていて(老いてくると)、食べることは
大きな楽しみであり、生きるエネルギー(源=みなもと)にもなる。
老い、病を抱えていて
食べたくても食べれなくなると
もう終わりなのかな(死が近いのかな)、と
当の本人も介護者も「ふと」思ってしまう。
「プレス3 エンバーミング」の看取りカルテ 古賀扶美枝さん(84歳)の話を読み
あらためて「胃ろう」のことを考えさせられた。
本ブログでも過去に胃ろうを取り上げたことがあった
扶美枝さんは痩せこけ、肋骨がくっきりと浮かび上がり、飴細工のように壊れそうな体だった(170頁)
水戸倫子医師は、「この一年近く、食欲が落ちれば、これまでなら消化器の検査や栄養を取るための治療を考えたものだ。
だが、食べれなくなるのも自然の経過という感覚もわかるようになってきた」(前掲書173頁)
他の哺乳類動物と同じように、人間も老いていくと躰の機能が衰え、食べることも受けつけなくなる。
水も飲まなくなり、オシッコもでなくなってしまう。
自然の摂理に沿いながら静かに逝きたいものです。
扶美枝さんも「ベッドの上だけで人生なんて、好きじゃないんです。私は十分に生きてきました」
「胃に穴を開けるなんて、とんでもない。そこまでして生きたいとは思いません」
「私も自然に帰るだけ」(179頁)、と
最初は彼女は胃ろうを造ることに拒否(反対)をされていた。
普段介護されていない長男 純一郎が現れ、胃ろうを造るよう母を説き伏せ
水戸医師に胃ろう造設の手術を強く求めた。
長男は、胃ろうを造らないのは「餓死」させることだ、という言葉に
水戸医師は心揺らいでしまう。
「自然な死を見守る医療は、どこか頼りない。果たすべき治療をやりきっていないのではないか」
という迷いとも背中合わせにある。(193頁)
迷いのなか、結局長男の言葉に押され胃ろうを造設した老母。
扶美枝は「-こんなじゃ、生きていても仕方がない。天井を、見ているだけの毎日なんて・・・・」、という言葉を吐く。
胃ろうの造設約3週間後に事故が起きた
扶美枝の口から白い流動食が溢れ流れ出ていた。
気道に流れ込んだ流動食による窒息状態となり
吸引や心臓マッサージを続けるも、亡くなった。
原因は純一郎が7パック(1パック200ml)の流動食を入れたのが原因だった。
水戸医師は、いまは胃ろうを造ることになぜ抵抗しなかったのか
「餓死」という言葉に惑わされたこと
それは自分も同じ気持ちを抱いた。
水戸医師の老父は8年前に脳梗塞を患い
いまは歩くことも食べることもできない。
胃ろうを造ったが、言葉や表情を失い
意識もなく寝ているだけの状態にある。
在宅の患者を診ていて、ふと父のことが蘇る。
食べれなくなることは、自然な肉体の衰え
死というゴールから逆算して、残された時間をどうするか
つまり『最期どう生きたいか』(186頁)
胃ろうを造り、生き長らえても
「-こんなじゃ、生きていても仕方がない。天井を、見ているだけの毎日なんて・・・・」
という扶美枝の言葉がいまも耳朶に残っていいる。
老い病を抱え、最後食べれなくなったとき(飲み込みができなくなったとき)
あなたは胃ろうを望むのか、それとも望まないのか
意思表示をしておくことが大切。
最期どのような死の風景を眺めたいのか