老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

納豆と頭痛

2020-10-07 04:32:03 | 阿呆者

秋桜の匂いを嗅ぐbeagle genki

1707 納豆と頭痛

今日は他愛もないことを書く

朝食時
wifeは美味しそうに納豆を食べていた
自分も納豆が好きなのだが
血液サラサラのワファリンを服用しているため
納豆が食べれない

空になった納豆の容器(発泡スチロール)を手にしたwifeは
「納豆の匂いでも嗅いだら」、と言うので
真に受けた自分は
発泡スチロールの容器を鼻に近づけ匂いを嗅いだ
納豆の匂いがした


その日の夜遅い時間
ベッドに寝ていたwifeは「(凄く)頭が痛い」と訴えた
自分は起きだしカロナール錠(2錠)とコップに水を汲み
wifeに渡した
ベッドに入りwifeの手を握り寝た
(台風が近づくと頭が痛くなる)

南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❸

2020-10-06 07:37:53 | 老いびとの聲

荒地に生える芒と秋桜


1706 南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❸

花は蕾から花咲き
やがて花は散り枯れて朽ちる

人間とて同じく老衰となり死に逝く

『サイレント・ブレス』看取りのカルテを読み終え
人生の最期の日々をどう穏やかに送れるようにするのか

56頁に「平和な治療だけをしてるとね、人が死ぬということを忘れがちなんだよ。
でもね、治らない患者から目をそらしてはいけない。人間は、いつか必ず亡くなるのだか」と言う、大河内教授の言葉。

治せない患者は、末期癌や進行性筋ジストロフィー、老衰等々の人たちが生きている。
「私は死ぬために(自宅に)戻ったの」と言う、知守綾子、権堂勲、そして水戸医師の父親 水戸慎一。

人は必ず死ぬ
治らない患者、死ぬ患者も愛してあげよ
「死ぬ人をね、愛してあげようよ。治すことしか考えない医師は、治らないと知った瞬間、
その患者に関心を失う。だけど患者を放り出す訳にもいかない・・・・」(298頁)

死に向かって生きているとき
何を思い、何を望むのか(欲するのか)
最後にやりたいこと
最後に行きたいところ
最後に食べたいもの
人は死を前にして ささやかな望みが大切にしていきたい


私も目の前で末期癌を患った老人が息を引き取る瞬間に立ち会ったこともあった。
「住み慣れた家で死にたい」、と老人は呟くが
昔と違い、いまは自宅の畳で死ぬことはまだまだ少ない。
自宅の畳で死ぬには、訪問診療と介護サービスがかかわり噛み合わっていかないと難しい。

どう穏やかに自宅の畳の上で息を引き取るのか
医療も介護も 死んでいく人ではなく、その周りの人たち(家族)の意向で決められてしまうのが実情である。
ケアマネージャーは家族の意見も聴きながらも
本人(要介護老人)の気持ち、意見を尊重していくケアプランをどう推し進めていくのか

要介護になってしまった老人は 最後どう生き どう死にたいのか 
どこで死にたいのか
最後は誰に看取られたいのか



南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテを読み終え、そう感じた。



南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❷

2020-10-05 06:58:00 | 読む 聞く 見る

茎が折れた秋桜 折れても咲き続けている生命力の強さに脱帽

1705 南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❷ ~胃ろうと「自然死」~

人間、生きていて(老いてくると)、食べることは
大きな楽しみであり、生きるエネルギー(源=みなもと)にもなる。

老い、病を抱えていて
食べたくても食べれなくなると
もう終わりなのかな(死が近いのかな)、と
当の本人も介護者も「ふと」思ってしまう。

「プレス3 エンバーミング」の看取りカルテ 古賀扶美枝さん(84歳)の話を読み
あらためて「胃ろう」のことを考えさせられた。
本ブログでも過去に胃ろうを取り上げたことがあった

扶美枝さんは痩せこけ、肋骨がくっきりと浮かび上がり、飴細工のように壊れそうな体だった(170頁)

水戸倫子医師は、「この一年近く、食欲が落ちれば、これまでなら消化器の検査や栄養を取るための治療を考えたものだ。
だが、食べれなくなるのも自然の経過という感覚もわかるようになってきた」
(前掲書173頁)

他の哺乳類動物と同じように、人間も老いていくと躰の機能が衰え、食べることも受けつけなくなる。
水も飲まなくなり、オシッコもでなくなってしまう。
自然の摂理に沿いながら静かに逝きたいものです。

扶美枝さんも「ベッドの上だけで人生なんて、好きじゃないんです。私は十分に生きてきました」
「胃に穴を開けるなんて、とんでもない。そこまでして生きたいとは思いません」
「私も自然に帰るだけ」(179頁)、と
最初は彼女は胃ろうを造ることに拒否(反対)をされていた。

普段介護されていない長男 純一郎が現れ、胃ろうを造るよう母を説き伏せ
水戸医師に胃ろう造設の手術を強く求めた。

長男は、胃ろうを造らないのは「餓死」させることだ、という言葉に
水戸医師は心揺らいでしまう。
「自然な死を見守る医療は、どこか頼りない。果たすべき治療をやりきっていないのではないか」
という迷いとも背中合わせにある。(193頁)

迷いのなか、結局長男の言葉に押され胃ろうを造設した老母。
扶美枝は「-こんなじゃ、生きていても仕方がない。天井を、見ているだけの毎日なんて・・・・」、という言葉を吐く。

胃ろうの造設約3週間後に事故が起きた
扶美枝の口から白い流動食が溢れ流れ出ていた。
気道に流れ込んだ流動食による窒息状態となり
吸引や心臓マッサージを続けるも、亡くなった。

原因は純一郎が7パック(1パック200ml)の流動食を入れたのが原因だった。

水戸医師は、いまは胃ろうを造ることになぜ抵抗しなかったのか
「餓死」という言葉に惑わされたこと
それは自分も同じ気持ちを抱いた。

水戸医師の老父は8年前に脳梗塞を患い
いまは歩くことも食べることもできない。
胃ろうを造ったが、言葉や表情を失い
意識もなく寝ているだけの状態にある。

在宅の患者を診ていて、ふと父のことが蘇る。

食べれなくなることは、自然な肉体の衰え
死というゴールから逆算して、残された時間をどうするか
つまり『最期どう生きたいか』
(186頁)

胃ろうを造り、生き長らえても
「-こんなじゃ、生きていても仕方がない。天井を、見ているだけの毎日なんて・・・・
という扶美枝の言葉がいまも耳朶に残っていいる。

老い病を抱え、最後食べれなくなったとき(飲み込みができなくなったとき)
あなたは胃ろうを望むのか、それとも望まないのか
意思表示をしておくことが大切。


最期どのような死の風景を眺めたいのか








痛み止め注射をしたのに「痛み」が増えた

2020-10-04 21:11:09 | 阿呆者


1704 痛み止め注射をしたのに「痛み」が増えた
先週金曜日の事である

頸椎椎間板ヘルニアを患っているのに
長時間パソコンに向かい首と肩に負担がきたのか
それとも先々週の土曜日にジム(運動)をした跳ね返りによる左肩の筋肉痛なのか
定かではない

更に不幸というか予期せぬアクシデントに遭遇した
それは在宅訪問のときのこと
キャンバスから降り、砂利と草の上を歩いたとき
右足が草にひっかかり、ばたりと前に転倒し
右膝を強打し皮下出血をしてしまった。

水がやや溜まっていた右膝の膨らみはペシャンコになった。

脇にいたwifeから「足元みて歩かないからだよ。大丈夫?」と言われてしまった。

首肩、そして右膝の痛み

整形外科医から
「痛み止めの注射しましょうか」
「腎臓に負担はかかりませんか」
「大丈夫ですよ」
「では、お願いします」、と答えた

看護師に「過去に透析で穿刺した左腕の方が刺しやすいですよ」と、左腕の真ん中に針を刺したが上手くいかず
別の看護師に代わり、左腕の手首に近い血管にトンボ針を刺した。
上手く刺すことはでき、そこまでは良かった。
細い血管のところへ、注射液を勢いよく挿入したものだから
診察室を出て数分後に、腫れ上がり注射液が漏れだし痛みが増してきた。

痛み止めのためにした痛み止め注射で
新たに痛みの箇所が増え
踏んだり蹴ったりの金曜日だった。

wifeからは「痛み止め注射をするからよ、しない、となぜ医師に言えなかったの」、と
チクリ言われてしまった。

文庫本の3分の1のほどの広さで皮下出血が広がり
左腕を下げるといまも痛い

帰る家がある

2020-10-04 05:52:30 | 老い楽の詩

帰宅途中 夕焼け空


1703 帰る家がある


陸奥の秋は
彼岸が過ぎ 夕暮れ時になると
「七つの子」のメロディーが流れ
烏は子が待つ巣に帰る

待つ人がいなく帰る家は
寂しく空気がこもるけれど
仏壇に向かい「ただいま」と言葉をかける

帰る家があるのは
小さな幸せ

帰る家があるから
往復切符をポケットに入れ
旅に出れる

死の旅は
片道切符であり
家には帰れないが
土に帰り眠れる




ジッと死に向かって生きる

2020-10-03 09:50:23 | 生老病死


1702 ジッと死に向かって生きる(再掲 2018年6月3日のブログ)


昨日
キャンバスで約2時間をかけ
83歳の素敵なお婆ちゃんに会いに行って来た
(介護相談を担当させて頂いているひとりの女性)
悪性の外陰部癌
疼痛に耐え
ジッと生きている

いまは
サービス付き高齢者向け住宅に棲む

彼女は寂しく話してくれた
「神様は私には幸せをもたらしてくれなかった」
「人生の最後まで癌に苦しみ いまは死を待つだけ」

癌の痛みは本人だけしかわからない痛み
手足は痩せ細り 棒のよう
両脚を動かすと激痛が走り
その痛みが顔に現れ
いたたまれない

彼女は「痛く」ても顔には出さず
笑顔で「(会いに来てくれて)ありがとう」と話される
後、数日の生命かもしれない・・・・
ジッと死に対峙し生きている

医師、看護師そしてケアスタッフが
彼女の居室を訪れる


彼女との出会いのきっかけは
私の妻の父親と
従弟の関係にある

20代のときに
両親を見送り
かけがえのない妹と弟がいた

妹は妻子ある男性と交際
騙され海で入水自殺

彼女が定年になり退職となり
その退職金の全てが
弟のサラ金に消えた
その弟を恨むこともなかった彼女

弟は手遅れの肝硬変を患い他界した

それ以来家族はなく
独りで暮らしてきた

昨年の今頃
外陰部に腫瘍ができ
場所が場所だけに
受診が遅れに遅れた

彼女は自分の生命はそう長くはないと悟り
自分の亡き後
家の取り壊しと葬式と墓を賄うだけの僅かな貯金を
妻の父親に託した

彼女は話す
天涯孤独の身ではない
こうして妻の母親が毎日のように来てくれ独りではないことを・・・・

彼女は
苦労の連続
耐えて生きてきた
いままた疼痛にジッと耐え生きている

何もできない私
痩せ細り手を握り返してきただけの自分
 

死と生

2020-10-03 05:50:45 | 老いびとの聲

朝焼けの秋空 黒い雲が気になります

1701 死と生

秋の朝
阿武隈川に沿った遊歩路を
beagle genkiと歩く

猛暑は過ぎたのに
アスファルトを横断することができず
路上に四匹のミミズが干乾び死んでいた

縁石の脇で
土色した蛙は咽喉の奥まで
ミミズを加えジッとしていた

ミミズには生まれ変わりたくない、と思いながら
今を生きている自分

雲は気分屋みたいな存在
そのうち黒い雲も流れ消え往く

南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❶

2020-10-02 15:10:35 | 読む 聞く 見る


1700 南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❶ 
~死の受容とは、生きることそしてあきらめること・・・~ 


文庫本の最初の頁に『サイレント・ブレス』について
静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎えることをイメージする言葉です。

患者や家族に寄り添う医療とは何か、自分が受けたい医療とは
どんなものかを考え続けてきました。
(6頁)

水戸倫子医師は、新宿医科大学総合診療科の外来診察で10年間、患者の診療にあたっていた。
或る日、大河内仁教授に呼び出され、関連病院である「むさし訪問クリニック」の異動を勧められた。
彼女は左遷された、と思った。
教授から「医師の勉強は大学を離れてから始まる」、と言われたもの、水戸医師は素直に受け止めきれなかった。

不本意ながらもむさし訪問クリニックでの訪問診療が始まった。

最初の患者は、知守綾子(45歳)、7年前に乳癌を発症し手術を受けた。
抗癌剤治療を続けるも、再発し、肺と肝臓へ転移し末期癌となった。

綾子は有名なジャーナリストで『ドクター・キュープラー・ロスとの対談』という科学書を出版されていた。
この書物は「死を受容する五段階」について書かれたものであった。
その当の本人が末期癌に罹り、死に直面した。

綾子は水戸医師の前で挑戦的かのように喫煙をしたり
正体不明のスキンヘッドの男を病室に招いたり、一度外泊をしたりなど不可解な行動をとっていた。

病状は進み酸素マスク、最後の処置を行った後、綾子の呼吸は苦しくなり
もう最期の場面になったとき、スキンヘッドの男が部屋のドアを開け入ってきた。

「般若心経」を手にし臨終勤行を始めた
スキンヘッドの男は、実は浄楼寺住職 臨床宗教師 日高春敬氏であった。

臨床宗教師は、終末期の患者に対して何を為すかは、『サイレント・ブレス』84頁に詳しく記載されている。

綾子自身、「いざ自分の人生の終末に臨み、綾子は激しい悩みや苦しみに苛まれていた」
「私の人生はこれで良かったのだろうか」
と、
日高住職と何度も尋ねてきた(対話をしてきた)。

彼女が住職と出かけ外泊した先は、老人ホームに入居しているお母様を訪ね
死ぬ前にお別れを言いに、お母様の部屋に泊まった。介助役として住職がかかわっていた。

彼女が他界してから彼女から一冊の本が送られてきた
『死ぬ瞬間のデュアログ』だった
著者は、知守綾子と日高春敬となっていた
本の帯には「生と死をめぐる二人の対談」と書かれていた。

「死を受容できない自分を受容する」ことで
臨床宗教師に導いていただきながら自分を受容した彼女。

自分は、「相手はどう死を臨んでいるのか」
自分の頭で考えがちだが、大事なのは相手が死に対しどう臨んでいるのか
そのことを思いやる(思い知る)ことの大切さを
知守綾子さんから教えられた。
最後まで ジャーナリストとして生き抜き死と対峙された彼女の生き方に頭が下がる思いです。



マイペース

2020-10-01 04:56:45 | 老いびとの聲
1699 マイペース

90歳の齢を
「卒寿」という
「卒」を略字で書くと
「九」と「十」の漢字の組み合わせによるもの

90歳以上の老人を見て感じたことは
良く言えば「マイペース」である。
家族、親族、他者の意見(言葉)気にせず、飄々としている。
悪く言えば「頑固」、他者の意見(言葉)に耳を傾けない。

我が路を行く
マイペースだからそうストレスも溜まらない

昔に比べ現世はストレス社会
ストレスから病気になりやすい
他者を気にしすぎるいまの世の中

なかなかマイペースにはなりきれない自分
卒寿までは生きられない
どこまで生きらえるかわからないが
どんな今日に出会えるか
ワクワクしながら生きる


今日から神無月
秋も深まり旅に行きたくなる季節
go to travel(トラベル)を使う余裕もないが
go to trouble(トラブル)になり
コロナウイルス感染が拡大しなければ、と杞憂している