ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

水が無い 水が欲しい 佐藤栄太郎さん 水が来た

2018年12月15日 | 発信

魚の川左岸用水路脇の公園の石碑に掘ってある文字。知ってる人いるかな ?

昭和26年から昭和41年、16年の歳月をかけての大工事。

当時の町長 佐藤栄太郎さんの尽力で青島から小出スキー場下トンネルを経て堀之内に水を運んだ左岸用水の功績を記念しての石碑だ。

農業を構成する3つの要素、太陽光、水、土。 

とりわけ水を得るための努力は昔からとても重要だった。先人たちのすさまじい努力の後は今も水を送り続けている。

http://www.pref.niigata.lg.jp/uonuma_nogyo/1356805376726.html

昭和39年の航空写真。当時舟山には380枚の田があったそうな。

中央の平坦に見えるところには魚の鱗のように小さな田が写っている。

我が家も11枚の田を有していたが合計面積は13a !  しかも林の陰で収量は3~4俵程度だった。

我々が高校生の時に土地改良工事が行われた。

田の数は50数枚に減ったが下の池から上の池へのポンプアップにより水問題はおおむね解決した。

でも、畑の水はため池に頼る程度だった。

増沢に下りる新しい道が切れて我が家もその道路沿いに引っ越したのが昭和50年のこと。

昭和50年代に入り、切り花生産が急激に広まって畑の利用目的が大きく変わった。

それまでは杉苗と球根生産が主産業だった。

水が欲しい。

近年の気象状況は極端だ、晴れるととことん晴れる。降るととことん降る。

今までの気候の常識が通用しない。ハードの整備は不可欠。

平成27.8年の航空写真。

今回の基盤整備で田の数は16枚になった。

耐雪型ハウス19棟、有機センター、大きな区画の田畑。

集積、連坦化はほぼ理想の通り。

バルブをひねると井戸からくみ上げた冷たい水が出る。

水が来た。

 

構想12年。工事期間8年。ようやく竣工式を迎えました。

国、県、市、JA、地権者、工事関係者。多くの方々の協力と努力でようやく成し遂げられました。

真ん中に写る推進協議会長は佐藤栄太郎の息子。でも、元町長佐藤栄太郎氏とは同姓同名の別人ですが。

 佐藤小右エ門さん 水が来た。

 

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