志津川高校の避難所にいる私です。
妻と高齢の両親は2次避難先の鳴子温泉中山平です。
こんな状況になってしまったことは、なんて云えばよいか...助かっただけでも良かったものか、
とにかく、いたしかえし(痛し痒し)のつかない、
どっちとってもぐあいが悪い私としては早く仮設住宅に当選し.....現住所が欲しいのです。
ここ最近になって少しだけ涙がこぼれるようになりました。
何もかもが無くなったお店だったところに立ち、あの頃を見渡すと...です。
下の写真は津波後の翌朝(3月12日) am6:05 頃の画像です。
川を横切っているのが八幡橋です。
我が家は...右手に見える茶褐色鉄骨だけの建物は防災庁舎、
川沿い左手に小さい骨組みの建物が見えますよね、その中間にあるのが我が家なのですが、
水に埋もれ跡形も見えません。
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