老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❸

2020-10-06 07:37:53 | 老いびとの聲

荒地に生える芒と秋桜


1706 南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❸

花は蕾から花咲き
やがて花は散り枯れて朽ちる

人間とて同じく老衰となり死に逝く

『サイレント・ブレス』看取りのカルテを読み終え
人生の最期の日々をどう穏やかに送れるようにするのか

56頁に「平和な治療だけをしてるとね、人が死ぬということを忘れがちなんだよ。
でもね、治らない患者から目をそらしてはいけない。人間は、いつか必ず亡くなるのだか」と言う、大河内教授の言葉。

治せない患者は、末期癌や進行性筋ジストロフィー、老衰等々の人たちが生きている。
「私は死ぬために(自宅に)戻ったの」と言う、知守綾子、権堂勲、そして水戸医師の父親 水戸慎一。

人は必ず死ぬ
治らない患者、死ぬ患者も愛してあげよ
「死ぬ人をね、愛してあげようよ。治すことしか考えない医師は、治らないと知った瞬間、
その患者に関心を失う。だけど患者を放り出す訳にもいかない・・・・」(298頁)

死に向かって生きているとき
何を思い、何を望むのか(欲するのか)
最後にやりたいこと
最後に行きたいところ
最後に食べたいもの
人は死を前にして ささやかな望みが大切にしていきたい


私も目の前で末期癌を患った老人が息を引き取る瞬間に立ち会ったこともあった。
「住み慣れた家で死にたい」、と老人は呟くが
昔と違い、いまは自宅の畳で死ぬことはまだまだ少ない。
自宅の畳で死ぬには、訪問診療と介護サービスがかかわり噛み合わっていかないと難しい。

どう穏やかに自宅の畳の上で息を引き取るのか
医療も介護も 死んでいく人ではなく、その周りの人たち(家族)の意向で決められてしまうのが実情である。
ケアマネージャーは家族の意見も聴きながらも
本人(要介護老人)の気持ち、意見を尊重していくケアプランをどう推し進めていくのか

要介護になってしまった老人は 最後どう生き どう死にたいのか 
どこで死にたいのか
最後は誰に看取られたいのか



南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテを読み終え、そう感じた。