JAZZ
僕に影響を与えてくれた、柳生くん!
彼がアメリカに”行くって”旅たったのは
S46年の春でした。
それ以来会うことはありません。
僕が
少しホームシックになると
彼の実家(茨城 阿見町)によく泊りに連れて行ってくれました。
自宅の庭の前に広がる霞ヶ浦の風景が
こころを癒してくれた思いとして、いまでもよみがえります。
東京を理解し始めたのも、彼のお蔭でした。
横尾忠則も、寺山修司も、花園神社の赤テントを横目に、唐十郎も
モジリアニ、ロートレックスも...etc。
渋谷の天井桟敷館にはなんどか足をはこびました。
二人、深夜に聞いた”JET STREAM”
当時、FM東海の試験電波放送だったはずです。
オープニングの「ミスターロンリー」と城達也のナレーションに
なんども ”遠い世界に” こころが馳せました。
そんな田舎育ちの僕が音楽を聞くこと、
そして、将来変わることのない音楽「Modern JAZZ]に進化したこと!
けっきょく東京での4年間は”仕事とJAZZ”の日々でした。
S46年秋、仙台に新天地を求めました。
一番初めに探したのがJAZZ専門に聞かせてくれるお店でした。
たまたまタイミングが良いのかどうか、この店が開店一ヶ月目でした。
それから8年間お世話になりました。
JAZZ COUNT
”柳生くん”の二番目お兄さんは
俳優 ”柳生 博”です。
僕に影響を与えてくれた、柳生くん!
彼がアメリカに”行くって”旅たったのは
S46年の春でした。
それ以来会うことはありません。
僕が
少しホームシックになると
彼の実家(茨城 阿見町)によく泊りに連れて行ってくれました。
自宅の庭の前に広がる霞ヶ浦の風景が
こころを癒してくれた思いとして、いまでもよみがえります。
東京を理解し始めたのも、彼のお蔭でした。
横尾忠則も、寺山修司も、花園神社の赤テントを横目に、唐十郎も
モジリアニ、ロートレックスも...etc。
渋谷の天井桟敷館にはなんどか足をはこびました。
二人、深夜に聞いた”JET STREAM”
当時、FM東海の試験電波放送だったはずです。
オープニングの「ミスターロンリー」と城達也のナレーションに
なんども ”遠い世界に” こころが馳せました。
そんな田舎育ちの僕が音楽を聞くこと、
そして、将来変わることのない音楽「Modern JAZZ]に進化したこと!
けっきょく東京での4年間は”仕事とJAZZ”の日々でした。
S46年秋、仙台に新天地を求めました。
一番初めに探したのがJAZZ専門に聞かせてくれるお店でした。
たまたまタイミングが良いのかどうか、この店が開店一ヶ月目でした。
それから8年間お世話になりました。
JAZZ COUNT
”柳生くん”の二番目お兄さんは
俳優 ”柳生 博”です。
僕は、クラッシックと半々でしたが、新宿のピットインのティールームで
当時出たての向井シゲハルや、峰コウスケなんかを、お店に入る金がないので
階段でじ~っと聴いてたりしてました。
ジェットストリーム良かったですよねー。ぼくもめちゃくちゃ好きでした。
当時都内にあったジャズ喫茶という文化は消滅しちゃってますが。
かずかに、渋谷にあるメアリージェーンだけがお店として生き残っています。
吉祥寺メグ、サムタイム、中野クレッセント、ビアズレー、オブレー、
新宿、四谷、渋谷、あ~僕のせいしゅんがぁ~~!
それにピットインで聴いた山下洋輔、ルートマイナスアールの近藤等、
みんな超が付くくらいカッコよかった。なんだかとめどなくなつかっすぃ!
すんません。自分の世界に入っちゃってました。
自己陶酔型のmakinaでした。
新宿のJAZZ喫茶でなんかほそなが~い部屋でした
ライブやってた峰コウスケ(TS)は印象に残っています。
当時 都内のJAZZ喫茶を片っ端から探してはスイングしていました
新宿には特に通いました木馬、DUG,DIG?ピットインもなんとなく思い出しまた。
有楽町スバル街ってあったかな?そこのJAZZ喫茶”ママ”入りびたり!
横浜の”ちぐさ”まで あしをのばしました。
ハービーマン
オスカーピーターソン
デェジーガレスビー
マイルス・デイビス
ソニー・ロリンズ
日本公演もいい思い出です。
新宿のディグ&ダグはまだあります。
紀伊国屋書店の裏にあったのが、新宿通に面した賑やかな所にかなり前から
越してて、アラーキーなんかも、以前は来たらしい。
峰コウスケって一時ソプラノでアンプに繋いだ曲で結構売れたんだけど、
やっぱし、ハービーハンコックのロックイットみたいにはいかないですね。
横浜のちぐさってかなり知られてますよね。
そうそう、門前仲町のタカノって最近までやっていた。
1階が奥さんの経営する髪結いで、これぞ「髪結いの亭主」
ってかんじ。
そこのマスターは一関のベイシーの菅原さんと旧知の間柄らしいですね。
ロリンズは田園コロシアムで、マイルスは新宿西口の現在都庁が建っている辺りで
聴きました。けっこうJAZZマンが来てて、山下トリオの森山タケオが居ましたよ。
山下トリオの話だと、LP買った帰り地下鉄のったら坂田アキラが目の前に座って
たことありました。流石にサイン下さいとは、言えなかった。
ジャズの話なら、朝まで続きそうなのでこの辺で。
また、おじゃまさせていただきます。
懐かしいお店やアーティストの名前が飛び交っていますね。
新宿のDUG・DIG!青春時代そのものです。
紀伊国屋を覗いてその後に・・・
後楽園アドホックビル?でしたっけ
城達也のジェットストリーム!深夜ジェット機に乗った気分になっていましたね。
再販された彼のCD10枚組!コピーですけど持っています。
お店でBGMとして流れていますよ。
なんだか僕も饒舌になってしまいます(笑)今もミスターロンリーが頭の中を・・・
当時 池上本門寺の近くに住んでました
自由ヶ丘はいがいと近かった気がします
”いそのてるお”のライブハウス5スポットには
お金を貯めては通いました。
しかし、Jazz喫茶.タバコの煙が青白くゆらぐ
薄暗い部屋で聞くクリフォード・ブラウンのトランペット
ドラムがそれを引き立たせるマックス.ローチ。
ひとりで揺れるJAZZがいい....。
お酒を飲みながらのJazz論だったら
果てしなく...(*^-^)ニコ
そんなこんなのいい時代でした
たまには思い出を呼び起こすことも
いいことですネ
プレゼントして頂いたJAZZCDはドライブの時よく聴いています
Jazz談義になると、遠い世界に誘うような気がして...。
いっそのこと”東京”に行ってみよ追うかなぁ~(笑)
私にとってJAZZは永遠に謎です。
何時か私にもわかるときがくるのでしょうか。
の自然を愛す、自分を愛す
地域を愛す、
こよなく山を愛すこころ...大好きです(^_^)ニコニコ
誰だったか?覚えてないですが、ギタートリオの時に
たまたま行った記憶がよみがえりました。
で、オカジューのジャズ喫茶。
アルフィーってありませんでした?
南口です。
あそこも小杉に居た当時は通いました。
さっぱりわからない世界。
実は・・オスカー・ピーターソンを
このブログで知りネットからダウンロードして
何曲か聴きました。えへへ。