1718 仙厓和尚❸
義梵(字は仙厓)は武州東輝庵を目指し、野宿同様の九夜十日の道中を歩き着いた。
東輝庵は峻立する崖を背にしてひっそりと建つ百姓家のような庵が大小二つあるだけであった。
多くの行脚僧が入門を求め庭詰の行をしていた。
義梵は、庭詰の行がわからずに僧に入門願いをしたものだから
中年僧から庭の地面に叩きつけられたり
別の役僧は、棍棒で義梵の肩や横腹をつつく。
義梵は、負けず、空印和尚の書状を差し出したが
中年僧は「こんなものが何の役に立つ」と嘲罵(ちょうば)し、その書状をずたずたに裂き破いた。
この一年の間に、入門を許された者は一人もいなかった。
義梵は、故郷には戻れなかった。
故郷へ帰りたくなかった。
戻れない身であった。
義梵は、徹夜の坐禅と断食行を続け、五日目には動かなくなった。
糞も出なくなり、食べ物も一切受けない。
水だけは、前においた椀に顔を寄せ、唇を湿した。
六日目の夕暮れ 義梵は不意にぐらりと後ろに倒れ、崖下へころがり落ちそうになった。
常僧たちは慌てて大きな石を二つかかえ、義梵の背後に据えた。
八日目 雨が降り始め、午後からはどしゃ降りに変わり、気温は急激に下がった。
白い雨脚と滝のような流れのなかに、一つ義梵の座像が映っていた。
首座役僧が「入門は特別に取り計ろう。約束する」と話しても
義梵は、指を二本立て「あと二日坐る」、と。
先輩僧たちは、薦(こも)や茣蓙(ござ)や古蒲団を持ち出し
義梵のからだを頭から尻までぐるぐる巻きにし縄で縛り、眼鼻だけを残した。
まるで達磨のようであった。
(達磨大師は禅宗の始祖である)
こうして義梵は十日の断食坐禅をやりとげた。
七年の歳月が流れ、義梵は「東輝庵の四天王」の一人に数えられ
法器学識はいちばんと言われ麒麟児の称を受けていた。
いよいよ義梵は、月船老師から試験問題を出され、それに合格すれば
故郷の清泰寺の住職となって戻ることが約束されていた。
野宿のなかを九夜十日の道中を歩き通し
十日の断食坐禅をやりとげた仙厓義梵。
自分ならば一時間の坐禅もできない。
故郷に帰れない、戻れない身である義梵
義梵の生い立ちから考えたらそうである。
この世に生まれて欲しくなかった生きそこないの義梵であり
親、兄からも村の悪童からも蔑まれ疎まれていた。
義梵(字は仙厓)は武州東輝庵を目指し、野宿同様の九夜十日の道中を歩き着いた。
東輝庵は峻立する崖を背にしてひっそりと建つ百姓家のような庵が大小二つあるだけであった。
多くの行脚僧が入門を求め庭詰の行をしていた。
義梵は、庭詰の行がわからずに僧に入門願いをしたものだから
中年僧から庭の地面に叩きつけられたり
別の役僧は、棍棒で義梵の肩や横腹をつつく。
義梵は、負けず、空印和尚の書状を差し出したが
中年僧は「こんなものが何の役に立つ」と嘲罵(ちょうば)し、その書状をずたずたに裂き破いた。
この一年の間に、入門を許された者は一人もいなかった。
義梵は、故郷には戻れなかった。
故郷へ帰りたくなかった。
戻れない身であった。
義梵は、徹夜の坐禅と断食行を続け、五日目には動かなくなった。
糞も出なくなり、食べ物も一切受けない。
水だけは、前においた椀に顔を寄せ、唇を湿した。
六日目の夕暮れ 義梵は不意にぐらりと後ろに倒れ、崖下へころがり落ちそうになった。
常僧たちは慌てて大きな石を二つかかえ、義梵の背後に据えた。
八日目 雨が降り始め、午後からはどしゃ降りに変わり、気温は急激に下がった。
白い雨脚と滝のような流れのなかに、一つ義梵の座像が映っていた。
首座役僧が「入門は特別に取り計ろう。約束する」と話しても
義梵は、指を二本立て「あと二日坐る」、と。
先輩僧たちは、薦(こも)や茣蓙(ござ)や古蒲団を持ち出し
義梵のからだを頭から尻までぐるぐる巻きにし縄で縛り、眼鼻だけを残した。
まるで達磨のようであった。
(達磨大師は禅宗の始祖である)
こうして義梵は十日の断食坐禅をやりとげた。
七年の歳月が流れ、義梵は「東輝庵の四天王」の一人に数えられ
法器学識はいちばんと言われ麒麟児の称を受けていた。
いよいよ義梵は、月船老師から試験問題を出され、それに合格すれば
故郷の清泰寺の住職となって戻ることが約束されていた。
野宿のなかを九夜十日の道中を歩き通し
十日の断食坐禅をやりとげた仙厓義梵。
自分ならば一時間の坐禅もできない。
故郷に帰れない、戻れない身である義梵
義梵の生い立ちから考えたらそうである。
この世に生まれて欲しくなかった生きそこないの義梵であり
親、兄からも村の悪童からも蔑まれ疎まれていた。