あの日、経験したことのない物凄い地鳴りと揺れに必死に縋りつくお店の前電柱。揺れが収まらないまま耳にした「6メートルの大津波が来ます」「急いで高台に避難して下さい」
町の防災広報無線が必死の呼びかけに町中が騒然になり異様な状態になったことは今でも脳裏に焼き付いています。
私の”住まいは町役場の隣で目の前が八幡川、生まれ育った”海、山、川” こりゃ「倍だな!(12メートル)」
自転車屋の自分としては、店先の預かり自転車とバイク修理車だけは店の中に入れて避難しようと1台目のバイクのハンドルに手をかけた時、まてよ!「10メートル以上は来る」
絶対に来る津波だから どこに置こうが 津波が来たら関係ない、「逃げなくちゃ!」
とっさにチリ地震津波の(1960年)思いが甦った。「津波は一番最初に八幡川を駆け上り襲う事を」
あの日、あの時、生きるか死ぬかの分かれ目の判断は体験とか経験とか訓練とか言い伝えとかが私の体のどこかに残っていたから...そして素直に自分が反応したから生き延びられた。
自分としては津波で町が消えて逝く様子の一部始終を目の当たりにしているので...そしてカメラに収めた当時の状況も残ってるし
私の気持ちの折々にブログアップします、とにかく私の心の風化が進行しないためにも。
南三陸 志津川 八幡川
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