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一次避難場所は志津川小学校体育館でした、
志小体育館で一ヶ月ほど...”不安と心配さに”気持がち落ち着かない日が続きました、
少しずつ...全国の皆さんに”支えられてるなと”思うように感じてきたのは数日過ぎてからでした、
家族4人全員無事に安堵したことがなによりでしたが、
でも体育館での避難生活に入ると心配事が...父94歳母88歳が上手くこの生活に耐え切れるかと。
でも上の写真見ていただくと分かりますが私たちが心配するほどでもなく、
その状況と状態に高齢ながらも体が順応することに気づきました。
しかし高齢者にとって避難所の環境に、いつ体調を崩すかハラハラでした。
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南三陸町が二次避難先として高齢者、障害者、乳幼児等の家族を募集し、第一陣として応募しました。
今現在は南三陸から車で2時間ほどの鳴子温泉施設に二次避難しています。
私はと申しますと...週4日ほど南三陸へ仕事への模索と情報収集と、
しかし何も無くなった町に変化なし、いまだ行方不明者の捜索がつづいています。
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お元気ですか?
町はゆっくりですが動いてますよ
バイトもはじまり、少しは生活らしくなりそうです
バイクのバッテリーは通販でたのみましたがまだ届きそうにないです
赤いニンジャでアリーナにいるので気軽に声かけてみてください
またステキな志津川になれるように
ニンジャ無事だったんですね、
バッテリー3月12日に入荷予定だったのに....
何度かアリーナに行きましたが、あそこは凄いですね、
仮ではありますが役場庁舎、病院、警察、郵便局出張所、ボランテアセンター、避難所と、
ボランテアの方々と炊き出し等で活気があって...居るだけで元気が出ます。
でも、自分の住んでた場所に立つと、アリーナの活気がウソのように静かです。
でも見えない中に少しずつ動いてることに喜びを感じますよ、
バイトがんばって! 赤ニンジャ復活にバンザイです。
瓦礫の中を走る赤いバイク、みんなの気持ち明るくし元気与えるかも(^^)
高齢者が避難所で体調を崩しているというニュースに心が痛みます。うちのかみさんの母も97歳なので、その心配が、よくわかります。鳴子での生活なら、少しは救われるでしょうが、まだまだです。どうぞ、お大事になさってください。
世界中が祈っています。NYからお便りが来ました。添付のURLをどうぞご覧になって下さい。
私も参加します。
みんなで乗り越えましょうね。
↑上記で投稿したものです。リンクを貼るのを忘れました!!是非見て下さい。
コメントありがとうございます。
やはり高齢者には気を使います。
現在は鳴子温泉旅館でホッとしていますが、
仕事の事を考えると、鳴子は遠いところです、
町の情報等伝達が遅れ心配です。
自分としては単身赴任で志津川の高校体育館に、
戻ることを考えています。
嬉しいコメントありがとうございます。
旧志津川中学校のころ八幡川沿いは自転車通学路で賑わっていました、
男子も女子も自転車を漕ぎ朝夕の通学風景がなんとも懐かしい思い出です。
あの頃はもう戻ってきませんが、
maruka さんの大切な思い出をいつまでも持ち続けてください。
その思い出の中に....自転車屋の私たちが居ることを光栄に思います。
コメントありがとうございます。
「こころ Kokoro」5月の祈りを拝見させていただきました。
私たち被災者は世界中の人々から支えられてること、改めて実感しました。
日本の皆さんと世界中の皆さんへのお返しは、力強い復旧と復興だと思います。
また復興して行く様子を伝えることが私の役目と思っています、
そして、
南三陸 海山川が美しい姿に戻るように努力していきます。