老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

516;上手な介護サービスの活用処方 第34話「認定調査の項目」 〔32〕 「外出すると戻れない」

2017-11-06 14:09:14 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第34話「認定調査の項目」 〔32 
             3-9 外出すると戻れない(有無)

1.ない
2.ときどきある
3.ある

1.外出して一人で戻れないことが、過去1か月間に1度も現れたことがない場合や
ほとんど月1回以上の頻度では現れない場合をいう

・意識障害、寝たきり等の理由により、外出が起こりえない場合も含まれる
2.少なくとも1か月間に1回以上、1週間に1回未満の頻度で現れる場合をいう
3.少なくとも1週間に1回以上の頻度で現れる場合をいう

「外出すると戻れない」行動とは、外出だけでなく、居室や居住棟から出て自室や自宅に戻れなくなる行動も含む。

認定調査項目〔31〕「徘徊」とも関連する。
認定調査対象者が、外へ出だし「徘徊」中に、家に戻れなくなったことがあり、
警察官や近所の人のお世話になったことも度々あったので、
いまは家族交代で本人が出ないように見守りをしている。
このような場合、外へ出ることもなくなり、「ない」に選択されてしまい、
家族の苦労が特記事項に反映されなくなる。
家族が見守りをしている「手間」や「苦労」を認定調査員に話されることが大切です。
(見守りをしていなければ、「本人は外出し戻れない」状態になる)

勿論、自宅内でもトイレや洗面所に行っても寝室や居間に戻れないような場合も、
「ある」または「ときどきある」に該当します。


次回から 第4群 精神・行動障害 の認定調査項目になる(15項目あります)

515;肋骨骨折だった

2017-11-06 11:03:25 | 生老病死
肋骨骨折だった

最寄りの病院整形受診
CT、レントゲン撮影の結果
右肋骨の10番目11番目が骨折
右肺に水が溜まっているが、まだ問題とするところではないが、
水の量が増えると・・・・
2週間安静の宣告
治癒までには2箇月かかる
来週月曜日 再受診(本当は入院だな、と言われたが)
いろいろやることがあり
自宅療養となった
車の運転はできない、と言われショック

あ~ あ~ 
余は仏滅か・・・

514;やっちゃった~ 転倒 !!

2017-11-06 04:29:47 | 生老病死
genkiのゲージにつかまり立ち上がる吾身
やっちゃった~ 転倒 !!

昨夜 夕食後のトイレで
予想だにしなかったことが発生。
用足し終えた後
低血圧症状だったのかな
立ち上がったときに
バランスを崩し
右側にある小さな手洗い器とタオル掛けに
右側の腰あたりを強く2回打ち付け、
ドンと音がし、転倒してしまった。
右腰の激痛と冷や汗で
這い上がることもできず。
近くに居たbeagle・genkiも不安な顔をし
トイレの方を見ていた。

どうにか妻の肩につかまり
ベッドにうつ伏せに寝た。
夜中2度ほどトイレに起きたが
右腰の痛みが強く、起き上がりはスローモーションのよう。
立ち上がり、これも大変。
ベッド脇にgenkiのゲージがあったので、
その木枠につかまりどうにか立ち上がりができた。
蟹歩きの「縦歩き」でよちよち歩き。
下衣の上げ下げはなんともはや、大変。
便器から立ち上がるさいは
妻の肩を借りる不甲斐なさ。

右側の腹部に移植した生命綱の腎臓があり
右側腹部を打撲せずに回避できたことは
不幸中の幸いであった。

大事な時期に仕事が満足にできなくなり大変。
今日、妻の病院受診だったのに
私の付き添いとなり 心苦しくまたまた借りを作ってしまった。
妻は腰痛持ち
「腰の痛い人の気持ちがわかったでしょ~」の言葉に
耳にも痛みが走った。


513;老いはケセラセラ

2017-11-05 11:19:56 | 老いびとの聲
老いはケセラセラ

晩秋の朝焼け
散歩しているあいだ思ったこと

老いはケセラセラ
いまさら人生を後悔してみたところで
どうにもならない

この先はケセラセラ
いまさらジタバタしても始まらない
楽観的な気持ちで生きてみよう
ケセラセラ

多くのものを欲せず
いまあるものに満足し
いま生きていることに
ただただ感謝する
いい意味で
人生なるようになる


512;上手な介護サービスの活用処方 第33話「認定調査の項目」 〔31〕 「徘徊」

2017-11-05 05:02:32 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第32話「認定調査の項目」 〔30〕  
3-8 徘徊(有無)

ここでいう「徘徊」とは、歩き回る、車いすで動き回る、床やベッドの上で這い回る等、
目的もなく動き回る行動のことである。


1.ない
2.ときどきある
3.ある

1.徘徊が、過去1か月間に1度も現れたことがない場合や
ほとんど月1回以上の頻度で現れる場合をいう。
・意識障害、寝たきり等の理由により、徘徊が起こりえない
場合も含まれる

2.少なくとも1か月間に1回以上、1週間に1回未満の頻度で
現れる場合をいう。
・定義した行動のいずれか、1つでもある場合をいう

3.少なくとも1週間に1回以上の頻度で現れる場合をいう。
・定義した行動のいずれか、1つでもある場合をいう


毎日、ベッド上を這い回っているが、
ベッドから下に降りて、部屋を這って動き回ることはない。
この場合は、「ある」を選択する。


認定調査員のテキストでは、徘徊は目的もなく動き回る行動としている。
認定調査では、徘徊の捉え方を問うているのではないので、上記の解釈で「よし」とする。
しかし、認知症ケアにおいては「徘徊」に対する捉え方は違ってくる。
認知症高齢者に限らず、人間は目的があるから、「立ち上がり」「立ち」そして「歩く」という行動に出る。
《目的なく歩き回ることはない。「歩く」、それは目的があるから歩く》

一部の介護施設や介護事業所のなかで
認知症高齢者が椅子から立ち上がると、「危ないから坐っていなさい」と、
肩に手をかけ坐らせようとする。
また椅子から立ち上がり、歩きだすと「危ないから坐ってて」とか、
「どこへいくの」などと大きな声で行動を制止する。

認知症高齢者はなぜ「椅子から立ち上がったり」「歩きはじめたり」したのか。
その理由(わけ)を考えていくことがケアである。
体はオシッコしたいと信号(シグナル)を出していても、
認知症高齢者は、どうしていいかわからず、
立ち上がったり歩きだしたりしてソワソワすることもある。
その場合、介護者が「トイレですか」と声をかけ誘導してみる。

また喉が渇いても、水を飲むことがわからない。
喉が渇くと人間落着かなくなる。それで立ち上がり、歩き始めることもある。
トイレでなければ、次に水分を与えてみる。

水分を与えても落ち着かなければ、何故歩き回るのか、
認知症高齢者とともに考えてみる(悩んでみる)。

目的のない行動はない
それは自分を基準に考えてみる。
行動を起こすときには、必ず目的がある。

目的もなく夜、飲み屋街をはしご酒をし、ウロウロと歩き回る男の行動が
「徘徊」なのかもしれない。




511;33年間、介護を続けてきた理由(わけ)〔2〕 「吐き戻す」

2017-11-04 08:21:59 | 33年間介護を続けてきた理由
33年間、介護を続けてきた理由(わけ)〔2〕 「吐き戻す」 

同じ福祉業界とはいえ転職を繰り返した
私の青い鳥症候群はこれ以降も落ち着かず
石の上にも3年よりは続いたが、定着までには至らなかった。

面接の通知が来た。
32歳になり、「介護したい」ために応募したわけではなかった。
前の福祉施設が嫌で逃げてきた人間であり、問題意識も皆無であった。
面接時に「男性だけれどおむつ交換はできるか」
「生活指導員は、あなたより年下の男性になるが、
その下で寮夫として働けるか」と質問された。
2つの質問に対し、躊躇うこともなく二つ返事で「はい」と答えた。

7日後に採用決定の通知が届き
昭和59年4月1日から「身体障害者療護施設 生活指導員」として採用された。

生活指導員の仕事は、福祉事務所からの利用者受入れ相談、
入所にあたり利用者、家族との調整、行事計画、利用者処遇計画作成、
各職種間(事務員、看護職員、寮母・寮夫、栄養士、調理員)の連絡調整役であった。
8時間デスクに向かい、事務だけの仕事では
利用者の状態は把握できない。
寮母・寮夫と一緒になっておむつ交換、入浴介助など利用者の介護にも関わった。

定員50名の介護施設で
利用者の年齢は18歳から63歳までと幅があった。
養護学校高等部(いまは支援学校)を卒業した脳性マヒの利用者の他
脳卒中後遺症、糖尿病、交通事故、労災による事故で障害者になった利用者たちが
入所となった。
高等部卒業の利用者を除き、他の利用者は年上であった。</fon

いまでも印象に残っている結城明子さん(当時42歳)のことが頭に浮かんでくる。
彼女は、重度の知的障害の他に聴覚障害も持っていた。
言葉は喃語であり意味不明であった。
農家の家に生れ、いつも陽の当たらない座敷に閉じ込められていた。
そのため外へ出ることもなく、歩くことはできず
足は幾分「く」の字に曲がり、
両手は常に頭を抱えるような感じで万歳をしていた。
十分な食事は摂れてはいなく痩身であり、顔は白かったのを覚えている。
食事、排せつ、着脱、入浴などの日常生活行為はすべて全介助であった。
彼女が入所し、居室(4人部屋でベッド生活)、2時間後に便失禁したので、
寮母と一緒におむつ交換を行うことになった。
便は緑色がかった軟便であり多量であった。
他人の便の臭いにはまだ慣れておらず
特に彼女の便臭は、他の利用者とは違い強烈であり目にも染みるほどであった。
何を食べたら、これほどまでに生臭い便になるのか。
昼に食べた物がむかむかし、こみあげ嘔吐寸前になり
慌てて居室のはきだし口に走り、窓を開け「ゲエ~ゲエ~」してしまった。
いま思えば、利用者に対し随分失礼な行動をしたものだ、と反省している。

慣れとは恐ろしいもので
便失禁したおむつ交換のとき
便臭にも慣れてきた。
明子さんのおむつ交換時、嘔吐することもなくなった。

いまでは利用者の排便状態を話しながら、カレーライスを食べれる。
対して自慢できることでもないが・・・・</font>




510;33年間、介護を続けてきた理由(わけ)〔1〕 「利用者を喰いものしてしていた福祉施設を飛び出す」

2017-11-04 00:00:08 | 33年間介護を続けてきた理由
33年間、介護を続けてきた理由(わけ)〔1 
”利用者を喰いものしてしていた福祉施設を飛び出す”


35年も前の話になる。
私は花の東京で
俗に言う”家庭崩壊した子どもの面倒をみる”児童養護施設で働いていたが
都会の色に染まらないうちにと思い
鞄と段ボール箱一つで、筑波山が見える常陸国に移り棲んだ。


戦前 南朝鮮から強制的に連れて来られ酷使そして搾取された朝鮮人が経営する社会福祉法人、
福祉施設に就職した。
そこは児童養護施設、知的障害児施設、知的障害者厚生施設、保育園を経営していた。
最初は児童養護施設の児童指導員として辞令を受けたが、
2歳から18歳までの子どもが80人 生活されていた。

子どもたちの学力は低く、万引きや下級生虐めも多かった。
私よりも年齢は2つほど上の理事長の息子と意見で対立していた(理事長の息子は知的障害者厚生施設の事務長だった)。
施設の子どもが「問題行動」を起こすと、
児童養護施設に来て、その子どもたちに対し「反省させる」という大義名分で
日常的に体罰、食事抜きなどの虐待が横行していた。
児童養護施設の職員は、事務長の横暴に意見をする者はいなかった。
(意見しようものなら退職せねばならない)
措置費(国等から支給される施設事務費や子どもの養育費)は何に使われているのか使途不明金も多かった。
虐待や施設の金の使い方など他の職員に話していき、理解者を1人、2人、3人と増やしていったら
理事長、事務長はこれではまずいということで、
翌年は、事務長のお膝下で私を監視する目的で、知的障害厚生施設に移動された。

私より年上の男性知的障害者と毎日、炎天下草むしりを行った。
児童養護施設はブロック造りで下水道の配管は細く、よく詰まり
男性職員がかりだされていた。
糞尿車(バキュームカー)の吸引と排出の力を利用し、下水管の詰まりを修復していた。

忘れもしない34年前の大晦日。糞尿車のホースを持っていた私は、
事務長の(悪意のある)悪戯で、予告もなく排出のレーバーを「開」に回転させたため
私が手にしていたホースは滑り逃げ、私の頭上から糞尿がドバッ~と降りかかってきた。
糞尿で頭髪はベタベタ、目や鼻、口にも糞尿が入り、未知の味を体験、
風呂に入り、体を何度洗っても糞尿の臭いはしばらく消えなかった。

草むしりの合間にブロック造り、作業場の床はコンクリートであり冬場は暖房もなく、冷え寒かった。
そのため痔になり、30歳のとき痔の手術を行った。
出産するときのような姿勢で手術を受け、二度とあのような姿勢はしたくない。
知的障害者施設でも知的障害者の障害年金が振り込まれる通帳を経営者が管理し
担当職員はどのくらい残高があるのか知らされることもなかった。
親は、誰も面倒を見てくれない知的障害の子どもの世話をしてくれる施設に感謝し、預金は経営者に一任という形をとらされていた。

女性の軽度知的障害者は、理事長宅に行き、毎日家政婦代わりに使われていた。
男性の利用者は、身内が経営する衛生社に派遣され、障害者雇用という形で
糞尿車(バキュームカー)の助手として、ただ働きのような超低賃金で各家庭の糞尿を汲み取りの作業をさせられていた。
糞尿車の運転者は運転席にいるだけで、軽度の知的障害者だけが汗水を流し動き回っていた。

児童養護施設で話ができるようになった同僚から、こんな話をされた。
「理事長や事務長など経営者一族は、いま日本国籍になっているけれど
戦前は日本人に苛め抜かれた。今度は自分たちは日本人に仕返しをするのだ。
施設の利用者から儲けることであり、日本人の施設職員は経営者に従って働いておればいい」。
ここの施設に長くいても未来はない、と思い、退職届を出し2年間で辞めてしまった。
いま振り返ると、若気のいたりしかなく、逃げてきただけであり、そこで踏ん張るべきであった、と反省、後悔をしている。

たまたま隣町で身体障害者療護施設の寮母・寮夫(介護職員)を募集していることを知り、履歴書を郵送した。



508;老いの風景〔7〕「色欲」

2017-11-03 11:37:27 | 老いの光影
老いの風景〔7〕「色欲」

市街に住むひとり暮らしの男性(85歳)の名は円山輪三郎
若いときは競輪三兄弟で知られた。
輪三郎の戦績は華やかものではなく、
地方大会で数度優勝した程度であった。
妻は苦労した
定年に近い長男は近くのマンションに住む。
仕事を終えてから長男はスーパーで惣菜などを買い、父親の家を訪れる。
在宅訪問のとき長男は、父親のことを話してくれた。

 父とは同じ血が流れているが、半分は母の血もある。
 女好きの父親。
 競輪選手を引退した後
 いま店舗は閉店されたが昔は地元の百貨店に勤めていた母。
 母は黙々と仕事をしていた。母は何処へも出かけたことがなかった。
 母を置いたまま父は、ハワイ旅行にも行っていた。
 母は、家から出ることもなく、最後はうつ病になり寝たきりになった。
 母を介護することもなく、父はダンス教室に足蹴く通っていた。
 母が亡くなり、母の保険金で 父は、日本1週旅行は6回もしたのかな。
 両親と自分が出かけのは、
 つくば万博だけであり、後にも先にも1回だけだった。

昨日、かかりつけ医にかかったことも忘れ
薬も飲んだり飲まなかったり。
でもお酒だけは忘れずに、毎日飲んでいる。
お酒が入ると起きるものも面倒臭くなる。
緑内障は進み、目も不自由でありトイレに間にあわないこともある。
尿便失禁あり 便付着は下着やズボンにもみられてきた。
本人は宵越しの金は持たないと、いった調子で
お金はあるだけ使い
しげしげと通ってくる60歳近い女性にお金をあげたりしている。
女性が冷蔵庫やテレビが故障したと、いえば
預金をおろし、家電製品を買ってあげ、定期預金は残高なし。
そんな父を、息子は「見栄っ張り」と話す。
「女性にお金をあげるのは男の甲斐性だ。だから女は男の言うことを聞くのだ」
という考えはぼけていても失っていない。
デイサービスのスタッフに千円を渡そうとする。
(勿論受け取りはできない)

女好きは、若いときからであり
老いてもなお血気盛ん、聞くに堪えない卑猥な言葉を大きな声で話すから
他の利用者には、嫌がら嫌われても気がつかないのは当の本人だけである。
入浴介助中、昔でいう「トルコ」と勘違いし色欲を露わにする。
彼の場合、色欲は最後まで残る。またそれが「生きる力」なのかもしれない。
ダンスのときに着る衣裳は、黄、ピンク、赤、青、緑、紫の各色を所有し、
その衣裳を着てデイサービスに通う。
靴も衣裳に合わせた色靴がある。

長男は細かいことまで気にする性格、うつ病から心療内科受診中。
「自分も父親の血を流れているかと思うと心配になる」、と話されたときは、
「母親の方に似ているから大丈夫ですよ」と切り換え話すことも数度あった。


507;上手な介護サービスの活用処方 第32話「認定調査の項目」 〔30〕 場所の理解

2017-11-03 04:56:09 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第32話「認定調査の項目」 〔30〕 
3-7 場所の理解(能力)


ここでいう「場所の理解」とは、「ここはどこですか」という質問に答えることである

1.できる
2.できない

1.質問されたことについて、ほぼ正確な回答ができる場合をいう。
2.質問されたことについて正しく回答できない、あるいは、まったく回答できない場合をいう。

所在地や施設名をたずねる質問ではない。質問に対して「施設」「自宅」などの区別がつけば、「できる」になる。
現在、施設に入所中だが、施設に入所していること自体、理解していない場合は、「できない」を選択する
現在、施設に入所していることは、理解しているが、施設の所在地や施設名について答えることができなかった。これは「できる」になる。


実際に、認定調査で「ここはどこですか」と質問した場合、自宅の場合は、所在地を答える人が多い。それでは「できる」にならず、
「ここは誰の家ですか」と聞き直しをしてしまう。たいていは「俺の家」「息子の家」と答える事が多い。
場所の理解ができているかどうか(場所の失見当識の判断)、を知る調査項目になるのだが、私は付け足しで、自宅のトイレや洗面所など場所を理解しているかどうかも聞き、そのことも特記事項に記載する。
現実にトイレや洗面所がわからなかったことがある場合は、認定調査員に話されるとよいでしょう

506;人生振り返りが大切

2017-11-02 17:01:43 | 老いびとの聲
人生振り返りが大切

人生に限らず、何事においても振り返りが大切

振り返りをしなかったために
大きな失敗をした
それは
トイレのドアを開け
洋式便器の便座が上がっていたかどうか
確かめもせずに
洋式便器を背にし
腰かけたところ
お尻と両足の大腿部の裏側が
「ひやぁっと」した
と同時に
お尻はもう少しで
洋式便器内の水面に接触寸前だった

あわてて立ち上がり振り返った
男性老人がオシッコしたとき
便座をそのままにして
トイレから去ったためである
便器の淵をみると
何やら撥ねたオシッコが
滲みとなり汚れていた
そこへ坐った自分
ショック

洋式便器を背にしたときは
もう一度便座を確認することだ
つまり
振り返りをしなかったこと
そのことに尽きる

人生振り返ることの大切さを
感じた朝のトイレであった
出るのも引っこんでしまった

505;人間最後まで残る欲望は何か

2017-11-02 11:30:27 | 老い楽の詩
人間最後まで残る欲望は何か 

“人間最後まで残る欲望は何か”
ときどき、ふと考えてしまうことがある。
人間最後まで残る欲望
それとも老人になっても残る欲望

最後に残る欲望は何か
人それぞれによって欲望の価値観があり
これが欲望に対する答えだというものがないような気がする

デイサービスや介護施設などで過ごされる老人たちからは
「食べる」ことが一番楽しみだ、と話される。
そうすると「食欲」が最後になるのかな。
人間、死期が近づくに連れ、水を飲まなくなり、最後はオシッコもでなくなる。
人間生きていくには、飲食する、つまり「食欲」が最後まで残るのかな、と思っている。

さくらさくらデイサービスでは
今、摂っている食事が最後の晩餐になるかもしれない。
そう思い、食事を作ったり、美味しく食べたり、食事介助を行う。
また、食べたいものを食べれるよう献立を考えたりする。
外に出かけ、在宅や施設で食べることができない味を楽しむ。

自分は特別養護老人ホームに入所したとき
面会のとき差し入れして欲しい食べ物は何か。
これが最後の食事です、と言われたとき
最後に食べたい物は何か。
ときどき思うことがあり、
食べたいものが諸々あり、まだ決められずにいる。

いま食べたい物は、子どものころ(北海道ニセコに住んでいた)食べた「やまぶどう」である。
秋の北海道ニセコに帰り、山に行き「やまぶとう」を食べたい。
ささやかな夢だけれど、いつ帰郷できるか・・・・。


食欲が最後に残された欲望であり
食べることが最後に残された楽しみなのか、と思っている。

いま、さくらさくらデイサービスに起きていることのなかで
男性老人ふたりの色欲(性欲)に遭遇し、いろいろと考えさせられ悩んでいる。
それはその人が生来持っていたものが強いのか、
老人によって性欲が強く欲望を抑えられない。
その場合周囲の人たちに不快な気持ちにさせてしまう。




504;上手な介護サービスの活用処方 第31話「認定調査の項目」 〔29〕 今の季節を理解する

2017-11-01 21:32:24 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第31話「認定調査の項目」 〔29
今の季節を理解する(能力)


ここでいう「今の季節を理解する」とは、面接調査日の季節を答えることである

1.できる
2.できない

1.質問されたことについて、ほぼ正確な回答ができる場合をいう。
2.質問されたことについて正しく回答できない、あるいは、まったく回答できない場合をいう。
  回答の正誤が確認できない場合も含まれる。


旧暦での季節でも、「今の季節を理解する」ことができれば、「できる」になる
季節に多少のずれがあってもよい(例えば、1月であれば「冬」あるいは「春の初め」と回答するなど)
今の季節を答えることはできないが、調査当日の月日は答えることができた場合は、「できない」になる。


現在使われている新暦は、太陽が基準です。しかし旧暦は、月の満ち欠けが基準でした。だから現在とは,季節のずれがあります
旧暦の季節 春(1月~3月) 夏(4月~6月) 秋(7月~9月) 冬(10月~12月)

実際に認定調査を行ったとき、旧暦よりは体で感じた季節を回答されることの方が多い。
認定調査が実施される地域(私の場合は南東北に住む)により、季節感は幾分変わるのかもしれない。
季節の変わり目が難しく、またその日の天候によって認定調査対象者の回答が変わる(例えば3月は「春」としているが、雪が降ったりすると「冬」と答える。そのようなときは「冬」にする)
私の場合目安として 春 3月~5月 夏 6月~8月 秋 9月~11月 冬 12月~2月 としている。
旧暦の季節を理解し、回答される人は少ない



503;上手な介護サービスの活用処方 第30話「認定調査の項目」 〔28〕 自分の名前を言う

2017-11-01 10:39:53 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第30話「認定調査の項目」 〔28
3-5 自分の名前を言う(能力)


ここでいう「自分の名前を言う」とは、自分の姓もしくは名前のどちらかを答えることである。

1.できる
2.できない

1.質問されたことについて、ほぼ正確な回答ができる場合をいう。
2.質問されたことについて正しく回答できない、あるいは、まったく回答できない場合をいう。
  回答の正誤が確認できない場合も含まれる。


旧姓でも、「自分の名前を言う」ことができれば、「できる」になる。

ここの認定調査項目は、ほとんどの方は「できる」であり、余り認知調査項目として必要でないような感じがします。
でも認知症の症状を把握するには、「自分の名前を言う」ことができるかどうか、尋ねることには問題はないが、
調査のなかでは同居されているご家族の名前をどこまで認識されているか、そのことを聞いたりして認知症の進行状態を特記事項に記載しています。

自分の名前を答えることができなくなったときは、認知症の症状は重くなっていると思ってよいでしょう。


認定調査とは直接関係ありませんが、
同居されていない(大きな)子どもは、
(認知症を患っている)老親に「わたし誰だかわかる」と尋ねる光景を見ることがあります。
自分を生んでくれた親に、名前を憶えているかどうかは、大きな関心事であります。
何故なら離れて暮らしていても、老いても、自分の存在を覚えているかどうか。
でも、認知症を抱えている親にとっては、苦痛なのです。子どであることは、顔を見てわかるが、名前が浮かんでこない。
そう感じられたときは、「太郎だよ」「花子だよ」と自ら助け船を出すことで
親は鸚鵡返しに「太郎だよね」「花子でしょう」と戸惑いから安心の表情に変わります。
試すような言葉かけは、認知症を抱えた人にとって不安や戸惑いを増幅させ、
自分は本当に惚けたのかな、と思い込んでしまうことになるからです