NHK小さな旅。 見て頂けたでしょうか。
私は、赤兎も刈込池にも行った事が無いので
紅葉の素晴らしさには感動でした。
カメラマンさんありがとうございました。
しかし、白山の眺望には、期待外れでした。
その昔、南画の大家、池大雅が1760年7月3日に
谷峠から護摩山近くまで行って スケッチをしたのではと
上杉先生の著書「歴史街道」にも書かれています。
著書の一部を紹介させて頂きます。
南画の巨匠池大雅は、三回も白山登拝をやった。三回目の
宝暦十年(1760)七月三日には、この道を同行者二人で歩いた。二日の晩には
北六呂師の藤左ェ門で一泊、翌日は家族の長左ェ門に荷物を持たせ
、案内かたがた牛首までおくらせている。画家であるから
紀行文はたどたどしいが、当時の状況をこまめによく紹介している。
池大雅は「日本百名山」゛書写発刊の意図だったから、全神経を
山の描写に注ぎ、道中の事はあまり関心は示さなかったというが、どうしてどうして案に相違して、小遣い帳を付けたりして、几帳面であり
、鋭い観察を続けている。北六呂師で一泊の際に案内人を
雇ったのは、勿論荷物を持たせる為であろうが、
それよりも谷峠付近で、白山をスケッチする適地を教わりたかった
からではないか。白山の素晴らしい全容は、遠くからでなければ
わからず、他所から遠望することにより、初めて
真価が得られるもので、谷峠から護摩堂山近くまで
登ると、白山の全容が望まれるもので、
谷峠から脇道をしながらそこまで行ってスケッチしたのではなかったか。
長左ェ門の日当が割高であり、その配慮をしたからであろう。
また北六呂師からならば一日行程で、市ノ瀬まで行けるのを、
牛首泊まりとしたのは、スケッチに多くの時間を消費したのであろう。
谷峠からの脇道とは、いま取立山の水芭蕉の観賞コースをいう。
今、北谷コミニティセンターからは、谷峠、護摩堂山が、よく見渡せます。
北六呂師を朝出発して、池大雅が、白山スケッチに
胸ワクワクさせながら、登って行った、足跡が、見える様な気がします。
谷峠から取立山までの尾根伝いのコースも魅力がありますが
残念ながら、今は通れません。